臆病者の巣

秋田禎信先生とガンダムに塗れた日常を語る
そんな徒然日記。

嵐の中で輝いて

2019-10-13 11:58:48 | Weblog
どーも、陽です。

台風19号はとてつもない勢いでしたね。
さいわい、僕の周囲では特に大きな事故とかはなく、平穏無事に今回の嵐をやり過ごせました。僕も途中までは仕事だったんですが、やはりあの史上最強とまで言われた台風の中働かせるのは人の所業じゃねぇ!!ということに気づいてくれたのか否か。途中で早上がりに予定が変更にされたので、事なきを得ました。

街に出てみても、大きな事故とは見当たらず、怪我人とかの話も聞いてませんので、被害に遭われた方々には申し訳のない話になりますが、よかったなぁ、という感じ。
今は空模様も台風一過で晴れ晴れとしていて、このままこれ以上の深刻な被害が増えずに済んでくれればいいな、などと思っております。

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、猛烈な嵐でぶっ飛ばされそうだった陽でしたー。
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壊れたり、擦り減ったり

2019-09-24 23:21:19 | Weblog
どーも、陽です。

なんか先日から、身の回りのものが壊れたり消耗したりして、余計な出費が続いてます。
4年ほど使ってた掃除機が壊れたり、車のタイヤがだいぶ擦り減って交換が必要になったりと。
後は個人的には、仕事で着る用のスーツを新調したかったり、鞄や財布も買い換えたいなと思ってもいるのですが、そこはそれ。予算は有限であり、欲しいものすべてが手に入るわけではないのも現実……

とりあえず、命にかかわりそうな車のタイヤと、人間らしい生活をするための掃除機を優先的に購入。
特にこのへんは、10月の増税前に買い替えられたのは、それはそれでちょうどいいタイミングだったのかな、と。
後は年末年始とかにセールでもやってくれれば、衣類はそこで購入かしらん。
10月にもなれば、いよいよ年の瀬の空気を感じ始めるこの頃。少しづつ、また出費がかさんでくることに頭を痛めつつも、なんとなくその季節感というか、時期感みたいなものは嫌いじゃなかったり。

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、そういや靴底擦り減ってたから、新しい靴もほしいや、な陽でしたー。
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日常

2019-09-16 11:29:48 | Weblog

どーも、陽です。

 

異動などが絡み、職場環境や生活スタイルが変わってしまったため、なかなか更新できない毎日です。

ここ最近、なにしてたかって言うと……

 

①仕事

②ゲーム

③DVD鑑賞

 

がほとんど。

仕事はまあいいとして、ゲームに関しては最近ようやくドラクエⅩⅠを終わらせたり、友人に誘われてFFⅩⅣ始めたりしてました。

特に、今はFFⅩⅣにドはまりしてます。

これ、何がよかったかって、無料体験版ができることですね。

当然、レベルや使える施設、機能に制限があるのですが、それでもお試しにやるには十分すぎるほどプレイできてしまうので、この時点でもかなりやり込めます。

なもんだから、製品版をやろうかどうか悩んでたり、どんなゲームバランスなのか知りたい人にとっては、かなり後押しされたんじゃないですかね。少なくとも、僕はそうでした。

今はようやく製品版を購入して、レベル31のナイトになったばかりなのですが、暇さえあれば友人と一緒にやっています。たーのしー!

 

あとは、ここ最近はBlu-ray&DVDの「アベンジャーズ/エンドゲーム」を買って見たり、レンタルしてきた「翔んで埼玉」「どろろ」「ブレイド」なんかを見てました。ジャンルに統一感ねぇな!

