えんじゃけん

『悪女の一生~芝居と結婚した女優・杉村春子の生涯~』

第3夜 11月26日(土)21:00~23:14
「悪女の一生~芝居と結婚した女優・杉村春子の生涯~」。

さて、最終話を見た。
三夜連続ということだったんだけど、
一話、一話との間がもう少し間があってもよかったのかなと思った。
でも、三話連続にすることで、昭和や大正を生きた女性の
生き様をそれぞれに比べて感じられていいのかなとも思う。
もし、これが今夜もあったらさすがにもう疲れるけど。
そういう意味でも三夜というのは丁度いい選択だったのかも知れない。

杉村春子の物語を見ていても思った。
やはり、「強い意志」と彼女を「支える人たちの存在」。
これらはキーワードなんだろう。
あと「死」について三夜のどの物語にも取り上げられていて、
誰もが死に対して、特別な思いを抱いているんだなと感じた。
「死」が「無」になることへの恐れ。

死んでも死なない。
人の心の中に行き続けている。

もしかしたら、これは自分勝手な慰め的な考え方かもしれない。
そうとでも考えないとやるせないからそう考えるのかも知れない。
やはり、好きな人には会いたいと思うだろう。
心の中ではなく、実際に会いたいと思うだろう。
会って笑って欲しいし、楽しんで欲しいし、
様子が知りたいし、変化を知りたいし、
今、ここに実在しているということを確かめたい。
でも、残された人は生きていかねばならないから、
いつまでも悲しみに浸ってはいられない。

杉村春子は自信過剰で高飛車な女の子だった。
芸者が芸をする家で金に不自由することなく育った。
父親は早くに亡くなり、母親一人で育ててくれた。
母一人でも金持ちの通う女学校へと通わせてもらえた。
しかし、両親だと思っていたその両親は実の両親ではなく、
自分は芸者の娘で、捨てられた根無し草のような人間なんだと
いうことを女学校時代に担任が彼女に嫉妬して授業中に言う。
春子はそれでその事実を初めて知る。
それによって、それまで親しくしたり、持てはやしてたりしていた
周りの人間は「芸者の捨て子」ということで冷たい態度となる。
態度が急変するのだ。
彼女が自信過剰だったので、もともと嫌な感情を抱いている人も
多かったのかも知れないという注釈が入っていたが、それにしても
学校なのに、冷たく無責任な社会が縮図されているようだった。
本当の友達はいなかったということだ。
しかし、その当時、文通をしていた彼だけはそんな彼女を受け入れていた。
「根無し草なんかじゃない。春子さんだったら白鳥になれる。」と。

春子は女学校のみんなを見返したくて、東京の音楽大に行って
声楽を学びたいと母に訴えるが、反対をされる。
その当時の女一人での東京は、今の外国での一人暮らしに当たるくらいの
大ごとだったらしい。
でも、反対を押し切って彼女は東京に出て、音大を受けるが、不合格。
その帰りにふらっとたちよった芝居小屋。
そこで彼女の人生が大きく変わる。
彼女はそれをきっかけに女優になろうと思うのだ。

彼女は、劇団で女優としてどんどんと力をつけていく。
次第に大きな役ももらえるようになってきた。
そんな矢先、彼女は生涯三人の男性と付き合うのだが、
最初付き合った男性(学生時代文通をしていた男性)との間に子どもを授かる。
しかし、彼女は結局は下ろした。
看板女優になれるかなれないかの大事な芝居が控えていたからだ。
彼も相当落ち込んだ、もちろん春子も。

「何かを得ようとするならば、何かを捨てなければならない。」

とその付き合ってた男性が自分を納得させるためにも彼女を慰める
ためにもいう台詞があるんだけど、私も多少、そう思うところはある。
しかし、実際はどうなのだろう。
犠牲を払わなければ、夢はかなわないのだろうか。
私の友人には「両方手放さない方法を考える。」という人がいる。
もし、そうできるのであれば、そうであるのが一番よい。
初めっから「何かを得ようとするならば、何かを捨てなければならない。」
といった考え方をするのはもったいないことだと思う。
しかし、両方を手に入れることができないとあれば、
優先順位をつけて順位の低いものを諦めなければならないこともあるだろう。

成功する人というのは何かしら、強い挫折を味わった人が多いように思う。
そして人よりも悔しい思いをした人が多いように思う。
それらが彼女たちの情熱を掻き立てるのだろう。
もしかしたら、同じ経験でも他の人だったら彼女たちほど、
情熱的にはならなかったのかも知れない。
三夜出てきた女性たちはとにかく感情の起伏の激しい人ばかり。
どうなんだろう、女性はそういうものなんだろうか?
それとも、彼女たちが特別なんだろうか。
女性は男性より感情の生き物とはいうけれども、
どこまで感情的な生き物なんだろう。

杉村春子は題名では悪女の一生となっていたけど、
全然悪女ではなかった。
むしろ、それは世間が面白おかしく作り出したイメージ。
しかし、それを杉村春子がそれに反発するでなく、自分でもそう言って
いるだけであり、強がっているだけだし、愛(家庭)より芝居を選んだ
自分や、不倫をしてしまった自分を申し訳なく思う気持ちからそう出て
しまうのかも知れない。

三夜ともどの女性も、一見強そうだけど、内面は繊細で寂しがりやな人だった。
支えがあったからこそ、強く生きることのできた人たちだと思う。
きっと、繊細だからこそ、手を差し伸べる人がいたのだろう。
そして、繊細だからこそ、感情の起伏も激しかったのだろう。

三話見て共通して思ったけど、人のうわさほど信用ならないものはないなと。
うわさを鵜呑みにだけはしないようにしたい。
人は残念ながら不幸な噂が好きな生き物だからそれに飛びつきたがる。
人の不幸を知って自分の幸せを確かめようとする生き物だから。
本当はそんなことでは幸せは得られないのだけど。

「本当のことは当人たちにしか分からない。」

これは瀬戸内寂聴のドラマで出てきた言葉。
本当にそうだと思う。
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