夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

見れども飽かぬ

2015-09-23 21:07:06 | 日記
連休の最終日ではあるが、今日も午後から研究室に行き、来月に迫った学会での発表の準備。
昨日今日でようやく、自分の真に伝えたいことを明確化し、ある程度形にすることができた。
後は当日、会場のみなさんにきちんと伝わるように表現を工夫し整え、自信を持って発表できるよう、繰り返し練習することが必要だ。


今日の米子は、日中かなり暑くなったが、やや雲が多く、夕方の空は昨日とはまったく趣が違った。毎日見ても見飽きない眺めは、まさに神からの贈り物のように思える。

  毎日の眺めとなれど大山は様(さま)変はりつつ飽くこともなし

大山の夕映え

2015-09-22 21:26:15 | 日記
週末は陸上部の引率で二日間、朝から夕方まで学生たちの出場する競技を観戦していた。
一日目は雨がちの寒い日、二日目は天気はよいが風が強く肌寒い日で、暇な時間があったら少しは書き物でもしようかと思っていたが、外で過ごしている限り、思考力ゼロの状態であった。

一昨日の夜、職場の同僚に誘われて飲み会に行ったが、ビールもハイボールも(最近はアルコール度数の低い酒しか飲まないことにしている)美味しくないし、カラオケに行っても声が出ないしで、何だか変だと思ったら、翌朝起きて、風邪をひいていることに気づいた。先週末は寮の宿直もあったので、疲れがたまっていたらしい。

今日の午前中までゆっくり寝て、野菜中心に軽い食事を摂って過ごしたら、体調は元に戻っていた。
体調がよいと、頭脳も活発に働き、読書も書き物もはかどるという当たり前のことを、今更のように実感した。


夕方、研究室の窓から大山の夕映えが見えた。地元に住んでいても、これだけきれいな姿は、そうしょっちゅう見られるわけではない。
今でも時々、こうして米子にいることが信じられないときがあるが、それでも自然の美しい町で暮らせる幸せは日々実感している。

平家物語絵巻展 Ⅱ 続き

2015-09-20 17:59:48 | 日記

この展覧会の目玉は、日本で唯一、『平家物語』の全文章を収めた林原美術館蔵『平家物語絵巻』を実見できるというだけでなく、館内でその高精細デジタル画像を見ることができる点にもある。

これは、林原美術館と関西大学との共同研究により、世界トップクラスの技術で、『平家物語絵巻』の超高精細画像を作成したもので(巻十一上のみ)、館内に置かれたパソコンの画面を指で触れるだけで、自在に画面を操作しながら絵巻の画像を鑑賞することができる。

大型のプロジェクターに映し出して絵巻の画面を眺めることも可能で、40倍ほどまで拡大することにより、従来はわからなかった細部まで鮮明に見ることができるのは感動ものである。

たまたま私が行ったときは、美術館のスタッフの方がそばに付いて、色々解説してくれたのだが、たとえば、屋島の戦いで那須与一が扇を射落とす有名な場面では、与一の矢が当たったことにより、ちぎれた扇の一部が波間に漂っているところまでが確認できるのである。

詳しく見たい微細な部分も、タッチして即座に拡大することができるし、原画で2㎝ほどの人物の頭部を40㎝ほどまでクローズアップしても、画像はクリアなままなので、研究に役立つのはもちろんだが、これを教室に持ち込んで学生たちに説明してやったら、彼らがどれだけ喜び、古典に興味を持ってくれることだろうと思った。

元来、技術というものはこのようにして活かすべきものだ。
このプロジェクトの場合は、パナソニックが技術協力してくれたらしいが、私も絵巻や歌仙絵をデジタル画像化し、授業などで利用したいと思わずにいられなかった。

平家物語絵巻展 Ⅱ

2015-09-19 23:25:10 | 日記
先日、岡山に行ったのにはもう一つ目的があって、林原美術館で開催中の特別展「すべて魅せます 平家物語絵巻」のPARTⅠに引き続き、PARTⅡをぜひ会期中に観ておきたいと思ったのだ。(9/23まで)。


PARTⅠが勇壮な合戦の場面を多く展示していたのに対し、PARTⅡでは、妓王(ぎおう)や小督(こごう)といった女性にまつわる秘話や、平敦盛・平教盛(能登殿)の最期など、『平家物語』に彩りを添える人物にスポットを当てての展示ということであった。

平家全盛時にその専横の犠牲になった者や、平家の滅亡と運命を共にした者たちの哀話が多く、彼らが詠む和歌が、彼らの内面の悲嘆を見事にかたどっていた。

以下、私が特に印象に残ったものをいくつか紹介する。

清盛の寵愛を受けていた白拍子の妓王が、清盛の心変わりで屋敷から立ち退きを命じられ、悲嘆に暮れて障子に和歌を書き付けた歌。

  萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはで果つべき(絵巻巻第一上巻)

以仁王と共に平家打倒の兵を挙げながらも、宇治平等院で戦に敗れ、源頼政が詠んだ辞世の歌。

  埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける(絵巻巻第四下巻)

平家が滅びて数年、出家し大原で隠棲生活を送る建礼門院(平徳子)のもとを、後白河法皇が訪れ、涙ながらに昔今の話をしあって帰った後に、建礼門院が詠んだ歌。

  いざさらば涙くらべむほととぎすわれも憂き世に音(ね)をのみぞなく(絵巻巻第十二下巻)

「おごれる者は久しからず」とは言うが、我が世の春を謳歌した平家が、二十年ももたずに滅亡した過程を読みたどることほど、「盛者必衰の理」を痛感させられることはない。
日本人の生き方や物の考え方に、源平の盛衰や『平家物語』がどれだけ影響を与えてきたかを考えずにいられなかった。

文化人たちの筆の世界

2015-09-17 21:28:33 | 短歌
先日、岡山に行ったとき、岡山・吉兆庵美術館に「文化人たちの筆の世界」を観に行った。
米子ではなかなかこうした文学・美術に関する展覧会が少ないので、美術館の多い岡山が羨ましい。


本展は、明治・大正という激動の時代を生きた小説家・歌人・詩人・俳人・工芸作家・政治家など、様々な分野でその才能を発揮した文化人たちを取り上げ、その人物の偉業や作品に隠されたストーリーを紹介するものである。
解説には、書に記された筆遣いや字の特徴は、その人の性格や癖、ひいては人生観や世界観をも表すと言われる、と書いてあったが、まさに書は人なりで、勝海舟や伊藤博文など、昔の政治家は書もまた立派なのに驚く。

私の関心は、どうしても歌人に傾きがちだが、与謝野晶子の短歌にはやはり心惹かれる。

  かまくらや御仏なれど釈迦牟尼(むに)は美男におはす夏木立かな
  あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば

前者は軸、後者は短冊だったが、晶子の自筆短冊なら、高くてもぜひ買い求めたいと思ってしまう。

短歌の短冊には他に、

  かにかくに祇園は恋し寝るときも枕のしたを水のながるる(吉井勇)
  霧雨のこまかにかかる猫柳つくづく見れば春たけにけり(北原白秋)

などがあった。

時々、近代の作家を研究している人が羨ましくなるのは、自筆の原稿や短冊、書簡等が、自分でも手の出せる価格で購入できることだ。
平安・鎌倉時代の作品を研究している者には、写本はおろか断簡類でも、とうてい入手できず、美術館や図書館等で眺めたり、許可を取って閲覧するくらいしか叶わない。
ただし、時代が降れば降るほど、仮名の書体は乱れてきたりもするので、やはり鑑賞するには古いものの方がよいなあと思ったりもするのだが…。