 

そして先日、ついに舞台版の魔術士オーフェンの第2幕の情報が出てきたので、はやくまたオーフェンの感想記事も更新しないと……

やること多くて……盛り上がってきたな!って感じです。

 

そんなこんなで、本日はこれにて。

 

以上、やれることが多いのはいいけど、やる時間が足りねぇな、な陽でしたー。

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天空の花嫁

2019-08-27 20:12:14 | Weblog
どーも、陽です。

夏も終わりに差し掛かり、ますます忙しさを増しておりますです。
なので、なかなかオーフェンの感想も書けておらず、ぐぬぬ、という気分。

ともかく最近は、忙しさの中でも、暇を見つけてはオーフェン読み直したり、ドラクエⅪをプレイしたりしてます。
軽いネタバレになるかもなんで、伏せておきますが、今作では主人公が結婚することができるんですね。しかもそれが、幼馴染のエマと。これが個人的にはびっくりしました。

で、ついでに言うと。

僕は今作のドラクエをやっていても思ったことなのですが、どうにも幼馴染キャラに弱いようです。
なんか、主人公と共通の思い出を持っていたり、昔から主人公への愛情を感じさせるようなエピソードがあったりすると、それだけで「……好きッ!!」ってなっちゃいます。
なもんだから、ドラクエⅤでも、嫁はいつもビアンカです。ビアンカじゃなきゃダメなんだよッ!!
今回のⅪでも、開始早々に幼馴染キャラであるエマが出てきましたが、サブキャラなので冒険にはついてこず、物語の展開が世界規模になればなるほど出番はどんどんなくなっていきます。
これが、しょうがないことなのですが、個人的にすごく残念だった……

いや、味方になる女性キャラも皆、すごく魅力的なのですよ。
個人的な好みでは一番なセーニャに。
強気なロリっ子ぺろぺろ(^ω^)なベロニカに。
薄い本が厚くなるマルティナに。
一番女子力の高いシルビアに。

だけど、いつも僕の心の中にはエマの存在があるのですよ。
悲しいなぁ。一緒に旅ができないのかぁ、と寂しくなっていたところに、あのイベントだったので、予想外過ぎてうれしかったです。

そんなこんなでせっせとプレイしていたおかげで、そろそろドラクエⅪもクリアーしそうです。
これが終わったら、次は何をしようかしらん?
夏が終われば少しは忙しさもおさまるので、新しい楽しみを探しに、またゲームショップにでも行ってきます。

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、でも一番のカップリングはカミュ主だよなぁ、な陽でしたー。
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魔術士オーフェンを語る<舞台魔術士オーフェン編>

2019-08-17 23:09:32 | 秋田禎信
どーも、陽です。

見てきましたよ!
以下、ネタバレ……というか、舞台の内容にだいぶ触れた感想を書き連ねますので、気になる方はスルーをお願いします。



で、先に言ってしまいますと。
正直、僕はあんまり期待してませんでした。
というのもまぁ、過去のアニメ版とかのあれこれもあるのですが……
僕は原作の雰囲気が好きなので、そこを変えるような改変や演出がされていると、「それはオーフェンでやらなくてもいいんでないの?」と思ってしまうところがあって、あんまり馴染めないんですね。
なので、この舞台版も、当初、公式HPや公式Twitter上で、キャスト情報が出たり、キャストの方たちの写真や動画が上がった時。はっきり言って、「駄目やもしれんな」と思いました。
なんとなく、コスプレ感を感じるというか、変に無理にアニメっぽい演出をしてしまいそうで、それが何となく嫌だったんですね。
でも、オーフェンがせっかく舞台劇になる。ファンとしては、それを見ずに批判はできん!という気持ちもあって、チケットを買って、友人を誘っていってきたのですが……

すっげぇ面白いの。

あのねぇ、もうねぇ、「駄目やもしれん」とか言ってた自分を殴りたい。力いっぱい殴りたい。
これはね。最高に最高の「魔術士オーフェン」の「舞台劇」でした!

