魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

夢の話:夢の統御

2007-03-17 | 醜いアヒルの子
 
 夢の自覚があるのなら、では、見る夢をコントロールできるかと言えば、これは私にはまったくできない。

 トランプ占いで「今夜見る夢に出てくる人に、現実に会えるかも」という結果が出たことがある。私は有頂天になって、その夜、布団のなかで寝つくまで、チャールズ・ブロンソンの名を呼んだ。
 が、見る夢にはどうしてもブロンソンは登場しそうになく、2度までも眼を見開いて夢をリセットした。3度目の夢で、自分の住んでいる偏狭の田舎町の自治会館に、ブロンソンがやって来ると聞いて、喜び勇んでその自治会館に向かったのだが、土地感のあるはずの道を迷いに迷ってたどり着けず、道端でばったり出会ったショーン・コネリーに道案内してもらって、それでも結局ブロンソンには会えず終いだった。
 ちなみに、ショーン・コネリーにも、現実に会ったことはない。

 夢のなかで勝手なシナリオを作り、「こうなることにしよう」と念じても、私の場合、夢はそのとおりにはなってくれない。「こうなるはずだ」とタカを括っていると、夢はどんどん別の方向へ逸れていってしまう。
 陰でこっそり口裏を合わせておいたはずの相手に、あっさりと裏切られる気持ちって、こんなもんだと思う。

 だから、紀行番組を観た夜に、その国を旅する夢を見ようとしても、絶対に成功しない。
 
 ところで、人間の意識は所詮、精神感応(テレパス)以上の能力を発揮することはできないように思う。私は精神の世界は見ることができる。心象風景も見ることができる。深海や宇宙も見ることもできる。が、具象的な地誌的風景は、見ることができない。
 現実の地誌的風景というのは具象的すぎるのだ、と思う。私が見た深海や宇宙のイメージは、実際の風景ではなく、多分、スピリチュアルな、霊的風景なのだと思う。

 相棒が、「夢のなかで世界旅行をすればいいよ」と言うのは、だから全然、的外れなわけ。分かった?

 To be continued...

 画像は、バジール「トランプ占い」。
  フレデリック・バジール(Frederic Bazille, 1841-1870, French)

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