Song For The Lonely

まだ生きてるよ

コーヒーゼリー

2006年06月30日 01時26分59秒 | 日記
6/28(水)

朝から皮膚科に。
相変わらずの現状維持な状態に、医者も相変わらず飲み薬をだすだけ。最初はやる気を見せていたこの医者も、途中で投げ出したようです。

それでも、この医者が今月一杯で辞めるようなので、次の先生に期待。
もうねー、現状維持で生きてれば幸せ、みたいな生き方はしてないのよ、わたしは。その辺わかって欲しいのよねー。これを治す為なら入院も辞さないのにさ。ほんと、次の先生がましな人であることを切に望みます。

そしてゼリーブーム。
前に白玉ブームがきたけど、今回はゼリーです。昨日のワインゼリーに続き、今日はコーヒーゼリーを作ってみた。牛乳だけかけて食べるのさ。これがおいしいの。かなり適当に作ってるんだけど、良い感じのコーヒーの味のちゃんとするゼリーになりました。お菓子って何グラムとかをきっちりと作らないととんでもないものが出来るらしいのだけど、ゼリーはいい加減で良いみたいね。

それにしてもとんでもない量の砂糖を入れますね。
何十グラムもの砂糖をドバドバって入れるじゃない?これは太るよなー。お菓子って怖いね。

煮物

2006年06月29日 23時55分53秒 | 日記
6/27(火)

母親が1泊旅行に出たので家事。
朝から洗濯とかしてましたよ。そして料理。今日のテーマは『初めての煮物』。レシピを見るとどれもみりんが入ってるんだけど、我が家は、というか母親はみりんを使わないのね。だからみりんは置いてないのです。

というわけで、例によって適当レシピ。
酒とか砂糖とかで適当にごまかしてみる。今日はかつおと豆腐の煮物を作ってみた。豆腐は煮物って言わないのかな。。んー、味つけは悪くないけど、もう少し煮込んだ方がよかったみたい。色も薄かったけど、味も薄味になってしまいました。微妙。なかなかばっちりのものを作るのは難しいね。また試してみたいです。

デザートには前回のリベンジでワインゼリー。
今回は白ワインゼリーにしてみた。こちらはおいしくできました。おなかいっぱい。

Pall Mall

2006年06月28日 16時11分24秒 | 日記
6/26(月)

タバコが値上がり(増税)する、ということで、タバコを買いだめ。
しようと思ってタバコ屋さんに行ったら1カートンしかありませんでした。

『コレは(あんまり売れないから)ストックしてないんだよねー』

ああ、そうですか。
ぼくはポールモールの赤を吸っているんだけど、人気ないんですね。ポールモールの中でも強い方だから。近所のセブンでも、職場近くのコンビニでも最初は置いていたのに最近では赤だけ置かなくなったのよね…。もう自販機に頼るしかありません。

というわけで、根性で自販機で購入。
自販機で大量に買ってるのって、ちょっとした不審人物だよね。ちなみに赤を売っている自販機は近所で2つ、職場の近くで1つ、二丁目近辺で2つ知っているので、なんとかなっております。結局、4カートン分購入。


インパクト

2006年06月27日 23時05分49秒 | 日記
6/25(日)

ディープインパクトをテレビで見てからお出かけ。
久しぶりにレコード屋を回るも、これといったものもなく、見るだけ。疲れた。この土日は巨人戦の半端なデーゲーム中継が噴飯ものでしたね。あれでは中継する意味がないような。やる気がないなら放映権を買わなければいいのに。

夜は色々と予定が狂い、結局一人で飲むことに。
初めてのお店も含めて何軒かまわる。何してるんだかよくわからないけど、まぁいいか。どこもそれなりに空いていて良い感じでした。

土曜日

2006年06月26日 19時59分45秒 | 日記
6/24(土)

起きたら17時でした。。
いやまぁずっと寝てたわけではないけどね。なんだか何もかもうまくいかない感じなので、飲みに出ることに。

やっぱりお酒だよね。
お酒は人を裏切りません。足が微妙に痛みつつも結局朝まで飲む。そんな日もあります。

木曜と金曜

2006年06月25日 10時08分33秒 | 日記
6/22(木)

深夜の飲み会。
久々の開催でした。だいたい1ヶ月に1回程度行われていた会合も今回は2ヶ月ぶり。だんだん間が開いていって気がついたらなくなってしまうのでしょうか?たぶん、そうはならないと思われます。


6/23(金)

お仕事。
休んだ分の振り替え第2弾です。まったりと授業してさっさと帰宅。お仕事の日に早く帰れるのなんて久しぶり。足が痛い。

交流戦終了

2006年06月23日 15時21分10秒 | 野球
2年目を迎えた交流戦も無事終了。

巨人の不調、楽天の終盤のがんばりが目だった今年の交流戦。
我がファイターズは借金2で楽天と同率の7位。せめて勝率5割で行きたかったよね。去年、交流戦で大きくコケたのを考えるとまずまずなのかもしれませんが。でも上位3チームとの差は広がってしまいました。もう3強であって4強とは言われなくなっているしね。