シナリオとしては、完全に第一巻である<我が呼び声に応えよ獣>(以下<獣>)を最初っから最後まで描いております。(まぁ、公演名も「魔術士オーフェンはぐれ旅 我が呼び声に応えよ獣」なので、当たり前なんですが)
そこに、アクセントとして、原作でもあったオーフェンが≪牙の塔≫時代を思い返す回想シーンに、『プレオーフェン』の内容が差し込まれている形になっていました。
キャスト欄を見たときに、フォルテやコルゴンの名前もあったから、「まあ、回想シーンのときにチャイルドマン教室の一員という位置づけで出てくるんだろうな」と思ってはいたのですが……
意外というか、わりとしっかりと『プレオーフェン』のシナリオをそこに入れていてびっくりしました。
たとえば、チャイルドマン教室の面々が戦闘訓練を行っているシーンの回想として、『プレオーフェン(2話)・リボンと赤いハイヒール』のチャイルドマンにキリランシェロとハーティアが訓練を付けてもらうシーンを入れていたり。
『プレオーフェン(4話)・清く正しく美しく』のシナリオをほぼそのまま入れて、キリランシェロ・ハーティア・コミクロンがレティシャにボコられるところを入れたりなど。
おかげで、『プレオーフェン』が好きな人も限定的とはいえプレ編のシナリオをそのまま再現してもらえてうれしいサプライズだったと思います。少なくとも僕はそうでした。
また、原作ではチャイルドマン教室の面々はハーティアとアザリーくらいしかいなかったところに、7人の生徒全員が出てくることで、より「家族同然だったチャイルドマン教室の7人」という構図が強く描かれ、「楽しかった5年前」とアザリーの事件によって教室の面々が散り散りになり、「孤独で悲しい現在」という悲しさや辛さが強く出るような演出になっていました。
これがグッド。最高にグッド。

原作の<獣>時点では、まだチャイルドマン教室の7人の設定はなかったから当然かもしれませんが、冷静に考えてオーフェンの回想やアザリーの葬儀のシーンで他の面々が出てこないのは不自然なんですよね。
そこを、プレ編を回想代わりに使うことで自然とその問題を解消し、そのうえで最終的な「チャイルドマン死亡」「コミクロン死亡」「アザリー行方不明」「キリランシェロ≪塔≫出奔」による、『大切なものが失われていった』感じがより強調され、後述の現在のレティシャの悲しみや孤独を強く演出することができたのではないでしょうか。

で、シナリオとしても、完成度高いなと思ったのが、たぶんですけどこれ、11月の公演で続編やるつもりの終わり方してるんですよね。
で、たぶん、その11月のシナリオは、原作でいうところの5巻・6巻に当たる、通称『タフレム編』になると思うんですよ。今回の<獣>から直接的につながりのある、『チャイルドマン亡き後の≪牙の塔≫の権力闘争』の話ですね。
ここにつなげるために、プレ編を混ぜ込みつつ、チャイルドマン教室の一員であるレティシャとフォルテの存在感を示させて、そして最後に、多くの仲間たちがいなくなったあとのレティシャの孤独を描いていたんだと思うんですね。
これってまんま、原作5巻で、アザリーとキリランシェロの帰りを待って、ひとりで大きな屋敷に暮らすレティシャの孤独を裏付けるシーンになっているんですよね。

これが、非常にうまいな、と感じました。

今回の舞台は、<獣>とプレ編のミックスで、違和感なくオーフェンの現在と過去を描きつつ、原作同様アザリー事件を集結させて、バルトアンデルスの剣を持ち逃げした地人兄弟を追いかけ、オーフェンたちがはぐれ旅に出るところで終わっています。
しかし、そのあと、直接的にタフレム編につながるように伏線を張ることで、原作2~4巻の内容をすっ飛ばしても、違和感なく5巻の<我が過去を消せ暗殺者>につなげられるようにシナリオが練られているんですね。
で、きっと11月はタフレム編を描くのでは、と思うのですが…・・

え。完成度高すぎない?

今回の一回で終わらせず、続編となる次回公演に無理なくつながるようにしているんだとしたら、このシナリオめちゃめちゃ考えられてますよ。もう新アニメ版も同じシナリオにすればうまくまとまるんちゃう?

