夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

適菜収『B層の研究』

2012-11-19 22:28:12 | 


以前紹介した『ニーチェの警鐘』の著者、適菜収さんの新刊『日本をダメにしたB層の研究』(講談社)を読んだ。

  世の中ウソばかりです。
  デタラメな人々が、社会の第一線でデタラメなことを言っています。
  B層は繰り返しその言葉に騙されます。
  今、やらなければならないことはなにか?
  それは先人の言葉を振り返ることです。
  使い古された言葉を、愚直に何度も繰り返すことです。
  危機に直面したら、先人に問うこと。
  歴史はつねに同じことが繰り返されているからです。
                               (おわりに)

現代日本の、政治、社会、マスコミ、教育、文化…などの目を覆うばかりの惨状と混迷が、戦後われわれが無条件に信奉してきた民主主義・人権・平等などの近代的諸価値に起因することを説き、安易な「解決策」を戒め、長期的な視野に立って抵抗を続けるための処方箋を示している。

素人と玄人の境界が消滅し、知が軽視され無知が称揚される。権威を嫌う一方で権威に弱く、ジャンクな情報に流される。あらゆる価値が混乱する一方で、圧倒的な自信で浅薄な価値観を一方的に社会に押しつけようとする人々(=大衆)が多数を占めるようになる。

適菜さんの書いていることは、私もまさにその渦中におり、日々直面する現実ばかりなので、危機感をもって読んだ。

教育というのは人類の歴史とともに古く、本来なら伝統を重んじ、祖先からの叡智を保守し、その精神を現代に生かす営みでなければならないはず。それなのに実際は、古典教育が軽視され、すぐ役立ち、成果が出そうに見える方法がもてはやされたり、先人の実践や達成を安易に否定し学ばない風潮が支配的になっている。

子供達が喜ぶからといってジャンクフードばかり与える親がいないように、教師の役割は、成長期にある生徒・児童達に学力や教養や一生を通じて役立つ習慣・態度といった、血肉化する栄養を届けることだと思っているが、良心的な教育を志す者にはとって厳しい状況が今後も続くことを覚悟しつつ、少しでも現状を改善する努力を続けていくしかないな、と思う。

この本は手に取りやすいポップな装丁(黄色なのはやはり警告の意味?)だし、思わず笑える「B層用語事典」で始まるのもよい。(本当は「面白うてやがて悲しき」なのだが。)

  【アーティスト】 ジャリタレのこと。
  【シェフのきまぐれサラダ】 プロは「気まぐれ」に料理をつくるな。
  【リセット】 ファミコン世代の三流政治家が使う言葉。

文章もとてもわかりやすく、深刻にも悲観的にもならずに現代日本の問題点とその背景を論じ、われわれがどのようにして対処すべきかを示していて、好感が持てた。この本を通して著者の学識だけでなく、ユーモアと健全な批判精神と心の強さを感じた。さっそく学級文庫に入れて、生徒にも勧めてみようかと思っている。

S・スマイルズ『セルフ・ヘルプ』

2012-10-12 21:42:20 | 
今日はあまり書く時間をとれないので、以前学級通信で生徒やご父兄に紹介した、『セルフ・ヘルプ』の1節を。

中村正直訳の『西国立志編』で名高い『セルフ・ヘルプ』の原著は、大学院時代に県立図書館で借りたものの、ビクトリア時代の英語がとても難しく、初めのほうだけ読んであっさりと挫折してしまった経緯がある。それでも、この部分だけは、ご父兄に紹介したかったので、辞書を片手に悪戦苦闘した。文字通りの拙訳だが、内容はすばらしいので、ご一読あれ。


The tortoise in the right road will beat a racer in the wrong.It matters not,though a youth be slow,if he be but diligent.Quickness of parts may even prove a defect,inasmuch as the boy who learns readily will often forget as readily;and also because he finds no need of cultivating that quality of application and perseverance which the slower youth is compelled to exercise,and which proves so valuable an element in the formation of every character.Davy said,“What I am I have made myself;”and the same holds true universally.

(歩みの遅い)亀でも、正しい道を行けば、間違った道を行く競争相手を負かすことができるだろう。
若者は、遅鈍であろうとも、ただ勤勉でありさえすれば、問題はない。何でも敏速にこなすことが、欠点を露呈することさえありうる。容易に覚える少年は、しばしばそれと同じくらい容易に忘れるものである。そのような少年はまた、専心や忍耐の資質を磨く必要性を認めないが、遅鈍な少年はこの資質を養わざるをえない。しかし実際は、専心や忍耐の資質は、あらゆる人格の形成において非常に貴重な要素であることは明白である。デイビーが言うには、「今の私があるのは、今まで私が自分自身で作り上げてきたもののおかげだ」。同じことは人類共通の真実である。

To conclude:the best culture is not obtained from teachers when at school or college,so much as by our own diligent self-education when we have become men.Hence parents need not be in too great haste to see their chidren’s talents forced into bloom.Let them watch and wait patiently,letting good example and quiet training do their work,and leave the rest to Providence.Let them see to it that the youth is provided,by free exercise of his bodily powers,with a full stock of physical health;set him fairly on the road of self-culture;carefully train his habits of application and perseverance;and as he grows older,if the right stuff be in him,he will be enabled vigorously and effectively to cultivate himself.

