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雲崗石窟

2021年06月07日 05時42分01秒 | バーチャル探訪

2021年6月4日、NHK Eテレ 高校講座「世界史」で中国南北朝時代に儒教から

仏教が台頭してきておりその象徴的な遺跡として雲崗石窟の石仏像が紹介されました。

そこで、雲崗石窟をバーチャルで訪問すべく写真を中心紹介していきます。

雲崗石窟は中国、山西省大同市のの西15キロメートル、武州川の北岸の断崖につくられた
北魏の石窟寺院。2001年に世界遺産の文化遺産として登録されている。
石窟の全長は約1キロメートル。敦煌石窟、竜門石窟とともに三大石窟と称され、
大同石仏としても知られている。大小53窟あり、東方石窟群(第1~第4洞)、中央石窟群(第5~第13洞)、西方石窟群(第14~第53洞)の3部分に分かれている。

北魏の和平年間(460-465年)に、当時の僧、曇曜(どんよう)和尚により彫られた。力強く、重厚かつ素朴な中国西部地方の情緒を有している。中でも第20 番石窟の座仏像は高さが13.75m、北魏の皇帝をモデルにした巨大な如来像。がっちりとした体格で、袈裟は右側がはだけており、丸々とした輪郭に、薄い唇、高い鼻が特徴的で、雲岡石窟の代表作である。

上の2枚の写真は上述した第20 番石窟の座仏像 出典:高校講座「世界史」

雲崗石窟の5体の大仏は北魏の皇帝に似せて作られたとも言われ曇曜五窟ともいう。

この曇曜五窟の仏像は、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃く残っており、ガンダーラ美術の伝播を伝える重要な史跡である。

雲崗石窟に現存している洞窟は254個で、主要な洞窟は45基で、造像は約51000体くらいで、中国の仏教芸術の頂天と称することができる。


この石窟寺院群は当時、霊巌寺と呼ばれていた。現在では石仏寺あるいは大同石窟とも呼ばれている。雲崗の石窟寺院群は、北魏(386~534年)の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して、その裁可を受け、460年頃に建設が始められたものである。石窟の建設は、孝文帝が大同から洛陽に遷都した494年頃まで続けられ、その後の石窟寺院の造営は、河南省洛陽市の南郊にある龍門石窟(世界遺産)に引き継がれた。

上の写真は南北朝時代の中国 北魏(北朝)は黄河流域に発展した国である。

雲崗石窟の最大の石窟は高さ25m、幅42mの第3窟である。この雲崗石窟は1902年、東京の築地本願寺の設計者として知られる、日本人建築史学者の伊東忠太(東京帝国大学工科大学助教授)によって発見され、一躍注目を集める存在になった。

英名はShanxi Yungang Grottoes。ユンガンシークーともいう。

雲崗石窟の所在地Google地図

上の2枚の写真は雲崗石窟のある山西省大同市のGoogle地図

 

Googleストリートビューの写真

 

Youtube動画で紹介された雲崗石窟

山西大同雲崗石窟一

山西大同雲岡石窟

Shanxi Yungang Grottoes 雲崗石窟

20130531《殷瑗小聚》中國美術史--雲崗石窟 (蔣勳)

《天下大同》第四集 云冈石窟 | CCTV纪录

コメント
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