あと、シナリオのことばかり言ってしまいましたが、それ以外もすごくて。

①光と映像を駆使した演出
②俳優さんたちの演技

この2つがハイパーすごかった。
まず、一番の懸念であった『魔術をどう表現するのか』問題と、『化け物になったアザリーをどう演じるのか』問題。
この2つの問題を、同時に解決してしまう画期的な方法が、今回の公演で使われた、光と映像による演出でした。
魔術のエフェクトを映像として舞台上に映し出すことで、さながら本当に魔術が使われているかのような演出がされていて、見ていて魔術のシーンに一切の違和感を覚えることなく楽しむことができました。
言うのは簡単だけど、実際にこれを思いついて芝居の中に取り込むのってすごく難しかったんじゃないのかな? でも、すごくいい演出になっていて、感動しました。

そして2つ目の俳優さんたちの演技……これも非常に感動した!
上述したように、公式HPとかで見ると、コスプレ感すごいな、と思ってたのですが。
実際に目の前の舞台上で動いている姿を見ると、全然違和感ないの。
それどころか、ネット上で見るより、明らかにかっこいい&美しい。
そして、俳優さんたちの演技がすべて、見事なまでにキャラの特徴を掴んでいる。
オーフェンもアザリーもチャイルドマンもクリーオウもボルカンもマジクもドーチンも……その他全員。
全員が、原作を読んでいるときに誰しもが思い浮かべるであろう、そのキャラたちの雰囲気を、しっかりと再現できているんですね。これがすごい。
チャイルドマン教室の面々も、チャイルドマン含めて、全員がそのキャラの特徴をしっかりと掴んでいて、再現度高いな!と思わずを膝を叩く始末。
レティシャの神経質そうな感じとか、コルゴンの無感動な感じとか、ハーティアの軽薄さとか、コミクロンの変人っぽさとか、フォルテの威厳があるように見えて実は小市民なところとかも、すごくよく演じられていて、これには原作ファンもニッコニコですよ。

その中でも特に、オーフェン役の主演の松本慎也さんは、僕は非常に素晴らしいと思いましたね。オーフェンの持つ「ヤクザのような荒々しさ」と「面倒見のいいお人よしな面」と「ウェットで女々しくて母性本能をくすぐるような弱弱しさ」という、相反しつつも同居する様々な要素をしっかりと演じ分けており、どっからどう見てもオーフェンをやっておりました。
あとは、アザリー役の花奈澪さんも、アザリーの持つ奔放さや凶暴さを演じつつ、キリランシェロに対するときの姉の顔や、チャイルドマンに向ける女としての側面などをしっかりと演技の中で表現していて、これもまたどっからどう見てもリアルなアザリーとなっておりました。あとネット上で見るより圧倒的に美人。

……これだけ美人なら、そりゃオーフェンも憧れるし尊敬しちゃうわ……

あと、レティシャ役の千歳ゆうさんも、後半、エッチな衣装で男女ともに多くのファンを抱える、かの有名なアイテム『≪牙の塔≫の戦闘服』を着た姿を見せてくれたのですが、スタイルがめちゃくちゃいいので、とてもエッチな感じが出ていてとてもよかったです。

というわけで、舞台版オーフェン。めっちゃくちゃ面白かったです。
原作を忠実に再現しつつ、舞台に合わせてうまく改変し、そこに『プレオーフェン』の要素を足したり、続編としての『タフレム編』への伏線を貼ったりと、非の打ちどころのないシナリオ。
また、魔術などのファンタジックな要素を補完するための光と映像による演出。
そして、なによりも、原作のキャラクター達を現実に生きる存在として演じ切ってくださった、俳優陣の熱演。
すべてがハイクオリティで、大満足のいく出来栄えでございました。

いや、もう、あえて言うけど、11月も俺は見に行くからな。

そんなこんなで、取り留めのない感じになってしまったので、本日はこれにて。

以上、結構原作のセリフとかもそのまま使ってくれていたのでうれしかった半面、俳優の皆さん、『まじゅつ』と発音するのがすごく大変そうだな、と思った陽でしたー。
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魔術士オーフェンを語る<我が胸で眠れ亡霊編>

2019-08-17 11:09:06 | 秋田禎信
どーも、陽です。
不定期更新、「魔術士オーフェンを語る」シリーズです。
今回は第3巻、<我が胸で眠れ亡霊>(以下<亡霊>)を語ります。
ネタバレが嫌な方は、スルー推奨。


