夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

デール・カーネギー『話し方入門』

2013-12-20 22:34:21 | 
昔、私が大学院時代に専門学校の非常勤講師をしていた頃、スピーチの授業のテキストとして使っていたD・カーネギー著『話し方入門』。

昨日、久しぶりに読み返していたら、本の中に、その時分に書いた感想文が出てきたので、そのまま紹介する。

第12章「言葉づかいを改善する」の中で、カーネギーが、
言葉には話す人の品性が現れる……聞く人が聞けば、どういう人とつき合っているかということまでわかります。言葉は教育と教養のあかしなのです。
また、
私たちは、……私たちの行動、外観、話す内容、話し方によって評価され、類別されます。
と言っていた箇所が印象に残った。

私たちの話す言葉は、知らず知らずのうちに、私たち自身をも語っている。私たちはともすれば、話す内容さえよければと考え、話す時には相手が自分の言うことを論理的に理解してくれることを望んでいる。しかし、聞き手はむしろ、話の内容は二の次で、話している本人が信頼できる人間かどうかを、話の内容ではなく、話し手の容姿、雰囲気、態度、しぐさ、話し方、音声などを通して値踏みしているのである。それは聞き手の主観的な判断かもしれないが、聞き手は話し手からの一方的な情報伝達を望んでいるのではなく、話を通して彼とコミュニケートすることを望んでいるのである。したがって、聞き手は正常なコミュニケーションを疎外するような話し手には本能的に嫌悪感を抱く。

カーネギーは、『話し方入門』全体を通して、話し手が聞き手と意思疎通することの大切さを繰り返し強調していたように思う。そして、自然な話し方というのも重視していた。スピーチの自然さを生み出すのは話し手の練習の賜物であり、自身のたゆみない努力が大切なのだということも。カーネギーは、上手なスピーチは決して才能によるのではなく、自然なスピーチをしようと努めた結果、その人の人柄が自然に表れるのがよいスピーチだと考えていた。カーネギーは、スピーチを通して、話し手が自分の言語表現を磨き、そのことによって話し手自身の人格までが磨かれること、スピーチの成功を通して話し手が自信をつけ、教養のある人間になることを願っていたように思う。

…今読むと、若書きの生硬な文章で、いささか気恥ずかしい。しかし、D・カーネギーの著書は、いつ、何度読んでも改めて教えられることが多いことを実感する。

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