ナクソス・ジャパンの社長(続)

 
 で、ここの社長、見た目は物凄くアクの強い人物。オールバックの髪を肩まで垂らして、眼鏡の奥から自信たっぷりの眼がきらりと光る。
 が、煙草さえ吸わなければ完璧に相棒と同じ価値観。特に、クラシック音楽に対する日本社会の土壌の貧困さに関してなんて、見事に一致。

 世界中に支社を広げるナクソスだけれど、どういうわけか日本では、クラシック音楽業界の現勢力地図を慮って、誰も支社を引き受けようとしない。で、社長の妹君、この人はナクソス社長の妻君で、世界的なバイオリニストでもあるのだが、彼女が、痺れを切らして電話してきたのだそう。
「おに~ちゃあん、日本って、どおなってるのお?」
 で、兄君が乗り出すことになったらしい。

 意気投合しちゃった社長と相棒、「どうです、この後、夕食でも一緒に」ということになった。でも、その日の相棒の夕食は実は決まっていて、私があらかじめ、名古屋名物「味噌カツ丼」なるものを食べたい、とねだっていたのだった。
 で、相棒からそのことを聞いた社長、
「そんなもんが食べたいの? そんなに美味しいもんじゃないよお」と言いながら、お店を探してくれた。

 社長の連れてってくれた店の味噌カツ丼は、味噌のなかにカツが泳いでいるような代物! でも美味しかった。

 社長と別れた帰り道、疑問だったことを相棒に訊いた。
「あの妹さんの台詞って、名古屋弁だよね?」
「そう言われればそうだね! 僕は不自然に感じなかったけど、名古屋以外の人が聞いたら、そう聞こえるね」 
 そーか、やっぱり名古屋弁だったのか。名古屋城の金のシャチホコを見ながら、一人納得した。

 画像は、モリゾ「バイオリンを弾くジュリー」。
  ベルト・モリゾ(Berthe Morisot, 1841-1895, French)

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ナクソス・ジャパンの社長

 
 学生のとき、相棒に連れられて、ナクソス・ジャパンにヒアリング調査に行ったことがある。
 研究費が余ってるし、ちょうど研究テーマにも沿うし、と、相棒がナクソス・ジャパンに電話したところ、社長も最初は渋っていたのだが、相棒が名古屋出身だと聞くと、
「何い、名古屋の人なの? じゃあ、会ってやらにゃあならんねえ」
 とOKしてくれたのだそう。

 ナクソスはLPがCDへと変わる時期に乗じて、廉価版のクラシック音楽CDを売り出し、他社が手をつけないようなマイナーな曲も次々と開拓して、10年で世界市場シェアを塗り替え、1位に躍り出たという、物凄い新興企業。良いものは安く、という市場観と、企業こそが市場の新欲求を創出し社会の知的レベルを向上させる、という社会観とが見事に一致した、そしてこの点、相棒の社会科学理論とも見事に一致した、相棒の超お気に入りの企業でもある。
 ま、私も一応、予習したけど、あまりよく分からないまま、相棒に引っ張られて名古屋に赴いた。

 名古屋に足を踏み入れるのは初めてだったので、午前中は名古屋育ちの相棒に、いろいろ案内してもらって名古屋見物。それからナクソス・ジャパン社を訪れた。

 画像は、ワッツ「ナクソス島のアリアドネ」。
  ジョージ・フレデリック・ワッツ(George Frederic Watts, 1817-1904, British)

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クーラウ フルートとピアノのためのソナタ

 
 フルートのソナタとやらは初めて聴いた。ん~、いい感じ。
 
 クーラウ(Daniel Friedrich Rudolph Kuhlau)はドイツ生まれのデンマークの作曲家。解説によればロマン派らしいが、このソナタはそれほど甘くなく、どちらかと言うと、モーツァルトやベートーヴェンのような古典的な晴朗さを感じる。
 ……私って、こういう古典的な音楽だと、よく理解できるみたい。

 クーラウは音楽家の家系で、父ちゃんは連隊音楽家、爺ちゃんはオーボエ奏者、叔父ちゃんはオルガン奏者、などなど、みんな音楽家。いーなー、私も音楽的環境が欲しかった。
 フルートというのは、もともと歌うような音色だけれど、加えて、曲そのものがまた、歌うようなメロディーだものだから、とにかくもう、このソナタは、フルートとピアノが一緒になって歌っている感じ。紋白蝶のアベックが、絡み合ったり離れたりして揺れながら、一緒に戯れ飛ぶのを春に見かけるけれど、このフルートとピアノは、そんな感じ。

