夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

服部忠志歌集『雪空の鸛』(その2)

2014-11-23 23:01:00 | 短歌
服部忠志歌集『雪空の鸛(こうのとり)』の第二部「雪空の鸛」は、昭和12年(1937年、作者29歳)から昭和15年(1940年、作者32歳)の歌を収める。
この間に忠志には大きな環境の変化があり、それまで住んでいた岡山を離れ、兵庫県豊岡商業学校に赴任することとなり、家族と共に移住している。また、次男圭介、長女由美子が誕生し、二男一女の父となった。

温暖な岡山から、豪雪地帯で気候条件の厳しい豊岡に移り住んだことは、忠志の作歌にも影響を与え、珍しさもあったのか、当地での風物が多く歌に読み込まれている。忠志自身も、歌集の「後記」に、
  豊岡は雪の深いところで、季節の風物は珍しいものであつた。雪空から鸛が湧くやうに群がり出たり、稲田の緑の上を滑るやうに飛んだりした。
と書き、特に鸛に強い思い入れがあったことが分かる。
  鸛(こふ)のとりはみる目かなしく雪雲のなかにまぎれむとしておのれきらめく
  うすあかき脚をそろへて翔ぶ鸛ゆゑ寒土のうへにわれはかなしむ

昭和12年9月には次男の圭介が生まれ、
  朝かぜのすがしきがなかにうぶごゑのすこやかにして生まれたるかも
などの歌を詠んでいるが、長男の亮介のときより明らかに数が少ない。一方で、昭和14年(1239)12月の長女・由美子の誕生の際には、
  生るるはたのしくありけりうまれきてなき挙ぐるこゑかこの寒き夜に
  みたりめの子の親としもなれる夜をおろかにわれのおぼれてゐたり
を初めとして、素直な喜びに溢れた歌が目立つ。やはり、男親として、娘を得たことには特別の感慨があったのだろう。

昭和12年7月の盧溝橋事件をきっかけとして、日本が支那事変へと突入していくこともあり、時局に関する歌は多い。
  しづけくしこころありなむあひつげる動員の下令われのうへはいつか
  大いなるたたかひおこるさきぶれとわが村の友あまた召されつ
  徐州落ちぬしきりに胸のせきくるに出でて歩めば星美しき
  霖雨(ながあめ)の霽(は)れ間蒸しくる宵くるしく髣髴(おもかげ)に見ゆ戦ひ死にし友
  現在を愛し得ざる輩(やから)のひとりとなり救はれぬとおもふとき多くなれり
  よきことをよしとするだに障るべき世ぞと教へてわれの眸(め)みるひと
忠志は、友人や教え子の戦死を悼み、自分にもいつかは召集令状が下されるかもしれないことを、心に憂えている。また、自由に物が言えなくなってきた時代の息苦しさも伝わってくる。

この歌集には、長歌六首も収められているが、昭和15年の「日曜日」と題する一首がよい。

雪解けの軒の滴の うららかにのどに落ちつき たんたらとよき日曜日、妻と子は町にゆきたり。みどりごの由美子のために 貧しけど何はともあれ 初雛(はつひひな)選ばでやはと 妻はしも子らをひきつれ 笑(ゑ)ましげに出でてゆきにき。したたれる雪解(ゆきげ)の滴 たんたらと光りのみして ひとりゐるわれに呼びかけ 出でてあそびねと うながしやまず。

読んでいて、思わず微笑が浮かび、ほのぼのとした気分になる。