ちまいずむ

私の乳がんの闘病日記

パニック

2007年12月30日 | Weblog
病院で再手術の検査結果。

思ったよりもガンの根が深い。
乳腺というのは放射線状になっていて右の乳房の右側に何個かガン細胞が出来ているらしい。
前回の手術で摘出したところにもやはりちょっと出来ていたらしい。
もしかしたらこの先根を残しておくと再発が考えられる。

それを考えたらブースト放射線と言って通常手術後に行われる放射線治療よりもやや広範囲に放射線をかける再発リスクの高い治療と、再発リスクが限りなく少ない全摘出の2つの治療法の提案を医者から出された。

全摘出

あまりのことに目の前が真っ暗になる。
2回の手術を耐えてこの結果?

声も出ない。
死にたいとも思った。
女を捨てるわけでも無い。
後に胸は再度作ることが出来る。
でもそれは私の胸であって私の胸ではない。

私が言葉に詰まっていると付き添いで居た親が私の変わりに答えた。

「今後の事を考えるなら全摘出にして下さい」

「その方が良いと思います。じゃぁ早いうちが良いでしょう。」

そう言ってさっさと手術日を決める。

茫然自失の中、親が言う。
「ね、生きられるんだから良いでしょう?胸はまた作れるんだから。」
その時は茫然自失でうなづくしかなかった。

年明けに手術が決まって病院を後にする。
その時も何も考えられなかった。

家に帰ってから少し外に出る。

一時間位ずっと考える。
何のために手術を頑張ったの?
2回もの辛い手術。
傷も痛い。心も痛い。
頭の中ではもう色々な思いと不安とで凄い大嵐だった。

散々考えてやはり切りたくない!と思う。
そんなに簡単に切れない。
ガンが手遅れな訳じゃない。
なのに何故全摘出の選択しかないの?

意を決して親に訴える。

「やはり全摘出はしたくない。」
私は一人っ子で生まれたときから私は親より先に死ぬと言うことは出来ない。一人っ子として生まれたからには親を看取る必要がある。だから親より先に死ぬと言う親不孝だけは出来ないとずっと使命に似たような気持ちを持っていた。
でもやっぱり出来ない。
全摘出を簡単に選ぶ事は出来ない。

親とのバトルはすさまじいものだったよ。
私がパニック状態に陥る。
親も泣き叫ぶ。
私がこんな体に産んだからいけなかったと。

泣き叫ぶ親を見てもやはり全摘出の決断が出来なかった。

私は親不孝なのか・・・。
こんな体でも生まれたことを恨んだ事は無かった。
恨む恨まないとかじゃなくて切るか切らないかの話なのに。
親は泣く。
泣く親を見てどんなに辛いか・・・。

でも決断出来ない私。
リスクが高くてももう一つの放射線をかける治療に賭けたかった。
しぶしぶ親が病院に連絡を取る。

看護士が出て、手術のキャンセルともう一つの放射線の治療を聞きたいとの旨を伝える。
しばらくして主治医の先生の回答を持って来てくれた。

驚くよ。
「放射線のブースト照射はやはり薦められない」だって。
早い話がやっても良いけど知らないよって言う考えらしい。
患者の意見より主治医の意見が優先か。
「やはり他の患者さんも不安になるんですよ。もうっちょっと落ち着かせて考えさせてあげてほしい。」だって。
残念ながら落ち着いてるよ。

全摘出のもう一方の案はじゃぁ何でしょうか?
一応言ってみましたなのか。

親ももしこれ以上先生に逆らえば見捨てられるって考えてるようだ。
いや実際そうなんだろう。
患者にすればそれが一番怖い。

「私の言うとおりにすればこれから先も診てあげます。」
との甘い言葉も付いて来た。

それからが再度親との戦い。
切るか切らないか。
何故ブースト照射は出来ないと言い出したのか。

先生を信頼してと親は言っていたけれど、一度根付いた医者への猜疑心と言うか不信感は払拭出来ずに悶々としている。
セカンドオピニオンもあるけれど残念ながらガンセンターは年末年始のお休み。

