昨日の礼拝の後、一枚の新聞の切り抜きをいただきました。(朝日新聞 2012年10月20日)
記事のタイトルは
賛美歌がルーツだった
信時潔作曲「海ゆかば」
帰宅して早速、新聞記事を読み進みました。
桜美林学園の創立者 清水安三先生のことも記されていました。
実は、桜美林学園の旧校歌はメロディが「海ゆかば」だったのです。
(現在、校歌は新しくなりました。)
私はこの新聞記事を読みながらの信時潔氏が牧師さんの息子さんであったことや、氏ご自身が「海ゆかば」が軍歌のよう
に使われたことを憂いていらしたこと等をあらためて知りました。
さらに手元にあった清水先生ご著書「桜美林物語」を再読し校歌について記されている箇所を見つけました。
「桜美林物語」に記されている清水先生が「海ゆかば」のメロディをなぜ校歌に選んだか・・をここに転載させていただきます。
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第1章 桜美林学園の創立
10. 5月5日の開校式
式は讃美歌370番 尾崎先生の聖書朗読、小川理事の祈祷に依て始められたがわたしは先ず、参会者一同に校歌を唄って
頂いた。
起立せぬ2,3の人々があったから、校歌を唄う時は皆帽子を取って学園の者も学園に関係のないものも、
唄うと唄わぬに拘わらず、起立するのがエチケットであることを説明した。
校歌もまた日本人の誰でもが知っている「海行かば」の譜であるから、一同声高らかに唄いえた。
何故にかかる軍国主義の時代の楽譜をそのままに用いたかと言うに、この楽譜そのものは、非常な傑作であって、
今までに凡そ日本人の作曲した楽譜の中で、最も勝ぐれた楽譜の一つだと聞いていたからである。
而かもこの楽譜の作者は基督者である。
わたしはそうした楽譜を世に長く、伝えるには、私達の学園如きが校歌の楽譜として用いるより他に、道はあるまいとさ
え思ったからであった。
校歌斉唱の後に私は壇に登って、学園創立の経過報告をしたのであったが、先ず校歌の説明から始めた。
校歌こそは学園創立の精神、意義を具に伝えているからである。
1、美はしのさくら花咲く林ぬち
養はむかな万世に太平拓く大和心を
2、村里の土に親しみ新しく
養はむかな日の本を再び建つる大き力を
3、空高く富士の高嶺仰ぎつつ
養はむかな人の子の示めし給へる高き理想を
「従来は桜花といえば、パット咲きパット散る桜哉、身を鴻毛の軽きに比し、戦場の露と惜気もなく消える、日本武
士道の魂を象徴する花と言われ来ったが、そういう精神を象徴する桜花は、も早や永遠に日本国土に咲き匂わないことに
なりました。
この時に於いてわたしは桜花の象徴する新らしい精神を提唱する。
桜花が欄漫と咲き乱るるところ、何となく天下太平のどけさを感ずるではありませんか。
今後と雖も平和の花として、桜花は引き続いて日本国民にもまた、外国の人々にもめでられるに相い。
換言すれば古い桜花はパージされて、新しい桜花がデビュウするのであります。」
わたしは窓の外を眺めつつ語り続けた。窓へは吹雪の様に桜花が舞い込んで来る。
キャンパスは足をふみ入れるところなきまでに、ほんのりと桜色に染めた時ならぬ雪が敷き詰めている。
「校歌の第2節には、地に落ちている日本の道徳を、先ず農村から上り坂にしようという精神が歌われている。
古来何れの敗戦国も農村の再建から復興している。
硝子戸も畳も机も椅子もド―アも障子も瓦も門の扉も何もかも掠奪された校舎で、
『汝盗む勿れ』から説き始めようと言うものである。
第3節には富士山が歌われている。
富士は学園を丹沢連山の峰間に、小さい扇の如きほんの僅か額だけ顔を出して眺めている。
今朝も富士は背伸びして、遥かに学園を見ている。
丁度その様に神様はこの学園を天からじっと眺めていらっしゃる。
丁度そのようにこの学園は神様の目の届くところで、経営されているのであります。
私共は学校設立の資金を持っていません。
けれども神はなくてはならぬ物を与え給うことを信じています。
人材も資金も必ず与え給うことを信じています。
ご覧の通り昨日までこの講堂にベンチ一脚なかったのに、今日はこの通り、皆様に一人ひとり掛けて頂くことができまし
た。」
わたしは3月22日、リュックサック一つ背負って東京に到着した以来の学園創立の経過を具さに語った。
わたしは演説中一再ならず、どうしても声を出しえず、1分2分と黙し話を途切らし、涙を喉に呑まざるを得なかった。
次いで賀川先生、忠生村長その他の人々の祝辞等あって、開校式は非常なる感激の中に無事終了した。式後壇を降りると
私の手を握って、泣ける母姉も少くなかった。
「先生のご心中、お察し申し上げます。」
「謝謝(しえしえ)」
思わず中国語で応えて、
「清水安三、ここに見事に立ち上がりました。どうか皆様宜敷く」
と言って人々に握手し歩いた。
生徒達、父兄、お客様を送り出してから後、わたしは顔に両手の掌を打ち当てて壁に額をくっつけてよよと泣いた。
泣いた後にわたしは両手の掌をきっと握って堅いこぶしを作り
「さあ、これからだ、やるぞ」
と叫んだ。
(エホバ取りエホバ与え給うなり。エホバの御名は讃むべきかな)--ヨブ記 1:21 の逆用
以上。 桜美林学園発行 清水安三著 「桜美林物語」より
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長い文章をお読みくださりありがとうございます。
この開校式は今から66年前、終戦直後の1946年5月5日に執り行われました。
※先頃、多摩センターに建てられていた厚生年金宿泊施設「サンピア多摩」が閉鎖され売却されることになりました。
桜美林学園がこの施設を買い取りました。
そしてその施設内での雇用をそのまま維持できるように配慮されつつレストラン営業も以前のままに続いています。
宿泊者に限らず近隣住民の方々の憩いの場として今も施設はこの町で活かされています。
昨日の礼拝の後、いただいた一枚の新聞の切り抜き。
切り抜きをきっかけに清水安三先生自ら書かれた生きた文章を再読する機会が与えられました。
今、その骨太なキリスト者としての生きざまに深い感動を得ています。感謝。
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みなさまの上に神さまの祝福を・・・小野路の礼拝堂からお祈りします。