 このフルートのソナタで、クーラウは「フルートのベートーヴェン」という称号を貰ったのだとか。

 解説によれば、クーラウはベートーヴェンと会食したことがあるらしく、シャンパンのせいでベートーヴェンの記憶は飛んでしまったが、このときベートーヴェンは、クーラウの名前をもじったカノンを、クーラウに捧げたという。曰く、「涼しくて、生ぬるくない」という意味の「キュール、ニッヒト・ラウ(Kühl, nicht lau)」。
 ……どんなカノンなんだろうな。こういうエピソードがつくと、つい聴いてみたくなる。

 クーラウの家は火事に見舞われ、この火事のせいで未発表の作品がパー。クーラウの健康にも害が及んで、火事の翌年に死んでしまったという。
 ああ、ちびまる子のクラスメート、永沢くんのような悲劇。

 画像は、ハルス「フルートを持って歌う少年」。
  フランス・ハルス(Frans Hals, ca.1582-1666, Dutch) 
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カルッリ ギター・ソナタ

 
 どうやっても、カルッリとコレルリを混同してしまう。カルッリ(Ferdinando Carulli)はイタリアのギター作曲家。ナポリ生まれというから、きっと陽気だったんだろうな。パリに出て音楽活動したらしい。

 カルッリのギター曲はとても聴きやすくて分かりやすい。曲をそのまま口ずさむこともできるから、多分、癖がないんだと思う。
 カルッリはハイドンやモーツァルトやベートーベンら古典派作曲家の曲をギター曲に編曲し、自らも古典派風のオリジナル曲を作ったそう。だから、私にも理解できるんだろうな。ハイドンの初期のピアノ・ソナタを思わせる曲風らしいが、私はハイドンをまだ聴いたことがないから、このへん、よく分からない。ピアノ的な要素もギター曲に組み入れているという。
 
 一方で、古典派を踏襲しながらも、イタリアらしい叙情的なメロディーも保っているという。でも、残念ながら私には、何がイタリアらしいのか、またカルッリのどのあたりがイタリアらしいのか、このへんもよく分からない。
 が、愉快で楽しくて、それでいて、でしゃばらない、気取らない、高ぶらない曲だから、なるほど、こういうのをイタリアらしさの漂う古典派の曲と言うのかもねー、と勝手に納得している。 

 とにかくまた一つ、理解できる曲が増えてよかった。

 画像は、フェルメール「ギター奏者」。
  ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675, Dutch)
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バッハ 無伴奏チェロ組曲

 
 私が初めてクラシック音楽を最初から最後まで聴いたのが、バッハ(Johann Sebastian Bach)の「無伴奏チェロ組曲」。確かCDをレンタルしたんだったと思う。
 たった一本のチェロが奏でる、いかにも自然な、それでいて深みのある旋律を、私はすっかり気に入ってしまって、受験勉強のときは多分そればかり聴いていたように思う。音楽の形式も、どれがどう手が込んでいるやら修飾的やらも、分からないけれど、私にとってクラシック音楽で唯一、空気のような存在となった曲だ。

 ところで相棒は月に一度、カードのポイント2倍デーの日になると、クラシックCDを大量に仕入れに街へ行く。あるとき私は、「これも買って」と、バッハの無伴奏チェロ組曲を手渡してみた。もちろん、彼が改めてそれを欲しがるとは思ってなかったんだけど。
 が、
「この曲は、聴き逃した人間誰もが損失をこうむる、人類史上の知的遺産だね」と言って、気前よく買ってくれた。

 で、今でも私はよくこの曲を聴く。相棒によればチェロの音は、人間の声音に最も近いらしい。そう言われると、チェロの音って相棒の声に似ている。

 ナクソス・ジャパン社にヒアリング調査に出かけたとき、社長に「一番最初に聴いたクラシック音楽って、何?」と訊かれた私は、おずおずと、バッハの無伴奏チェロ組曲だと答えた。社長は眼を丸くして笑った。
「随分とまた渋い曲から入ったもんだねえー!」
 え、そうなの? バッハのチェロって渋いの? そんなことも知らない、クラシック音楽初心者だった。

 画像は、T.エイキンズ「チェロ奏者」。
  トマス・エイキンズ(Thomas Eakins, 1844-1916, American)
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