ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

浪曲に恋して!師匠に恋して!

2019年06月11日 | 日記
2019.6.11
私は歌手のファンを長年しているが歌手に関しては声に惚れる。
その人の持つ声を好きになるのだ。
浪曲に関しても浪曲師の声に惚れる。
そもそも好きになった五代目天中軒雲月師匠の声に惚れたのだ。
その後に彼女の芸歴と浪曲に対する姿勢に惚れたのだ。
彼女は浪曲に対しての確固たる信念を持っていると思う。
その確固たる信念と姿勢に積み重ねられた芸歴と培われた知識の広さを知ることになるのだ。
それらは師匠にとっての財産のようなものだと言っても過言ではないと思う。
そもそも浪曲師と言われる人は師匠に限らず、多くの研鑽を積み重ね、そこに自分の浪曲と言うものを確立してゆくのだと!
師匠から習ったものを真似するのではなく、そこに自分の浪曲と言うものを見出して行くのだ。
物まねになってはいけないと思う。
師匠の浪曲の良いところを学び採り入れ自分の浪曲と言うものを見つけて築いてゆくのだと!
本物の芸と言うものはそういうところからも生まれるのだと!
本物の芸を極めた人には本物の芸が宿るのだ。
私は浅草の木馬亭でその本物の芸の数々を見て聴いている。
それらは客の心に届き、響くのだ。
ここに私の求めていたものがあるのだと思う。
浪曲に関して言えば浪曲はお手頃な庶民の娯楽の一つにあげられる。
そこで私は若いころ学ばなかった多くのことを学んでいる。
昨今は子供の学習から日本史と言うものが消えたらしい?
日本史と言う授業が無くなったようです。
浪曲は日本史も文学も学べるのだ。
私は豊田佐吉も小村寿太郎も浪曲で学んだ。
忠臣蔵も巌流島の武蔵と小次郎も浪曲では学べるのだ。
浪曲師の熱演に浪曲ファンは一喜一憂するのだ。
そして終演後その余韻を持って木馬亭を後にするのだ。
さしずめ昔なら「今日の虎造は良かったね!」と、言う気持ちを持って帰路に就くのだ。
先ずは浅草の木馬亭に行ってお目当ての浪曲師を見つけて浪曲を楽しんでみませんか?

浪曲に恋して!師匠に恋して!

2019年06月11日 | 日記
2019.6.11
たかだか浪曲に関してほぼ1年半の私に浪曲を語る資格などないと思う。
いまだに内容を把握するだけで精一杯なのだ。
その浪曲もこのところご無沙汰している。
関東は浅草の木馬亭と言うところで毎月1日から7日まで定席が行われている。
浪曲が7席の間に1席講談が入る。
仲入りをはさんでほぼ4時間はたっぷり楽しめる。
小さな舞台のテーブル掛けの後ろで繰り広げられる演目に客は一喜一憂するのだ。
そこには程よいタイミングで曲師の三味線と合いの手が入るのだ。
私は内容を把握するだけで精一杯だが、タイミングよく聞こえてくる三味線と合いの手は浪曲師と三位一体になり、お客の心をつかむのだ。
そこで三味線と合いの手が無いのでは浪曲と言うものが成り立たないと思われる。
浪曲師と曲師はある意味阿吽の呼吸を求められるのだと思う。
浪曲のどこでどのように三味線を弾き、合いの手を入れるのかはそれぞれの演目に寄って違うと思うが、玉川奈々福さんと沢村豊子師匠のように言わずもがな阿吽の呼吸が感じ取れるのだ。
玉川太福さんには玉川みね子師匠のようにここでも阿吽の呼吸があるのだ。
東家一太郎さんには奥様が曲師の東家美さんです。
こちらはいい感じのご夫婦で、毎回汗をかいて熱演する一太郎さんを美さんが程よくサポートしているのがわかる。
おそらくベテランの浪曲師は時としてあらゆる曲師とも息を合わせて熱演されるのだと思われる。
そこには「私はあの曲師では嫌だわ!」というものは感じられない。
どの浪曲師とも息を合わせ熱演が出来てこそ、本物の浪曲師だと!
私は浪曲師と曲師が三位一体になってこそ、そこに真の浪曲が完成されると思っている。
浪曲師も曲師も日々切磋琢磨し、努力をして舞台に立つのだと!
玉川祐子師匠と言う曲師がいる。
今年96歳になる曲師だ。
ある意味この歳まで曲師を続けているのは素晴らしいと思う。
小柄な細い身体から繰り広げられる三味線は浪曲ファンにとっても素晴らしいと思う。
浪曲と言うものはほぼ30分にいろいろなものを詰め込んだドラマでもあると!
浪曲師と曲師と客は3つが揃ったところである意味浪曲と言うものが成り立つのだ。
そこに、一つでも欠けては浪曲と言うものが成り立たないと思う。
私は浪曲に三味線と言うものが欠けたことを想像もしたことは無い。
三味線あっての浪曲なのだから!

