えんじゃけん

セカチュー第三話を見て思ったこと。

最近、書きたい事がたくさんあるんですよね。
でもどれも中途半端なものだから、書いてるうちに、
「あ、やっぱこっちの話題にしよ~」とか、
「これも面白いよなぁ」とか、
「あ、これが繋がるじゃん」とか、
そんなことしているうちに
「あ~、面倒だなぁ。バッと一遍に伝わればいいのに~。」
と投げ出してしまう事しばしば。

でも、一個ずつ片付けていくしかないんでしょうね、
この書きたい気持ちからくるもやもや(^^;)。

今日はセカチューをたまたま見ました。
ドラマの第三話だったと思います。
おじいさんが死んでしまう回なんですけど、
前後が分かりませんでしたが、泣けました。
その後、第四話が引き続き放送されていたんですけど、
もう第三話で満足してその続きを見なかった私(^^;)。

第三話の中でいい台詞があるんですよね。

『世界で一番美しいものを見た。
 世界で一番優しい音を聞いた。
 世界っていうのは、抱きしめてくれる人のことで。
 その腕の中は、暖かくて。
 お祖父ちゃん、好きな人を亡くすのは、だから辛いんだよ。 』

とくに「世界っていうのは抱きしめてくれる人のことで」
ってところがいいなぁと思ってみていたんですよね。
それで「世界の中心で、愛をさけぶ」って抱きしめてくれる人の
中でさけぶことなんだ~、いいねぇ、とか思っていたんですけど、
○ー○○○○○で叫ぶんですね(^^;)。
その後、セカチュー関連HPを見て知りました。
あぁ、でも多少は抱きしめてくれる人も掛けているのかなぁ。
やっぱ、全部を見ないとなんとも言えませんね。

私も初めて人に抱きしめてもらった時っても随分昔の話だけど。
その随分昔の話の頃の自分はすごく自己否定が激しい人でした。
だから、受け入れようとしてくれる人ができると、
よく不安定になっていました(^^;)。
自分に自信ないから、不安定になってしまうんですよね。
不安定になって、私が人を受け入れられない理由とか、自分が嫌な理由とか、
なんだかんだ理由を言っていると、優しく抱きしめてくれた人がいて、
その時、自分の身体全てが昇華されるような、
そんな気持ちになって、涙が自然と出たのを覚えてます。
人前ではあんまり泣かないんですけどね、私。
言葉よりも説得力があってとても嬉しかったです。
その時、相手がすごく神々しく見えたもんなぁ。
けど、今だそれをうまくは表現できないけど。
読んでいても「ん?」「はぁ?」って感じだよね、きっと。(^^;)
だから、こういった(「抱きしめてくれる人」=「世界」)表現の
仕方もあるんだなぁと、このセカチューを見て思ったわけです。
いつか、自分なりの方法で表現できるといいなぁと思っている
一つのテーマでもあります(^^)。

実際、抱きしめるって行為は人にとってすごく大切なもので、
子ども時代に沢山抱きしめてもらえるか、もらえないかで、
自己肯定できるかできないかが別れるそうです。
もちろん、沢山、抱きしめてもらって大きくなる方が、
自己肯定的人間に育ちやすいそうです。
けど、まぁ、という傾向があるってだけで、絶対ってわけではないですが。
でも、私もその説はそうかもなぁと思うことではあります、経験上。
なんでそうなるのかは、よく分かりませんけど。

あ、そうそう。
昔はそんなでしたが、今は「あの頃の鋭さはどこに行った?」と言われるほど、
ボケボケですけど。且つ、「あなた、動じないわね~」と言われる程、
のほほんとしているように見えるようですけど(-_-)。
一応、神経はそんな図太くなくて繊細なんだけどなぁ。・・・多分(^^;)。

ファンサイトなんですけど、ここよくまとまっていておすすめ。
一気にどんな内容なのかよく分かります。
■『「世界の中心で、愛をさけぶ」ファンサイト』
http://www.alived.com/ai/
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事