夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

上賀茂神社 その1

2014-05-08 23:52:38 | 旅行
やや前のことになるが、4/20に京都に行った話題の続き。
午前中いっぱいかけて下鴨神社を参拝し、午後は市バスに乗って上賀茂神社へ。
上賀茂神社は、賀茂別雷(わけいかずち)神社ともいい、下鴨神社より5㎞ほど北西に行ったところにある。
神社の由緒書によると、神代の昔、賀茂別雷神が現在の社殿の背後にある神山(こうやま)に降臨し、天武天皇の白鳳六年(678)に賀茂神宮が造営され、現在の社殿の礎が築かれたのだという。
平安京遷都以後は、王城鎮護の神として歴代天皇が行幸したのをはじめ皇族、貴族、武家から格別の崇敬を集め、特に方除けの神として信仰されてきた。


『後鳥羽院御集』には、元久元年十二月に賀茂上社に奉納した三十首和歌が収められているが、それを読む限り、同時に賀茂下社に奉納した三十首よりも思い入れの度合いが強いように以前から感じていた。
  賀茂山のふもとのしばの春風に御手洗(みたらし)川のこほりとくらし(春・1229)
  夏と秋と行きかふ夜半の波の音のかたへすずしき賀茂の川風(夏・1240)
  心すむためしなりけりちはやぶる賀茂の川原の秋の夕暮(秋・1241)
  賀茂山や山吹く風はのどかにて神の誓ひも頼もしの世や(雑・1253)
  御手洗や神の誓ひを聞く折ぞなほ頼みあるこの世なりける(雑・1258)
最後の二首に「神の誓ひ」という言葉が詠み込まれているが、後鳥羽院はこの神に何を祈ったのかずっと気になっていた。


上賀茂神社の神域を流れる御物忌川(おものいのがわ)、御手洗川(みたらしがわ)は橋殿という建物の所で合流し、ならの小川となる。『百人一首』で有名な藤原家の、
  風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける
は、この神社で毎年六月末に行われる夏越祓(なごしのはらえ)式の情景を詠んだものだそうだ。


細殿と呼ばれる建物の前に二つ並んだこの立砂(たてすな)は、上賀茂神社の象徴としてよく知られている。
もとは、神山に降臨された御祭神を里にお迎えする際に、山をかたどって作られた依代(よりしろ)なのだという。


よく見ると、立砂の頂には松の葉が立てられている。
これは昔、神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをしていた名残といわれているそうだ。

この日、細殿では、私がいる間だけでも、何組もの方々が神前で挙式されていた。
重要文化財の社殿での結婚式はとても厳かで、見ているこちらも気持ちが引き締まるようだった。
上賀茂神社の話題は、もう一度取り上げる。

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