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おちょやんのモデル浪花千栄子の実像

2020年12月06日 04時22分54秒 | Weblog

2020年11月30日(月)よりNHK朝ドラ「おちょやん」がスタートしました。

おちょやんのヒロイン竹井千代のモデルとなったのは「大阪のおかあさん」として

愛された浪花千栄子(本名:南口キクノ 1907-1973)だそうです。

「おちょやん」は前作の「エール」と同じようなスタイルで月曜から金曜日までの

5回の番組と土曜日に今週のレビューをする方式が踏襲されます。

今週の「おちょやん」のテーマは「うちは、かわいそやない」です。

 

今週のおちょやんレビュー

まずはドラマの主人公「竹井千代」(杉咲花)の紹介 下の写真

 

今週と来週の千代は子役の毎田暖乃が演じます。

上の写真は竹井千代の子供時代を演じた毎田暖乃 手前は弟のヨシヲ

時代は大正6年(1916) 黒子(語り)は桂吉弥が演じています

場所は河内(現在の富田林市)

千代の家は養鶏場で生計をたてていた。(上の写真)

千代の生母は千代が5歳の時に死別(上の写真は生母と5歳の千代)

上の写真は千代の父テルヲ(トータス松本)が千代の継母にあた栗子(宮澤エマ)を

連れてきて千代(毎田暖乃)とヨシヲを奉公に出すことを画策。

その結果、千代の必死の願いで千代だけが奉公に出されることになります。

今週は竹井家を巡るドラマが展開されました。原作・脚本は八津弘幸。

佐川満男さんや正司花江さんが出演されていたのが印象に残りました。

来週のおちょやん

来週の「おちょやん」のテーマは「道頓堀、ええとこや~

12月7日(月)放送予定 第6回

奉公に出された竹井千代(毎田暖乃)は、道頓堀にある芝居茶屋・岡安にやってきた。

竹井千代(毎田暖乃)。目に映るもの全てが、華やかな世界だった。芝居茶屋・岡安を

取り仕切る女将の岡田シズ(篠原涼子)から、ひと月の間に「お茶子」と呼ばれる

女中の仕事を全て覚えるよう、条件を出される千代。いざ働き出すと、炊事、洗濯、

お使いとお茶子として覚えることは山ほどあった。目の回るような忙しさの中で

道頓堀を駆け回る千代のお茶子修行の日々が始まったのだった。

さらに、初日早々から千代は怒声を浴びる。

 

12月8日(火)放送予定 第7回

道頓堀でのお茶子修行は失敗の連続。ひと月で仕事を覚えなければ、女将のシズ

(篠原涼子)に岡安から追い出されてしまう…。

そんな不安の中で始まった千代(毎田暖乃)は、シズの娘で同い年のみつえからは

説教を受け、岡安のライバル福富の女将の菊(いしのようこ)には門前払い。

かめ(楠見薫)を中心とする岡安のお茶子の先輩からは、面倒なことを押しつけられる

日々。気がつけば、風呂屋にも間に合わず、一日が終わる…。

 

12月9日(水) 放送予定 第8回

芝居の街・道頓堀で、一、二の人気を誇る喜劇の天海一座が岡安にやってきた。

その一座の子役・天海一平(中須翔真)と出会う千代(毎田暖乃)。

一平は、酒飲みで女癖が悪い自分の父・天海の事が大嫌いだと話す。その言葉に

共感を覚える千代。そんなある日、客の弁当を届けに来た千代は、初めて芝居と

いうものを目にする。舞台の上で演じていたのは、高城百合子(井川遙)という

女優だった。その姿に、千代の目は釘付けになる…。

 

12月10日(木) 放送予定 第9回

女優・高城百合子(井川遙)の美しさと情熱的な演技に、魅了された千代(毎田暖乃)

は、手に入れた台本で、文字の勉強を少しずつ始める。そんなとき、一平の父、

天海が突然、亡くなってしまう。劇場では盛大な葬儀が行われた。鶴亀株式会社の社長、

大山鶴蔵(中村鴈治郎)は、一平に二代目を継がせるよう一座の面々に伝える。

一方、千代は隣近所だった小林と道頓堀で遭遇。父テルヲ(トータス松本)たち

家族の近況を聞かされ愕然とする…

 

12月11日(金) 放送予定 第10回

岡安の女将シズ(篠原涼子)から大切な使いを頼まれた千代(毎田暖乃)。途中で

一平と出会い帰りが遅くなったことで贔屓(ひいき)の客を怒らせてしまう。

お茶子失格となり岡安を翌朝出て行くことに。この時、岡安の誰もが千代の

父テルヲ(トータス松本)が夜逃げしてしまい、千代には帰る家が無いことを

知らなかった。道頓堀以外、どこにも行く宛の無い千代。ようやく居場所を

突き止めたのは、シズの母親のハナ(宮田圭子)だっ

 