 
<我が胸で眠れ亡霊>
俺の好き度:★★★☆☆
おすすめ度:★★★☆☆

【あらすじ】
借金を踏み倒して逃げる地人の兄弟、ボルカンドーチンを追って、今日もオーフェンクリーオウマジクと共に旅を続ける。
ある日、オーフェンはトトカンタの闇社会の帝王、ザナドュ・オストワルドが雇った殺し屋、〝愚犬〟ヒリエッタに襲われる。ヒリエッタを返り討ちにしたオーフェンに、しかしヒリエッタはこう告げる。「わたしの本当のスポンサーが望んでるのは――腕の立つ魔術士をひとり、彼のもとに案内すること」
ヒリエッタの本当の目的は、オーフェンの命を奪うことではなく、オーフェン――いや、大陸最強の魔術士・キリランシェロを彼女のスポンサーのもとへ導くことだった。彼女の本当のスポンサーの依頼は……とある人物を殺害すること!
厄介ごとにまたも巻き込まれることを自覚するオーフェンだったが、連れていかれた先、キンクホールという田舎村で、今度は人外の化け物に襲われる。それは『クリーチャー』と呼ばれる怪物たち。
手だけの怪物、蛇人間、鉄鋼線で人を切り刻む鎧甲冑、そして――亡霊。
かつて≪牙の塔≫を追われた異端の魔術士・フォノゴロス。今では廃屋となった彼の館で、オーフェンは亡霊たちに囲まれてしまうのだった。


といった感じの第3巻です。
で、例のごとく先に言ってしまうと……この巻は飛ばしてしまっても大丈夫です!
いや、本当はだめだけど……!
でも、飛ばしてしまっても今後の展開的には特に問題は少ない、というのは本当です。
いえ、もちろん、この巻も色々と新しく説明された設定ですとか、世界観の深堀もされているので、「オーフェン」の作品世界をより深く楽しむにあたっては重要な巻であるのは否めません。
(あと、後々、第4部まで話が進んだときに絡んでくる設定もあるので、やっぱり見ておくに越したことはないのですが)

ただ、分かりやすくはっきりと言ってしまえば、この巻ではオーフェン自身にまつわる話はかなり少ないです。「チャイルドマン教室のキリランシェロ」という部分がフォーカスされるくらいですかね。
前作、前々作の<人形>や<獣>と比べると、オーフェンの過去とかが大きく絡まない話でもあり、大陸の歴史とか魔術士の歴史とかが、事件に直接かかわってこない。
「オーフェン」の作品全体を見ても割と稀有な、オーフェンの旅の目的や、オーフェン自身にまつわることの少ない「寄り道」的なエピソードではあるんですよね。
なので、正直に言えばこのエピソードは、仮に飛ばして見ても、今後のストーリー上の影響も少ない。良くも悪くもこのエピソードだけで完結している話になっています。

じゃあ、面白くないのかと言われれば、きっぱりとNO!!
個人的には結構好きな話です。

今回のエピソードでは、これまでさんざん「天才」だの「チャイルドマンの秘蔵っ子」だの言われてきた、若かりし頃のオーフェンこと「キリランシェロ」について、言及されるシーンがあります。
曰く、大陸最強の魔術士チャイルドマンから、すべての暗殺技術を伝授された黒魔術士。
曰く、大陸西部では、チャイルドマンを除いて、キリランシェロより強力な魔術士はいない。
曰く、弱冠十五歳にして大陸の端にまで名声が届きかけた――などなど。
そしてそれに対してオーフェンはこう告げるのです。
「名前には、意味があると思ってる。俺がオーフェンと名乗ってるかぎり、キリランシェロだった俺は死んだままだ。誰もそれを……無理に呼び起こすことはできない」

