夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

米子今昔

2016-03-27 19:56:26 | 日記
先日、職場の同僚の先生からチラシをいただいたので、山陰歴史館の企画展「写真が語る米子の歩み」を観に行った。
館長の挨拶文によれば、今回の展覧会は、新米子市誕生10周年記念の企画事業で、市民にも米子市内の古い町並みや建築物などを写した写真の提供を呼びかけて実現したものだそうだ。


山陰歴史観の建物は、旧米子市庁舎で、昭和5年(1930)に新築されたもの。
当時の市予算に匹敵する21万5千円もの工費をかけ、山陰随一といわれていたそうだ。

普段住んでいる町なのに、知らなかったことも多くあったので、いくつか紹介すると、

①現在、米子で一番(=山陰最大)の飲み屋街として知られている朝日町は、もともと商店街だった。近年は商店が立ち退き、飲食店街になっている。

②山陰最大の地銀・山陰合同銀行(私も口座を作っている)は、昭和16年(1941)に米子銀行と松江銀行が合併してできた。
なるほど、それで「合同」なのか。

私の今の職場の近くにある「稲田酒造」は、もともと米子城下にあった。
創業は江戸時代の寛政年間にさかのぼる老舗である。
昭和62年(1987)、隣接する鳥取大学医学部付属病院の拡張工事のため、現在地に新工場を建設した。

米子市は、昭和2年に市政が施行されて以降、数度にわたって近隣の町村を合併し、広域化して現在に至っている。
その折々の市街地図や、昔今のたくさんの写真などを見ているうちに、わが住む町への愛着の念が湧いてきた。

前掲の館長の挨拶文には、この企画展は「郷土の歴史への関心を深め、私たちが住むまちへの誇りと愛着心を醸成する」ためのものであり、また「貴重な古写真からは、時代とともに移り変わっていくまちの姿を伺い知ることもできる」とあったが、その通りの内容だった。
今日で会期終了になるため、慌てて観に行ったが、米子のたどってきた歴史をわずかなりと理解することができてよかった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。