人生はカーニバル

 

 リトアニアに行ってきた。絵画上の私のお目当ては、国民画家チュルリョーニス。けれども相棒は、こちら、カシウリスのほうが親近感がある、という感想。
 まあ、カシウリスの絵には親しみが持てる、という気持ちはよく分かる。

 ヴィタウタス・カシウリス(Vytautas Kasiulis)の最も印象的な絵は、パリ時代以降のものらしい。一面、真っ黒に塗った上から、迷いのない筆致でサササッと色を置いていく。黒の地は、曲線的で装飾的なアラベスクを思わせる、ステンドグラスのような輪郭線となる。まるで彩色したカラフルな影絵のよう。
 それが、描かれるテーマやモチーフにひどくマッチする。路上の楽師や物売り、サーカスの曲芸師、農夫や漁師、狩人、そして聖人たち。誰もが乞食のようにみじめで粗末な風貌で、誰もが画家の分身に見える。
 リリカルでノスタルジックで、陽気で滑稽で、即興的で、抽象的で、落描きめいていて、けれども絵に対する自負が感じられる。絵あり、音楽ありの人生。何もない、だが芸術はある生活。それが画家の思想であり希望であり、それを生きる意志が画家の絵を照らす。

 人生はカーニバルだ、ともに生きよう!

 以下、備忘録だが、装飾芸術家の家に生まれ、幼少時より類稀なデッサンの才能を見せる。カウナスの美術学校で学び、卒業後も教員として母校に残るが、個展の成功により、招かれてウィーンのアカデミーに。
 これは1944年という、怖ろしい時代のこと。リトアニアを含むバルト諸国は、1941~44年までナチス・ドイツに、それ以降はソ連に占領されていた。おのれの画業の研鑽のためとはいえ、この時期、この状況でドイツの合邦国に渡ったことは致命的だった。第二次大戦後、カシウリスはリトアニアに帰ることができなくなる。
 祖国を追われたカシウリス。彼の負ったエグザイルとは、亡命ではなく、追放なのだ。

 戦後、カシウリスはドイツの美術学校に職を得、描く、描く、桁外れに描く。さらにパリに移り住み、描く、描く、情け容赦なく描く。描かれるのはおそらく画家自身。ほろりとなるが、口元もほころぶ、泣き笑いの放浪生活。
 絵のためにすべてを失ったのだ。なら、絵には、そのすべてに代えて余りある価値が、あってしかるべきではないか。

 パリにて次第に認知を得、以降、成功と名声は生涯、彼を去ることはなかった。が、祖国リトアニアでは、彼は長らく知られないままだった。

 画像は、カシウリス「花売り」。
  ヴィタウタス・カシウリス(Vytautas Kasiulis, 1918-1995, Lithuanian)
 他、左から、
  「画家と女」
  「モンマルトルの小路」
  「ムーラン・ルージュ」
  「思索する画家」
  「海岸の小舟」
  
     Bear's Paw -絵画うんぬん-
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