もう親の為に全摘出するしかないのか・・・。

お願い。このブログを呼んでいる人・・・意見を聞かせてください。
励ましでも何でも良いから教えて。
書き込んでくれるならみんなの考えを聞かせてください。
お願いします。

苦悩

2007年12月27日 | Weblog
明日が二度目の手術の後の初診察日になる。

いつから治療が始まるのか。
摘出した部位の検査結果から転移は見られるのか。

早く回答が欲しい反面、怖くて聞きたくない気持ちもある。
まさかまた手術することにならないかな。

私の癌は遺伝では無く偶発的と言うものらしいけど、それってどういう種のものなのかな。
再発率が高かったりするのかな。

聞きたい事はいっぱいあるけれど…先生に相対してどれ位聞けるのか。

考えれば考える程に色々な考えに捕らわれちゃって困るなぁ。

不安

2007年12月25日 | Weblog
気が付くと転移や再発の事ばかり考えてる。
再手術の後の診察までの日がこんなにも長く感じるなんて…。蛇の生殺しと言う言葉を肌で感じる。
診察まではまだ後3日もある。
この所不安ばかりで眠りも浅いみたい。

二回の手術に耐えてリハビリで頑張る私を周りは強いと言う。
でも私は強くなんてない。
強がっているだけ。弱い私を見て欲しくなくて強がってばかり。
泣き叫んだり甘えたり支えになって欲しい。
でも言えないし出来ない。
甘え方が解らない。
周りは甘えられない他人ばかりだから強く生きろと教わって生きてきたような気がする。
だから私は甘え方がよく判らない。

昔、まだ中学生だった頃イジメられた事があった。
今のように凄いイジメじゃなかったけれどイジメにあった心のシコリはいまだに残ってる。
誰も信じられず自分が強くなるしかなかったよ。

あれから時が経ってイジメの記憶も薄くなりつつあるのになぁ。
心の壁は厚く作り過ぎたみたい。
厚く作り過ぎた心の壁はまだ全部剥がれない。
哀しみや怒りとかの負の自己表現の仕方がまだよく解らないんだよね。
人を見ると元気な自分、強い自分を演じることで弱い自分を閉じ込めてばっかり。

本当は誰かに支えてほしいのに。

不安と恐怖の毎日は精神的に辛い

体が参るのが先か…精神が参るのが先か…。

苦しい

2007年12月23日 | Weblog
辛いなぁ

最近頭にその言葉しか浮かび上がってこない。

気が付くと時間が過ぎていく。
生きてるのに生きてる感が無い。

もうすぐ訪れる抗がん剤の副作用の怖さばかりが頭に浮かび上がる。

どれ位の辛さなんだろう。
吐き気はどれだけの辛さなのか。

カツラは何処に行けば作ってくれるのか。
人の目も怖い。
出来れば隠れて過ごしたいのに、そんな風に過ごす財力などない。

怖い。
見えない恐怖ばかり。

揺れ

2007年12月22日 | Weblog
痛い。

夜中も悪夢で目が覚める。

言いようの無い不安ばかりが襲ってくる。

怖い。

どうなるんだろう。私の体。

もう少ししたら始まる抗がん剤治療。
髪の毛ももうすぐ抜け落ちる。
そんな中の社会復帰も怖い。

頭が痺れてめまいばかり。

助けて下さい。
この先の見えない世界が怖い。
不安ばかり。

他の乳ガンの人はどんな気持ちで過ごしてるんだろう。
こんなに不安と苦しみで生きてるのは私だけなの?

弱いのは私だけ?

