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有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その3 善福寺

2018年10月03日 05時02分24秒 | 神戸情報

有馬温泉の散策記の第3弾として善福寺について記していきます。
訪問日:2018年9月25日

過去の散策記

第1回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

第2回 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その2 袂石(たもといし)

有馬温泉散策記の全部のブログは下記ブログにリンクしています。

 有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その12(最終回) 親水公園 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

善福寺は僧行基(天平勝宝元年(749)に寂)が有馬温泉の温泉寺を開いた時、
「落葉山 水月庵」として開祖(その当時は法相宗)し建久2年(1191)吉野の僧
仁西が再興した有名な寺です。
境内には樹齢270年を超える4本の枝垂しだれ桜があり、「糸桜」いとざくらと呼ばれ
桜の時期には賑わうようです。

善福寺の境内についてはデジカメのバッテリーがあがる寸前であまり写真を撮れていません。

善福寺の基本情報

住所:神戸市北区有馬町1645  TEL:078-904-0127
宗派:曹洞宗  山号:光徳山 御本尊:一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)
開山:神亀4年(727) 行基により開山
再興:建久2年(1191) 仁西が再興
年中行事:4月に桜まつり 11月2日-3日に 有馬大茶会(献茶会)
文化財:木造聖徳太子像(重文)、阿弥陀堂釜、豊臣秀吉北政所寄進状


本堂


上の写真は正面側から撮った本堂


上の写真は裏側(落葉山 妙見寺への参道)から撮った本堂 


利休居士供養塔



現地説明板




善福寺由緒について要約して記載していきます。

善福寺は僧行基(天平勝宝元年(749)に寂)が有馬温泉の温泉寺を開いた時、
「落葉山 水月庵」として開創した法相宗の寺であった。後に建久2年(1191)
吉野の僧仁西が有馬温泉を再興した時、温泉寺と共に水月庵も再興された。

本尊は一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)である。インドの月蓋長者が閻浮檀金で
鋳造した仏像。伝来して新羅王より聖徳太子に贈られた。後に多田源氏の祖源満仲が
念持仏として祀らせ多田院に安置させたものを、正慶2年(1333)善福寺本尊として
購入した。(善福寺縁起)。寺号を善福寺としたのはこの頃と思われる。
宝徳4年(1452)相国寺の僧瑞谿周鳳(ずいけいしゅうほう)の「温泉行記」には、
善福寺と記す。

(中略)

秀吉は有馬温泉を好み、入湯は十度を越えている。温泉寺の三院の一つ蘭若院阿弥陀堂や、
その本寺であった善福寺へは秀吉や北政所による所領安堵、寄進があり、善福寺住僧は
湯山代官の一人であり、一の湯の燈明寺として温泉寺や温泉の管理寺であった。

曹洞宗に改めたのは、太清宗灌の本願により、永平寺の末寺、宇治市興聖寺5世
万安英種を勧請した17世紀初頭である

(中略)

現在の本堂は宝暦7年(1757)上棟で神戸市の歴史的建造物、樹齢200年を越える
「糸桜」は一重の花びらのしだれ桜で、神戸市の銘木に指定されている。



古写真など

上の写真は明治中期の有馬温泉郷 善福寺は右手の真ん中あたり(落葉山の麓)


上の写真は寛政年間(1789-1801)に刊行された摂津名所図会で描かれた善福寺
中央部分に善福寺が描かれています。

木造聖徳太子像

上の写真は木造聖徳太子立像(南無仏太子像) 神戸市立博物館に寄託
国指定 重要文化財(彫刻)大正3年(1914)4月17日指定
鎌倉時代に製作 木造 寄木造り 像高68.5cm ト書:法印湛幸ノ胎内銘アリ
出典:神戸市立博物館編 第3回特別展 神戸の文化財(1983) Page56

阿弥陀堂釜

上の写真は阿弥陀堂釜で明治の廃仏毀釈で阿弥陀堂が廃寺となり阿弥陀堂より善福寺
に移動されたものです。

阿弥陀堂釜は秀吉が利休に命じ、天下一与次郎に阿弥陀堂住持澄西
(文禄4年(1595)寂)の大頭に模して作らせた。秀吉好みの大振り荒肌の茶釜であり、
大名、武将に好まれた阿弥陀堂釜の原型である。

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