(本章の)結論として言う。最良の教養は、学校や大学にあって、教師から得られるものではなく、むしろ私たちが大人になってから、自分自身の勤勉な自己教育によって得られるものである。それゆえ、世の父母は、子供の才能が強制されて開花するのを見ようと、あまりにも性急になってはいけない。子供を辛抱強く見守って待ち、よい手本を示し静かに修練させて、もって彼らになすべきことをさせなさい。そして、その他のことは、神の思し召しに委ねなさい。父母は、子供が肉体を自由に運動させることによって、十分な精神の健康が得られるように計らってやりなさい。そして、子供がまさしく自己修養の道に就くようにさせ、注意深く、子供が専心と忍耐の習慣を養うようにさせなさい。そうすれば、子供が大きくなるにつれて、もし子供の中に正しい資質があれば、彼は精力的に、そして効果的に、自ら修養することができるようになるだろう。


和田秀樹『テレビに破壊される脳』

2012-07-31 16:16:12 | 
前著『テレビの大罪』(新潮新書)を読んで、教えられること、共感することが多かったので、この本も手に取ってみた。

特に印象に残った項目について、簡単に紹介してみる。

知識人のためのチャンネルがない(第2章)
日本で放映されている番組のほとんどは、どれも決まりきっている。知的関心の高い層に向けた専門のテレビ局がない。たとえば、ニュース番組が朝、昼、夕方、夜の特定の時間帯に固まっているために、それ以外の時間で、政治についての最新ニュースについて知りたいと思っても、該当する番組がない。
欧米や中国、また他の国でも、ニュースや討論番組、歴史、科学、美術など、さまざまな知識欲に応えてくれる専門チャンネルがあり、観たいときにいつでも番組を楽しめる。このような違いが、国民の知的レベルにもたらす影響を憂慮すべきだ。

子どもの学力低下を促す「バカ礼賛」(第2章)
特番を含め、クイズ番組を目にしない日はない。それ自体が悪いわけではないが、考えたり分析したりする「知力」でなく、いかに物知りかという記憶力だけが評価の物差しになっている。雑学やうんちくをひけらかす一流大学出身の芸能人やアナウンサーがもてはやされる一方で、B級アイドルや芸人が、わざとトンチンカンな答えをしたり、「おバカ」度を競うような風潮は問題だ。

認知的成熟度が退行する怖さ(第3章)
人間の認知は成熟してくるにつれて、物事には白か黒かだけでなく、中間に位置するグレーが存在し、それにも様々段階があることが理解できるようになる。本来一般的な大人は、教育を受け、社会的な経験も積んで、思考様式も発達・成熟しているのが当然である。大人同士であれば、お互いにグレーの存在を認め合って、軋轢や衝突もうまく回避したり、多少の違いには目をつぶって協力し合ったりができる。
しかし、テレビは単純に白黒で分ける傾向が顕著なので、幼い頃からテレビ漬けになると、認知的成熟度が発達しないまま成長するリスクが高まる。大人でも、長時間テレビばかり見ているうちに、認知度が退行し単純化して、善悪二元論の思考パターンしかできなくなる恐れがある。


私自身はテレビをたまにしか見ないが、和田さんが指摘されるような問題があることはよくわかる。

就職してから、長時間労働に加えて、家に帰ってからも仕事のための勉強、自分の勉強、趣味の時間をとりたいので、テレビは自然と見ないようになった。その後故障しても直さないまま地デジ化が進行し、テレビを見るとしたら、外食や散髪の時に店でつけている番組を見る程度だ。しかし、ニュース・スポーツ、本格的な音楽番組、教養系の番組の他は、見るに値しないものが多いように感じる。

特にバラエティは、「ひな壇」形式のクイズ・トーク番組ばかりで、芸人やタレントの笑えない話がだらだら続く。ちゃんと聞こえているし、面白くもないのに、彼らの会話の一部がテロップででかでかと表示される。ニュースやスポーツ中継でも、音声だけでなく、文字による説明が過剰に画面に表示される。今のテレビ番組の制作者たちは、視聴者の識字レベルをどのくらいと想定しているのだろう。

もちろん、私が見ない時間帯・局で、多数の良心的な番組が作られているだろうことも承知している。賢い、「選択的な視聴者」になればいいではないか、とも言われそうだ。しかし、テレビがあることで見なくてもいい番組まで見てしまう損失と、テレビがないために見ておくべき番組を知らず見ることもない損失とを比べたら、後者の方が軽微だと私は思うのだ。(ただ、数年前に漫画『あんどーなつ』がドラマ化されたときだけは、毎週見た。何度かは、勤務先のテレビで見させてもらった)。