自失

2007年12月21日 | Weblog
死にたい

手術が終わってから自分の胸を見た後に何度思ったか。

夜中に何度も目が覚めながら何度も思う。

死にたい。
いっそ殺して欲しい。

癌は取り除かれてもだいぶ持っていかれちゃった。
涙が止まらない。
傷の痛みより心の痛みが強い。

何でこんな体になっちゃったんだろう。
何でこんな体にうまれちゃったんだろう。

胸が残っただけましなんてふざけるな。
形成も出来ない状態の胸を見て胸が残って良かったなんてどういうこと?

女として死にたいって当たり前だ。

二回の手術で体も精神もボロボロ。

もう嫌だ。

再前夜

2007年12月20日 | Weblog
明日は再手術の日。
テレビを見ながらも焦点が合ってない感じ。

また自分から手術台上って全身麻酔かけられて、意識が戻ったときにはもう終了してる。
この間の手術と同じことの繰り返し。
そして変わる私の胸の形。
増える心の傷。

私の心の傷は一体誰が癒してくれるのか。
泣きたい自分がいるのにそれを出せないよ。
泣き叫べばちょっとは楽になるのかな。

「頑張れ!大丈夫!」
聞き飽きたよ。その台詞。
頑張って生きてきたよ。大丈夫だと思って手術も受けたよ。
でも今また手術。
本音を言えば頑張るのも疲れてる。

体力回復の為のウォーキングしてても痛くて両腕を左右に振ることさえ傷は痛いし筋を伸ばせない。
これがまた続くのか。いつまで続くのか。

財があるなら引きこもっていたいね。
引きこもっても明日の手術は受けないといけないんだけれど。
放って置くと必ず再発・転移するんなら受けなきゃしかたないけど・・・再発して私が居なくなっても誰が悲しむんだろ。
親は当然だけれど・・・友達も悲しんでくれるんだろうけど・・・居なくなった所でまた日にちは進んでいくんだよね。

少々自虐気味になる程、再手術は嫌だし怖い。
自分の体なのに段々自分の体じゃなくなってくる。
また手術台に自分で乗るのが・・・怖い。

本当にこれが最後の手術になってくれるのかな。

キレ

2007年12月19日 | Weblog
何故こんな病気になったのか。
何故こんな苦しい目に遭わないといけないのか。
左右の胸にガンが出来る患者さんは限りなく少ないと言う。
その少ない患者の一人が私。

二日間半分自暴自棄に駆られてブログが書けなかった。

傷口も痛い。
胸だけじゃない。切除された脇の下のリンパ節の腫れも引かず。
体と腕をつけることすらままならない。
ちょっとした荷物すらもてない。手も伸ばせない。腕まくりすら痛い自分に情けなさを感じる。

これは本当に私の体なの?
こんなんで社会復帰できるの?

ガンの転移は・・・しているのだろうか。
切ってみなくては判らないんだろうけれど、ようやくふさがった傷をもう一度開いて再切除の辛さを判って欲しい。

悪いところを切ればもう安心だよと、口々に言うけれど自分の体にどんどん傷が付いていくのを笑ってみていられる程の心の余裕が私には無い。
左だけでなく右もガン。
温存手術で大丈夫と気楽に言うけれど、何が大丈夫なの?
右も左も放射線をかけて、皮膚が伸びなくなる胸の何が大丈夫なの?
形も胸のバランスも何も無くなる胸は本当に胸と呼べるの?
それでも胸だよって言うなら是非同じ状態にして言ってもらいたいものである。

手術が終わったって全てが終わるわけじゃない。
ホルモン療法やら、もしかしたら抗がん剤。
もちろんそれの副作用だってある。
リンパ腺切ったらリンパ浮腫だって。
今は現れなくとも10年・20年後に現れる場合もあるそうだ。

