@Guitar & Music & China

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【哀悼:Gaey Moore(ゲイリー・ムーア) 1952/4/4~2011/2/6】それは余りにも突然に・・・

2011-05-15 | 欧米音楽
 
本年2011年2月6日、また一つ音楽界は偉大な人物を失いました。
'90年代以降の音楽にドップリ浸かっていらっしゃる方々には無縁の存在だと思いますが
彼の出現以降、彼を敬愛・尊敬するギタリストの存在は数知れず。
また常に前進する事を忘れずに、表舞台から忘れ去られようと我が道を行くと言う
本当の意味での音楽バカ・ギターバカであったGary Mooreです。

2011年2月6日(日)、休暇先のスペインにて心臓発作により眠っている間に息を引き取った。享年58歳。
・・・早すぎますよね、Bluesミュージシャンとしては「さぁこれからだ!」って歳なのに。
16歳でレコードデビューし、42年間、ギター一筋・音楽一筋に生き急いだ感は否めません


亡くなってから早や三カ月以上が経過していて「何を今さら」感も否めませんが
ある意味常にGaryの音楽が傍にあった私にとって、事実を受け入れるまでに多少の時間を要しました。
やっと少しは落ち着いたので、想い出を含めつらつらと綴って行きたいと思います。

最初の出会いは、VirginRecordsから発売された初のメジャーデビューアルバム(異論もあるかと思いますが)
“Corridors of Power(邦題:大いなる野望)”でした。

コリドーズ・オブ・パワー
ゲイリー・ムーア
EMIミュージック・ジャパン

針を落とした瞬間(当時はレコードです)一曲目の“Don't Take Me For a Loser”で瞬殺されました。
速さも勿論そうですが、スローな曲のための利いたメロディアスなフレーズやチョーキングビブラート。
そして太いのだけれどキーの高い歌声にも・・・つまりは全てが壺にはまったと言う事ですね。
(実は別にボーカリストがいて、それに合わせてキーを決めたけれど脱退した為本人が歌ったと言う説あり)

ここまでハマったGaryですが、当時は自分もバンドをやっていた為か“Journey(ジャーニー)”の方を
良く聴いていて、正直一枚目以降は何年かご無沙汰してました (^^ゞ

再会したのはそれから・・・何年になりますかね?
商店街が休みの日に店舗の前に出ていた中古CD売りの出店で偶然“After The War”を売っていて
“へぇ、良くこんなんあったな”と思い買い求めました。
久々に聞くGaryのアルバム・・・やはり心根にドカーンと響いて来ました!

アフター・ザ・ウォー
ゲイリー・ムーア
EMIミュージック・ジャパン


特に“The Messiah Will Come Again”の泣きののフレーズとギターのコントロール・・・圧巻でした。
速効CD屋へ出向き、遡って“Victims of The Future”“Wild Frontier”を買ったのですが
数ある曲の中でも“Victims...”に収録されていた“Empty Rooms”に出会った事で後悔の念に駆られました。
「オレは今までこんな名曲を知らずに何年間も過ごして来たのか...」と・・・それ程の名曲でした。

ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー
ゲイリー・ムーア
EMIミュージック・ジャパン


ワイルド・フロンティア
ゲイリー・ムーア
EMIミュージック・ジャパン


さぁ!ここから私のGary狂いが始まりました(勿論物欲方向で(笑))
当時は過去に名盤とされた物は次々にCD化されて行きましたが、Virginデビュー以前の音源は、日本では殆どCD化されず
かろうじて、契約上の問題からお蔵入りされていた“Dirty Fingers”と“Live At The Marquee”が、Gary人気に便乗して
別のレコード会社から発売されたくらいでした。

ダーティ・フィンガーズ(紙ジャケット仕様)
ゲイリー・ムーア
ビクターエンタテインメント


ライヴ・アット・ザ・マーキー(紙ジャケット仕様)
ゲイリー・ムーア
ビクターエンタテインメント


そこで始めたのが、休み毎の輸入CD屋行脚(笑)あるかどうかも分からない物を探し求めて探し続けました。
ところが“苔の一念岩をも通す”でしょうか?次々と見つける事が出来たと記憶しています(多分記憶の抜け落ちだと思いますが)
コロシアムIIは言うに及ばず“ゲイリー・ムーア・バンド”はては“Skid Row”と、その時点で確認されている物は
全部手に入れる事が出来ました!おまけに(今は“We Want Moore”のボーナストラックとして入っていますが)
ベルファストでのライブで“Phil Lynott”と共演した“Parisienne walkways”のシングルCDまでめっけちゃいました (^^ゞ

