グラスゴーのアール・ヌーヴォー

 

 1890年代、スコットランドの産業都市グラスゴーで発展した「グラスゴー様式」。これは、イギリスのアーツ・アンド・クラフツ(=美術工芸)運動、ケルト美術復興、大陸ヨーロッパのアール・ヌーヴォー、ジャポニスム等々からの影響が混ざり合いつつ、次第に形成された独特の装飾スタイルで、その担い手は総じて「グラスゴー派(Glasgow School)」と呼ばれる。

 牽引したのは、「ザ・フォー(The Four 四人組)」というグループ。別名、「幽霊派(Spook School)」。
 文字通り、たった四人しかいない。チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh)、ハーバート・マクネア(Herbert MacNair)、マーガレット・マクドナルド(Margaret MacDonald)、フランシス・マクドナルド(Frances MacDonald)。
 大陸ヨーロッパでの展覧会を通じて国際的な認知を得、特にウィーン分離派展では、かのクリムトに大いに影響を与えたという。

 いわゆる応用美術を手がけたのだが、私が好きなのは水彩画。彼らの活躍は若い時期のもので、後半生は注目されず、不遇だった。大器早成も、つらいもんがあるな。

 「ザ・フォー」は、中国の文革みたいな名前がちょっと難だけど、グループ構成が良い。男女同数、男性二人に女性二人。女性のマーガレットとフランシスは姉妹で、それぞれマーガレットはマッキントッシュと、フランシスはマクネアと夫婦になった。
 で、私のなかでは「ザ・フォー」の中心は、歳の差10歳のこのマクドナルド姉妹。……マッキントッシュのキーンとした水彩画も、素敵なんだけどね。

 マッキントッシュは建築の勉強中、同僚のマクネアとともに、グラスゴー美術学校の夜学に入学。そこでマクドナルド姉妹と出会う。四人は親交を結び、共同制作を行なった。
 姉妹は、結婚するまでは姉妹で、結婚後はそれぞれの夫と共同で活動した。その分野は、マッキントッシュの建築の他、ガラス・金属工芸、家具やテキスタイルのデザイン、刺繍、本の挿画、水彩画など多岐にわたる。ウィリアム・ブレイクやビアズリーを思わせる、長く引き伸ばされた女性の線形のモチーフと透明な色彩で、神秘的・象徴的な独創的スタイルを作り出した。このスタイルは、アール・ヌーヴォーが流行していた大陸ヨーロッパで喝采を受ける。

 が、イギリスではさほどの評価を得られず、マッキントッシュは建築を、さらに晩年にはデザインをも捨てて、水彩画に転向。妻マーガレットも、病身のため制作しなくなった。
 一方、マクネア夫妻のほうは、リバプールに移り、自前の学校を開設、建築やデザインを教えていたが、経営ままならず、やがて閉鎖。マクネアは制作をやめてしまい、妻フランシスの死後は、所有していた夫婦の水彩画まですべて廃棄してしまったという。
 ……最悪だな、マクネア。夫としても教師としても、失格だ。

 画像は、マッキントッシュ「ヴァンドル港、太陽の街」。
  チャールズ・レニー・マッキントッシュ(Charles Rennie Mackintosh, 1868-1928, British)
 他、左から、
  M.マクドナルド「リンボクの伝説」
  マーガレット・マクドナルド(Margaret MacDonald, ca.1864-1933, British)
  F.マクドナルド「リボン、ビーズ、鳥」
   フランシス・マクドナルド(Frances MacDonald, 1874-1921, British)
  F.マクドナルド「太陽を背に立つ女」
   シャルル・ジネル(Charles Ginner, 1878–1952, French)
  マクネア「鳩の贈り物」
   ハーバート・マクネア(Herbert MacNair, 1868-1955, British)
  マッキントッシュ「シクラメン」

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