真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『祖父東郷茂徳の生涯』 (東郷 茂彦さん 1993年) その1

2013-02-15 | 読書-歴史
祖父東郷茂徳の生涯
東郷 茂彦【著】
文藝春秋
(1993/11/15 出版)

東郷家のルーツも詳細に。
2段組みで字も小さいこと。

現代ジャーナリストによる茂徳の女婿(本書の著者の父君)の評伝、愛娘(本書の著者の母堂)の回顧本に続いて、ジャーナリストとなった双子の孫の一人(双子の弟と一緒には外交官になれなくて?)による詳細な評伝。

みっちり書き込まれた労作だな。
伝記作家による評伝もある中、孫が東郷家に伝わる資料(手帳に記した行動記録や感想、女婿の東郷文彦に記録させた口述メモ、獄中からの家族あて書簡などを含む)や、関係者へのインタビューを織り交ぜたところがナニなのだろうな。

お孫さんなら、ということで色々思い出して語ってくれた関係者もおられることだろう。
彼らが存命のうちにまとめられたところに意義がある。

その後大島は陸軍中央と提携、駐ドイツ大使であった東郷茂徳を退け、1938年(昭和13年)、自らが駐独大使に就任した。
退けられる過程も詳述。うーん。

フォートハント基地で尋問された大島大使

Molotovはペンネームというか、活動名だったのか。
「不破哲三」みたいなものね。

駐ソ大使も務めた東郷茂徳を「馬が合った」「私とやり合って祖国のために戦った」と評価しており、極東国際軍事裁判では東郷の減刑に動いたという説がある[9]。
その付き合いが(いせ女史の回顧本にもあったが)詳述される。
送別会の答礼宴では、「モロトフが稀なことに外国の公館(日本大使館)を訪問して、なかなか出てこない!」ことから外交団各国が揣摩憶測の嵐に…というくだりが愉快。

モロトフのパン籠にモロトフ・カクテル
モロトフと一緒にカクテルを楽しんだ家族、かもしれない?
なんちゃって。

終戦工作に関し、ソ連に仲介を依頼しようと無駄な努力を重ねた件に関し、東郷は、自分はモロトフと信頼関係があるので…と一縷の望みを持っていたかもしれないね。
モロトフとはそうだとしても、誰が彼の上司かという点に大いに問題があったわけね、残念ながら。

(その2に続く)
<東郷家シリーズ>

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