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東弁の

2012年04月17日 | 詠む

東弁の「リブラ」誌...冤罪特集は 村木・足利・府川事件

冤罪事件 弁護人座談会「あの事件を語る」 東京弁護士会 「リブラ」 4月号

↑ 色の違っているところを、クリック。開きます。

東京弁護士会の月刊誌。発行されてから暫くすると、サイト公開される。

前号に続いて、今号も「あの事件に学ぶ」という渋い特集。なんと...

>村木事件(厚労省元局長事件)の弘中惇一弁護人,

>足利事件の佐藤博史弁護人,

>布川事件の塚越豊弁護人による座談会を,

>前田裕司弁護士(東京弁護士会刑事弁護委員会元委員長・北千住パブリック法律事務所初代所長)の司会

という豪華メンバー。じっくり座談会。

足利事件では、こんな苦い話も。

>1992年の12月22日の第6回公判期日ですね。
  

>弁護人は,家族に無実を訴える手紙を,菅家さんにいきなり法廷で示して,ここに無実とあるのはどういう意味かと聞いたんですね。それに対して,菅家さんは,「やっていません」というふうに言いました。
  

>ところが,弁護人は,その意味が分からず,「今まで嘘を言ってきたのか。もう1回裁判をやり直すつもりか」と菅家さんをなかば叱責しました。そして,新聞に,「突如否認に転ずる」,「弁護人も当惑」と書かれ,弁護人のコメントとして「信頼関係を崩された思いだ。否認を貫くなら辞任もあり得る」と書かれています。


>その2日後に弁護人は菅家さんに面会していますが,わざわざ足利から宇都宮に出向いたこともあって,たぶん気分を害して接見したのでしょう。

>その結果は,裁判長にあてた菅家さんの上申書で,「極刑と言われて怖くなって,やっていないと言いましたが,やっぱり私がやっていました。裁判長,すみません」というものでした。

>そして,菅家さんは,翌年1月の第7 回公判で,「上申書に書いた通りです」と再び公判廷で自白してしまいました。

>無実の被告人が,1回否認に転じながら,また自白したという例を知りませんが,足利事件は,弁護人にとっても大いなる教訓を残した事件です。

(以上 >部分はリブラからの転載)

そうだよなあ。

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