子供論について

 
 東京へと向かう在来線の電車のなかでのこと。

 途中の駅で、祖父母に連れられた女の子が二人乗ってきた。一人は幼稚園に入りたてくらいのちっちゃな子。もう一人は小学校に入りたてくらいの、ちょっとちっちゃな子。
 ちょうど私たちの向かい側のロングシートに、短い足でヨジッと這い登り、祖父母に挟まれてちょこなんと座った。祖父母が靴を脱がせる。
「小さな子が来たよ」と、私に腕でツンツンと合図を送る相棒。

 子供というのはちっちゃくて可愛い。それに発想が面白い。すかさず私たちは観察する。

 お姉ちゃんのほうはおとなしく座っている。ちっちゃな子のほうは、これもおとなしく座っているのだが、眼をクルクルと動かして周囲を観察している。子供というのは好奇心が強くてリアリスト。
「脳が動いてるね」と相棒。

 そのうち、私たち二人が自分のほうをじっと見ているのに気づく。どうして見てるんだろう? と考えているのがよく分かる。眼をうつぶせ、また眼を上げて、こっちを見る。
 子供というのは、こちらが見つめると、一度は眼を逸らしたり、大人の影に隠れたりしても、すぐに気になって、必ずもう一度こちらを見て、様子を窺ってくる。それが分かっているので、女の子が再びこちらを見たときには、私も相棒も、思わずプククと笑い出す。

 するとその子は、ますますこちらを見る。どうして笑ったんだろう? と考えているのがよく分かる。

 To be continued...

 画像は、F.シャルレ「遊ぶ子供たち」。
  フランツ・シャルレ(Frantz Charlet, 1862-1928, Belgian)  

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