えんじゃけん

鬼太郎で涙!!

今日は1日、映画館はファン感謝デーですよ。
ということで、「大日本人」行こうどうしようか悩んでいたんだけど、
1000円だし、行こうということになりました。

それで、まだ行くのに少し時間があるので、
「ゲゲゲの鬼太郎」を見ていたんですけど、
泣いてしまいました。(汗)
どうも、友情もの人情ものに弱い自分です。
今日は、ねずみ男が牛鬼に体をのっとられて、それを
救うのに、鬼太郎が身代わりになって牛鬼とともに死ぬことで
牛鬼を倒そうとするんですけど、ねずみ男が、
「俺なんかよりもみんなの役にたっているお前が
なんで俺の身代わりになるんだ?」
みたいなことを言うんだけど、そのときに、
「たしかに誉められた性格ではないけれでも、
ねずみ男はぼくの友達だから」
というんですよね。
ここで、ウルっときたんですが、ラストでもっときました。
目玉親父がかつて牛鬼を封印したといわれるカルラに
お祈りをするんですよね。
「姿をあらわし、鬼太郎をお救いください。私の命はかまわないので。」
しかし、カルラは姿をあらわすことなく、鬼太郎は火山の火口に牛鬼に
のっとられた体で身投げするんですよね、自分の意識があるうちにって。
「間に合わなかったか・・・」
とがっくしする目玉親父。
また、ねずみ男も猫娘もがっくしして悲しみにくれてたんですけど、
そのときに、ねずみ男が足をすべらせ、火口に落ちかけ、それを
救おうとした猫娘共々、火口に向かってまっさかさま。

するとね、鬼太郎のちゃんちゃんこが二人を救うんです。
そう、鬼太郎が火口からもどってきたんです。
どうして、助かったかは分からないと鬼太郎。
ただ、火口の中で、姿は見えないけど声が聞こえたらしく、
「よい、息子想いの父と友達をもったなぁ」みたいな声が聞こえたと
鬼太郎がいったんです。
もう、ここで、泣きましたね。

昨日のライアーゲームの感想とつながるけど、
やっぱ、人を信じたり、大切に思うって素敵なことだなぁって。
そういうのにすごく泣いてしまうのはどうしてなんだろう?
どういう気持ちから泣いてしまうんだろう?

あとね、カルラが最後に透明な姿で天を飛んでいたんだけど、
いわゆる神って姿は見えないってこともそこに伝えているのかなぁって。
誰もみてないからいいだろう・・・って考えって今結構多いのでは
ないかなぁと思うんですよね。
でも、そうじゃなく、誰も見ていないようでも見ているものなんだよ、
ってことを子供に伝えたかったのかなぁって。
(実際、自分自身はいつも自分の行動を見ていますよね)
見えるものだけが全てじゃないんだよ。
見えなくとも存在するものはあるんだよって。
そういう心って大切だと思うんですよね。
神がいるとしたら、私は人の心の中だと思っているので、
・・・神は人が作り出したものだと思うので。
自分の動き方しだいでしょ?全ての成り行きは。
どんな状況になろうとも、選択権は自分にあるわけだから。
周りに強制されるといってもその強制を受け入れているのは
自分自身であるわけだし。
って、話がそれまくっているけれども、
見えないもを信じる心ってのも大切だよなぁって
その漫画を見ながら思ったのでした。
信じる何かを持っている、持っていないとでは、
ずいぶん、精神面でも強い弱いの差があると思うんですよね。
それは神に限らなくてもいいと思います。
信じるものがあるということ、つまり信念があるということ。
なんとなくですけど、私は生きている意味のひとつは、
そういった信念探しかなぁって。

話が長くなりました。
では、評価が賛否に大きく割れているという、「大日本人」を
見てきます!!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事