自分自身は、中学・高校の頃にテレビでアニメ・歌謡・ドラマばかり見ていた癖に、偉そうなことを言うけれども、今の生徒たちには、あまりテレビ番組を見てほしくない。映像や放送の技術は大幅に進歩したが、内容も進歩しているとはお世辞にも言えない。私たちが見ていたころより、テレビでやるのはいずれも陳腐で低俗なものが増えているように感じる。特にアニメは、映画であれだけ質が高く良心的な作品が出ているのに、昔と比べて、テレビと映画のアニメの質がかけはなれ過ぎているように思う。


本の内容は、前著の方が充実していた感はあるが、現代日本の重要な問題点を指摘してくれていることは変わらない。とりわけ、子どもと深く関わる、親や教師たちが、一人でも多くこの本を読んでいただきたいと思う。


D・カーネギー『人を動かす』その2

2012-07-26 23:35:03 | 
『人を動かす』の中で、好きな言葉をいくつか挙げてみたい。

Instead of condemning people, let's try to understand them. Let's try to figure out why they do what they do. That's a lot more profitable and intriguing than criticism; and it breeds sympathy, tolerance and kindness. “To know all is to forgive all.”

人を非難する代わりに、彼らを理解するよう努めようではないか。彼らがなぜそのようなことをしたのか考えよう。その方が、批判するよりも、ずっと利益になるし、興味をそそることでもある。そして、それが共感や、寛容さや、親切心を育てることになる。「全てを知ることは、全てを許すこと」である。

When dealing with people, let us remember we are not dealing with creatures of logic. We are dealing with creatures of emotion, creatures bristling with prejudices and motivated by pride and vanity.

人を扱うときは、次のことを覚えておくようにしよう。我々が扱っているのは論理の動物ではない。我々は感情の動物、つまり偏見に満ち、プライドと虚栄心によって動機づけられた生き物を扱っていることを忘れてはならない。

If there is any one secret of success, it lies in the ability to get the other person's point of view and see thing from that person's angle as well as from your own.

もし、何か一つ成功の秘訣があるとすれば、それは、他人の物の見方を理解し、自分の視点と同じように、その人の視点から物事を見ることのできる能力にある。

D・カーネギー『人を動かす』

2012-07-25 23:13:15 | 
専門学校の授業で最も多く生徒達と読み、話し合ったのは『人を動かす』だった。

昨日の記事で『道は開ける』のことを書いたので、つい懐かしくなって、『人を動かす』の原書の方も手にとってみた。

こちらにもずいぶん書き込みがしてあった。そして、当時傍線を引きながら読み、自戒しようと思ったはずなのに、15年近く経った今でもこれだけできていないことがあるのに、我ながら呆れる(涙)。

特に、3章2の“A sure way of making enemies―and how to avoid it”(敵を作る確実な方法と、その避け方)。

~if you tell them they are wrong, do you make them want to agree with you? Never! For you have struck a direct blow at their intelligence, judgement, pride and self-respect. That will make them want to strike back.

写していて、改めてカーネギーの慧眼に驚く。人に、「あなたは間違っている」と言ってみたところで、その通りだと同意してもらえると思ったら大間違いだ。断じてありえない。なぜなら、自分は相手の知性、判断力、プライド、そして自尊心に直接、一撃をくらわしたも同然なのだから。そんなことをしても、彼らに反撃の口実を与えるだけだ。

Few people are logical. Most of us are prejudiced and biased. Most of us are blighted with preconceived notions, with jealousy, suspicion, fear, envy and pride.

これも、カーネギーの言う通りだ。自分だって、決して論理的な人間ではない。我々の多くは、偏見に満ち、偏った物の見方をしているのだ。そして、先入観や嫉妬、疑念、恐れ、妬みやプライドによって害されていることを忘れてはならない。

ベンジャミン・フランクリンが友達に言われたという次の言葉は、今の自分にはグサグサと突き刺さる…。

Ben, you are impossible. Your opinion have a slap in them for everyone who differs with you. They have become so offensive that nobody cares for them. Your friends find they enjoy themselves better when you are not around. You know so much that no man can tell you anything. Indeed, no man is going to try, for the effort would lead only to discomfort and hard work. So you are not likely ever to know any more then you do now, which is very little.

ベン、君はダメだよ。君は自分と意見の違う者には誰でも、平手打ちをくらわすようにビシビシ言う。彼らは身構えて、誰も君の意見を気にかけなくなる。君の友達は、君がいないときのほうがずっと楽しいんだよ。君はたくさんのことを知っている、だから誰も君には何も言えなくなる。実際、誰も君には何も言おうとしなくなっている、というのも、せっかく意見しようとしてもただ不愉快になり、厄介なだけだからね。だから、君は今持っている、ごくわずかな知識以上には、もう何も知ることができなくなるだろうよ。

この友人というのも立派な人だと思う。