浪花千栄子の実録

いよいよ、ここからは竹井千代のモデルとなった浪花千栄子の一生を調べてみました。

まず、Wikipediaより浪花千栄子の一生を引用紹介します。


浪花 千栄子(なにわ ちえこ、本名・南口 キクノ(なんこう きくの)、
1907年(明治40年)11月19日 - 1973年(昭和48年)12月22日)は、日本の女優。
昭和初期から後期(1920年代後半?1970年代前半)に活動した。


大阪府南河内郡大伴村大字板持(現・富田林市東板持町)に、養鶏業を営む家に生まれる。
8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出される。その後、京都で女給として
働いていたが、18歳のとき、知人の紹介で村田栄子一座に入る。間もなく舞台にも
立つようになるが、不入りが続き、東亜キネマ等持院撮影所に移る。
香住 千栄子の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)に山上伊太郎の初シナリオ
による大作『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来順調に役をこなしていく。
その後、市川右太衛門、市川百々之助に招かれて帝国キネマにはいり、芸名を浪花 千恵子
に変えて、映画出演を続けたが、給与未払いなどもあり映画界から足を洗う。

1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に参加。1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外、
曾我廼家十吾らが旗揚げしていた松竹家庭劇に加わる。同年、2代目天外と結婚し、
松竹家庭劇、および1948年(昭和23年)に2代目天外らが旗揚げした松竹新喜劇の看板女優
として活躍する。しかし、2代目天外と新人女優九重京子との間に子供が生れたのを
きっかけに離婚し、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団する。

芸能界から身を引き、同業者にとっては行方不明同様になっていたが、NHK大阪放送局の
プロデューサー・富久進次郎が浪花を捜索。その富久に請われて、NHKラジオの
『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演し人気を博した。
『アチャコほろにが物語 波を枕に』を経て、引き続き『お父さんはお人好し』にも
二人で出演、これが長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により映画化もされた[1]。

同時に映画出演も続き、溝口健二監督の『祇園囃子』で茶屋の女将を演じ、ブルーリボン
助演女優賞を受賞して以来、溝口監督や木下恵介監督らに重用される。この時期の代表作に、
森繁久弥と共演した『夫婦善哉』(1955年)、黒澤明の『蜘蛛巣城』、
内田吐夢の『宮本武蔵』、小津安二郎の『彼岸花』などがある。
京都嵐山の天龍寺内に旅館「竹生(ちくぶ)」を開き、養女とともに経営[2]。開業直前には、
溝口監督に頼まれて『近松物語』(1954年)で共演する香川京子を旅館に預かり、
着物の着こなしや立ち振る舞いを指導した[3]。

テレビドラマでも『太閤記』、『細うで繁盛記』などに出演した。

1973年12月22日、消化管出血のため死去。66歳没。没後、勲四等瑞宝章受章。

 

南口キクノ(浪花千栄子)は父の南口卯太郎と母、南口キクの長女として明治40年(1907)

11月19日に生まれました。父は大変な女好きで、1か月家に帰ってこないこともしばしば

南口キクノ(浪花千栄子)は小さい弟を抱え、家に食べ物がなくて近所の池で菱の実を

とって飢えをしのいだこともあったとのこと。まだ幼かったキクノは不在がちな父に代わり

養鶏の世話や、弟の世話、家事などを一切引き受け、学校にも通わず働き続けていました。

キクノが8歳の時に、父は富田林の居酒屋で仲居をしていた女性と再婚。

このあたりはNHK朝ドラ「おちょやん」でもそのまま採用されています。

 

浪花千栄子の人生を簡潔に紹介したYoutube動画や浪花千栄子出演のYoutube動画を

Gooブログで共有させていただきました。

朝ドラ「おちょやん」103回作品 モデル女優、浪花千栄子の人生を紹介

朝ドラ「おちょやん」杉咲花・竹井千代のモデル浪花千栄子の人生を紹介【元NHKフリーアナウンサー島永吏子】

 

「二等兵物語 死んだら神様の巻」(1958年)より

二木てるみ 浜田寅彦 浪花千栄子 伴淳三郎 花菱アチャコ が出演

 


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2 コメント

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Unknown (有重裕司)
2021-04-14 15:41:44
千代の弟のヨシヲは、戦地で、慰問に行っていた寛治が敵の兵隊に撃たれる(寛治は花札に勝って浮かれていた)のを庇って、銃に撃たれて戦死すんだよ!それで寛治が起き上がると、倒れているヨシヲがいて、『噂で聴いている寛治やろ?うちの姉ちゃん、千代って言うねん!会ったらこれを・・・』ってビー玉を握っていた手から出すと、寛治はそれを取って『必ず千代さんに』と言うも微笑んで息を引き取るヨシヲを目の当たりにすんだよ!だから、寛治は千代と一平に『ヨシヲさんがいなかったら』って、今日の最後に言うんだよ!
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コメント御礼 (CHIKU-CHAN)
2021-04-14 17:49:33
丁寧なあらすじ解説をしていただきありがとうございました。
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