ところが私の過熱振りとは裏腹に“Wild Frontire”以降のGary人気は、徐々に下降線を辿って行ったようです。
当時仕事場(出向先です)にロック好きの方がいて、よく話をしたんですがGary Mooreに関しては“Wild...”以降
徐々に興味をなくして行ったようです...まぁ商業ロックからはかなり外れて行きましたからねぇ...無理ないか。


そうこうしてる内に、待望のニューアルバム発売!と思ったら...いきなりBluesアルバム! (?_?)
当時読んだ雑誌のインタビューではアルバムのタイトルチューン“After The War”が一つの原因となったとと言っていました。
要訳すると「After The Warのソロを聴いて愕然とした。なぜなら“Out In The Fields”と構成が全く同じだったからだ!
そこで、一度全てを忘れて原点回帰のアルバムを出そうと思ったんだ。売れるかどうかは別にしてね。」と言う
いかにも進化を続けるGary Mooreらしい内容だったと記憶しています。

とにかくGary Mooreの物なら取りあえず何でも買ってみようと言う私は、早速買ったのですが・・・正直ぶっ飛びました!!
ブルースアルバムとは言っても、今までのスキルを集約した内容で曲はブルースなんですが音やフレーズは
ブルースロック(ロックの方が比重は大目)のアルバムで、タイトルチューンなんかは何万回聴いたか分からない程です。

スティル・ゴット・ザ・ブルーズ
ゲイリー・ムーア
EMIミュージック・ジャパン


ソロなどもほぼ一発録りで、“Oh! Prety Woman”(“Prety Woman”じゃないですよ、念の為)なんかは
スタジオで“Albert King”とのセッション一発録り、タイトルチューンの“Still Got The Blues”のソロなんかは
マイクの切り替えの音まで入ってますからね。音の完璧さよりも湧き上がる感情を音にする如何にもGaryらしいアルバムです。

売れ行きなどは全然気にせず作ったアルバムですが、これが皮肉にも今まで何度も進出しては失敗していたアメリカで大ヒットとなり
全米進出の足掛かりになったのも皮肉な話です...その後は時々寄り道しながら(笑)Bluesを続けたGaryですが
ベルファストでLiveを行ったメンバーで、久し振りのロック回帰をすると言う話が持ち上がっていたと言う噂を聞きましたが
実現せずに旅立ってしまったGary...残念でなりません。

・・・と、まぁグダグダ書いてますが、実際にボクがGaryの急逝を知ったのは北京から帰り尚且つ大震災後...偉そうな事は言えません。
正直昨年の21年振りの来日公演も知らず、来日記念と走らずボーナストラックの入ったアルバムを買い直すかのように
昨年から買い求めていたのは、良くも悪くもある意味虫の知らせかも知れません。
CDは全て買い揃えている訳ですから買い直す必要性など全くなかった訳ですからね。

Gary Mooreは知らなくても“Parisienne Walkways”は聴いた事のある方は数多くいらっしゃると思います。
最後に、ボクにとっての“Parisienne...”の名演2つを書いて終わりにしたいと思います。
No.1は“Live At The Marquee”、No.2はベルファストでPhil Lymottと共演した時の演奏。
この2つに勝る演奏は“Parisienne...”とCDに書いてあれば常に買っていたボクでも聴いた事がありません。
ライブ、特にブルース主体になってからのGaryはトレブルが強すぎて若干馴染めなかったのもあります。

何はともあれ、同じ曲で“今度はどんな演奏を聴かせてくれるんだろう?”と思わせてくれるギタリストは
もう現れないだろうと思います...イングヴェイなんかインストは完全別の曲になっちゃうもんなぁ...

もう一度、ゲイリー・ムーア(G)ニール・カーター(G.Ky)ボブ・ディズリー(B)ポール・トンプソン(Ds)の編成で
Live見たかったです...「エメラルド・アイルス」DVDで出してくれんかなぁ・・・

合 掌


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