通えなかった和裁の学校

2019年06月11日 | 日記
2019.6.11
その昔高校を卒業するにあたって和裁の学校に行きたかった。
進路指導の先生がたまたま家庭科の先生で練馬の吉井を勧めてくれた。
同級生は吉祥寺の二葉の和裁に行くと言う。
そこ頃の二葉は和裁は㎝で行うと言う。
渋谷の清水ときの学校の文化祭を同級生と見に行った。
こちらも和裁では有名だった。
お針子さんになればくいっぱぐれが無いと思った。
それにもまして、島倉千代子さんに一度だけ自分で働いたお金で反物を買い、自分で仕立ててプレゼントがしたかったのだ。
あっけなく両親の反対にあい、和裁の学校に行くと言う夢は絶たれて就職をした。
その後、着付けの教室に行きたいと言うと、行ってもいいよと言われて大手の長沼静に通うも、大手はいきなり手結びは教えないし、道具をいろいろ買わせられるので、3か月通ってやめた。
別に着付けの先生になるわけではなかった。
純粋に着物が着たかっただけなのだ。
結局着物は着れずにいる。
ましてや結婚したら見事に10キロ太った。
この歳で今更着物と言ったら同居の母がうるさいので、そのままにしている。
昨今gooブログで素敵な着物の先生を見つけて読者になったが、その先生はカルチャースクールでも教えているようで、興味はあったが、母に怒られるので、ブログだけ見ている。
知識も豊富でそれなりの資格もおありの先生です。
隣近所なら母の反対を押しのけてもせめて着付けだけでも習いに行きたいが、無理だと思う。
更新されるブログを日々楽しみにしている。
ブログのことはリアルに友達の群馬の島倉千代子ことおぎちゃんに話したら、彼もすごい先生だと言ってくれた!
「キモノ工房亀岡」で検索してください!
和裁と着付けとその他いろいろやっている先生です。

朝からやり合う!

2019年06月11日 | 日記
2019.6.11
朝から母とやり合う。
2階からリュックを背負って降りて来たら、出かけると思われて「もう出かけるのかい?」と、言われた。
リュックを背負って降りて来ただけでそんなことを言われたので、私もカチンと来て「どこか出かけなきゃあいけないんだね!」と言った。
そこからことは始まった。
洗濯物を干すから竿を拭けと雑巾を渡された。
昨日の濡れた雨傘を干していたが乾いたからたためを言われた。
傘を取り込み、竿を拭き「洗濯物を干してくれ!」と、言われてもめた。
どうせ私が干しても干し方が気に入らないと怒るのだ!
自分なりの干し方があるのだ。
人が干したのは気に入らないのだ。
そんなわけで朝から母はキレた。
死にたいとまで口に出した。
死にたいのは私の方なのだ。
ほぼ毎日干渉されて育ったのだ。
それでなくても今でも干渉されているのだ。
昨日も我が家の財政を聞かれた。
毎日のように買って来たものに文句を言われる。
嫌いな食材はあからさまに文句を言う。
入れ歯なので出来た料理が噛めないと文句を言う。
炊いたご飯が硬いと言うのでいつも旦那のお弁当を詰めた後に炊飯器の保温されたご飯に50㏄のお湯を注いでかき混ぜておく。
今朝も雑巾を渡され雑巾をかけろと言われた。
人の予定はどうでも良くて、自分時間で動くのだ。
昨夜はもらって来た眠剤を飲んで寝たので良く寝れたと言う。
テレビが遅くまで付いていたのでてっきり起きているのかと思った。
61歳はいまだに母の支配下の下で生かっし、すべての行動を監視されて暮らしているのだ。
ことは母に隠れてこそこそ行うのだ。
どうせ死にたいと言っても母にそんな勇気など持ち合わせてはいないのだ。
自分さえ良ければは捨てた方が良いと思うが、88年間もそうやって生きて来たので無理だと思う。