今回は、日本画家、菊池容斎の『卒都婆小町』です。
全体:49.5㎝x186.8㎝。本紙(絹本):35.6㎝x96.7㎝。幕末~明治初期。
菊池容斎(きくちようさい):天明八(1788)年―明治十一(1878)年。江戸後期から明治初期にかけて活躍した日本画家。狩野派、土佐派、丸山派などのみならず、漢画、洋画など、広く学び、独自の画風を確立した。歴史画にみるべきものが多い。
今回の絵画は、先に紹介した、二つの『卒都婆小町』とほぼ同じ構図ですが、表現は写実的です。
季節は秋。大きな松の木の下に、老小町が卒塔婆に腰をかけています。
月が出ています。もう夜です。
薄暗い月光の中、小町は遠くを見つめています。
まわりには、ススキや女郎花が生い茂っています。
持物は、杖と破れ傘(後ろに負っている)のみ。これは、能『卒都婆小町』の舞台設定と同じです。
驚くのはその衣裳。とても襤褸には見えません。十二分に彩色された衣服です。月明かりのもとで、上品な着物に包まれた小町は、老いの中にも、ほのかな色香をただよわせているかのようです。
小野小町は、言い寄る男性に一度も返事をしませんでした。ただ、深草少将には、まんざらではなく、自分のもとへ百日夜通いつめれば・・・と難題を出します。彼は、雨の日も風の日も通いつめましたが、あと一日というところで病に倒れ、無くなってしまいます。
能『卒都婆小町』では、小町が仏道問答で僧たちをやりこめた後、身の上を明かし、さらに僧たちに物乞いをするうちに、次第に狂っていきます。そして、自らが深草の少将に憑依して、百夜通いを果たせず、死んでいく苦しみを表現します。
自分のせいで亡くなってしまった深草少将。その怨念が小町にとりついたのは確かでしょう。しかし、小町は、深草少将の苦しみを自分のものとすることによって、華やかであった頃に自分を引き寄せてもいるのです。今回の絵に描かれた、少々華やいだ小町の衣裳は、それを象徴しているのではないでしょうか。
能『卒都婆小町』の前半、100歳となった小町が、僧を説き伏せるほどの深い境地に至ったのは、叡智がもたらした老いの花。一方、後半、深草少将の霊がのりうつり、もだえる様は苦しみの花。いずれもが、老境になって初めて咲く心の花と考えれば、歳を重ねることの意味が少しは見えてくる気がします(^.^)