チームとしては相変わらずチャンスに打てないダメっぷりが目立ちました。
ノーアウトでヒットが出てもその後の3人が凡退する2割5分打線。その中で、ひちょりとケンスケの成長は見られたように感じます。来年に期待だね。

まぁ日ハムに関しては監督を変えない限り優勝はないと思います。
以前からずっと言い続けていることですが、北海道定着にはヒルマンは良い監督だと思うけど(ヒルマンを含めた外人監督じゃなかったら、新庄にあれほどまでのファンサービスをすることを許さなかったでしょう)、勝つことを考えたら今のままでは無理でしょう。全く育ってこない2軍の投手育成にも大きな問題があると思いますが。個人的にはこういうチームこそ森氏や野村氏が必要だと思ってます。バッテリーの改革は急務です。

話を交流戦に戻して。
今年一番感じたのは、『パリーグ上位4チーム全部勝ち』というように、順位が動かなさ過ぎること。つまり、交流戦が長すぎるということです。

ぼくは、前から言っている様に、2回に分けて交流戦を開催して欲しいと思っております。5月と8月にやればいいわけで。8月の交流戦開催のネックは甲子園の高校野球なんだろうけど、終盤にやればよいのではないでしょうか。5月の交流戦前半で阪神のホームゲームを増やし、8月の後半戦は少なめにすればできるでしょ。

8月ならまだ終盤戦ともいえないわけで。
特にプレーオフをセも導入しようとしている現状なら、8月末でも消化試合はほとんどないはず。有利・不利は生まれないと思います。まぁ多少の有利・不利は毎年あるわけで、プロ野球を盛り上げるためには多少の犠牲もしょうがないでしょう。

まだ過渡期のプロ野球改革。
色々と試してみて、ファンが一番喜ぶものを提供して欲しいなぁと思います。

1コマ

2006年06月22日 14時10分31秒 | 日記
6/21(水)

1コマだけの授業のためにお仕事へ。
もうだるーい。この時期はちょうど中学生の期末試験前なので、あまりやることがありません。

ぼくの生徒としての感覚では、学校の定期考査の対策なんて片手間にやるもので、塾は試験なんて無視して進んでいくものなんだけどね。そういうレベルじゃないからしょうがありません。

塾長も帰っちゃったので、戸締りをして帰宅。

本当の『結果』とは何か

2006年06月21日 03時41分40秒 | 日記
6/20(火)

お仕事。
今日から新しい先生が。男の先生なのだけど、彼が小6のときの中学受験の算数をぼくが見ていたんですねー。元生徒です。元生徒が先生として入ってくるのは今に始まったことではないのだけど、小学生のとき見てた子ってのは初めて。立派な大学生になっておりました。

当時、彼は結局受験はしなかったのだけど、その頃から行きたいといっていた学校に大学で無事合格。それほど根性のある子だとは思ってなかったので少し驚きました。中学・高校の計6年間が彼を強くさせたのかもしれません。

こうやって自分が直に受け持っていた生徒が先生として戻ってくる、というのは、受験の結果より少し先の結果を見せ付けられるわけで、ちょっとした勝負なんですね。少なくともうちの塾に悪い感情はないから働こうと思うわけで、そう思ってくれるだけでも、自分がやってきたことに大きな誤りはなかったんだなぁと思えます。

ほとんどの生徒とは受験のほんの数年をすごすだけで関係は切れ、ぼくの中ではそれで終わるわけだけど、彼(あるいは彼女)の人生は途切れることなく続くわけで、責任の大きい仕事なのだと改めて感じます。志望校に合格することがこちらサイドとしては成功なのだけれど、それが彼or彼女の人生にとって必ず良い道とは限らないわけです。それは入ってみないとわからないことだし、そこまでの責任はぼくらにはないわけだけど(そもそも他人に対して責任なんて取れないんだけどね。それができると思うのは単なる驕りです)。終わりのない道なんです。

だからこそ、大学生とかになって元気な姿を見せてくれるとうれしく思います。


それにしても、イケメン先生は来ないもんかね。。

日本代表

2006年06月20日 03時31分24秒 | 日記
6/18(日)

昼からNHKで日ハム-広島を観戦。
しているつもりが、ダルくて寝てしまう。うっすらと打たれていることを告げるアナウンサーの声が聞こえる中、ほぼ睡眠。気付いたら負けてました。

このままではいけないと、というか添削をしないといけないので外出。
ノルマをまずまずこなしてから飲みに。バーでサッカーを見るとはね…。ユニホーム着たお客さんもいたし。1試合しっかりと見たのはいつ以来なんだろう。帰り道の新宿の町や電車の中には日本代表が一杯でした。サッカーはドーハの悲劇の頃は良く見ていたけど、だんだん見なくなりましたよ。あの頃がサッカー知識もマックスでした。ぼくの中で『小笠原』といえばガッツのことだし。