もう辛いよ。
痛さも、腫れ物に扱うようにする親も。

でも言えないし言っちゃいけないんだろうな。

私・・・こうなる為に生きていたのかな。
そんな生って何ですか。

2007年12月14日 | Weblog
元気になってきた!
と言いたいけれど残念ながら物事はそうも簡単に行くものではない。

「再切除」

本日の術後一週間目の検査結果からの回答。
左だけではなく右側の腫瘍からも癌細胞が検出された。
この前もあったけど再度頭が痺れる感じ。

はぁ。

何かもう疲れちゃったな。
左右ボロボロですよ。
胸もリンパ節もリンパ節を切除した脇の下も。

リンパ節を切除したらリンパの流れが悪くなるからリンパ浮腫ってのが起こる可能性があるんだそうだ。
重たいものは持っちゃ駄目とか細菌が入ったりすると腫れる浮腫が起きやすくなるとかね。
ストレス解消プラス体力作りのトレーニングも出来なくなるんだな。

生きてるだけで丸儲け。

生きてるってことは大事。

確かだけれど…私は何の為に生きてるんだろ。

自分の目標が見当たらない。
恋も諦め。共として結婚、子供も諦め。

誰がこんな私を必要としてくれてるのか。

頑張ってくれてる体にはとても感謝してる。親にも友達にも先生にも。
本当にありがとうございます。

でもちょっと疲れちゃった。

誰にも言えないけどポツリと本音。

そんな下向きの気分転換と体力回復の為の散歩に出掛けた。
途中で通り雨にあう。
降水確率0%って言ってたんだけどねぇ。
トコトンついてないんだな。
意地になって雨宿りもせず半分濡れたまま散歩続行。
下向きで歩いていると周りの人がざわつき始めた。
上を見上げたらなんと虹が出始めてた。
運が良いのか悪いのか。

自分の事なのに一番自分の事が解らない。

濡れながら虹を堪能した後に虹が消える前に虹に背を向けて家路につく。
少しだけ虹を背負って帰った気分。

私は今何をしたいんだろうなぁ。


初外出

2007年12月10日 | Weblog
昨日の夜退院後ようやくお風呂に入れた。

やっぱりお風呂に入れるって嬉しい。

まだ全体的に腫れているので長湯は出来ないし、傷を庇いながらなんだけど。
腕も肩から上には上がらないからもどかしい。
腕を脇にもピッタリつけられないし。
何だか二足歩行のチンパンジーかゴリラの様な。
進化じゃなくて退化してます。

お風呂に入ってスッキリしたら家の中に居るのも気が滅入るので今日はお散歩に出る事にした。
近くのコンビニまでのちょっとした散歩だけど退院初の外出。

着替えに四苦八苦。術後って前ボタンじゃないと辛いなぁ。着替えに直面して判る。

外に出て空気を吸い込む。
コンビニに行って買い物。

当たり前の事だけど嬉しい。

読んだ本に素敵な言葉が書いてあった。

「無いものを数える代わりに有るものを数える」

もうちょっと長い文章なんだけど省略。
胸の一部は無くなってしまったけど…私には親が友達がいる。
景色を綺麗だと感じること、散歩出来て嬉しいと思う心もあるよ。
有るものいっぱい。

今日テレビの情報番組で乳ガンを扱ったものがあった。

早期の3cm以下ならば切らずに治せるんだって。
「ラジオ派熱凝固療法」
って言うらしい。

私もこれを知っていたら切らなくても済んだんだろうか。
でも不思議に心は騒がなかった。
私には信じた先生が居るし、これは…手術と言う大事はきっと私の人生の中で必要があったと思う。

負け惜しみかな。

書いてて苦笑い。

誰か読んだ人が私のブログを見て治療法の一つに気が付いてくれたらいいなと思う。
切らずに治せる方法もあることを知ってくれたら…私のように涙する人が減ってくれたらと願う。

手術する前にある人から言われた言葉を思い出す。

「辛いけど人の哀しみが判るようになりますよ。」

さり気なく言われた言葉だけど、今染み入る様に解ります。

みんな凄いなぁ。