この辺のセリフとかからは、第1部で焦点となる、「オーフェンとキリランシェロ」という二つの相反しながらも同居する要素についても少し触れられていますね。
第1部では、基本的にオーフェンはキリランシェロだった過去を忌むべきものとして扱っています。
それは、アザリーを探すために≪牙の塔≫を飛び出した時に、自分の過去をすべて捨て去った――という自分自身への戒めのようなものを忘れないためにそうしている部分もあれば、あるいは、自分のその未熟さが師を殺し、最愛の姉と決別する道を選ばざるを得なかったことへの後悔や反省があるからこそ、かつての自分とは離れた存在になるしかない、という思い込みがあったからなのかな、と個人的には思っています。
もしくは、「殺せない暗殺者」だの「殺せない殺戮者」だの言われていた自分の弱さ、不完全さを認めたくないがためだったのか。
それとも、そんな不完全な自分が本当に本物の殺人者になってしまったとき、それは「アザリーを殺す存在」としての自分を肯定してしまうようで嫌だったのか。
何はともあれ、第1部時点では、オーフェンはキリランシェロと呼ばれることに抵抗感を感じていて、今の自分とかつての自分を切り離そうとするところがかなりあります。
この辺は、今後、第5巻となるタフレム編辺りでより焦点が当たってくるので、そういう意味では後のエピソードへの伏線になっていますね。

そして……
そんな風に、大陸でも最強の魔術士のひとりであると称されるオーフェン(キリランシェロ)のその「最強」の所以が垣間見えるのが今回のエピソードであり、僕が結構好き、と言ってしまう部分でもあります。

というのも、この<亡霊>では、かなり長大な戦闘シーンが描かれています。
異端の魔術士・フォノゴロスが作り上げた『クリーチャー』と呼ばれる怪物たちとオーフェンが戦うのですが、その戦闘シーンは合計すると実に30ページ以上のもの。
オーフェンのシリーズ全部を通して見ても、様々な魔術を駆使して複数の敵と戦うシーンは、このエピソード以外にあまりなかったような……
ともかくここでは、「魔術士」としてのオーフェンが、人外の化け物たちを相手に、どのように魔術を使い、あるいは魔術以外も使い、その強敵たちを撃破していくかとかが、かなり細かく描写しています。
正直、バトルシーンやアクションシーンを書くにあたって、お手本にしていいくらい濃密な描写がされていて、これだけでこの<亡霊>は僕の中では価値があると思えてしまってます。
また、このバトルシーンでは、オーフェンたちの使う「音声魔術」の様々な可能性が示唆されてます。
今回の戦いでオーフェンが使った魔術は、光熱波・衝撃波・音波攻撃・重力攻撃・真空波・火炎などの攻撃呪文。
さらには、『力場だけの剣を作って攻撃する』呪文や、『扉を一定時間開かなくさせる』呪文『鉄を膨張させる』呪文(熱膨張って知ってるか?)回復呪文(あるいは修復呪文)疑似空間転移と呼ばれる『光速移動』呪文などなど。

汎用性がめちゃめちゃ高いんです!

このへんが、系統だった魔術の設定にせず(火の魔術とか、水の魔術みたいに)『人間種族の使う黒魔術は物質やエネルギーを扱う』といった説明で済ませておいたことによって、呪文のレパートリーがすごいことになってるんですよね。このへんもまた、作品内における魔術の存在を、単なる戦闘のための技術というだけでなく、正しく『人を超えた能力』として表現するためのギミックにしている気がしますね。

それ以外でも、僕がこのエピソードが好きな理由としては、オーフェンとクリーオウの関係性の部分。
無理やり旅についてきて、わがまま言いたい放題だったり、好き勝手ばかりやっているクリーオウですが、そんなクリーオウを普段は邪険に扱うオーフェンも、いざ彼女が死んだと聞かされれば、

「刺し違えてでも、こいつら全員スタッブしてやるさ」
 暗殺、と言ったのだが、マジクはそんな単語は知らなかったらしい。不理解の眼差しを投げ返してきたが、すぐにそんなことはどうでもいいと気づいたようだ。
「なんでそんなことをする必要があるんですか! こんな連中、お師様には関係ないでしょう!」
「お前が言ったんだぞ。クリーオウがこいつらに殺された、てな」
「な……!」
 マジクが、驚愕の声を出す。
「ひょっとしてお師様、仇をとるっていうんですか?」
「こいつら、クリーオウを殺したんだ。それ相応の報いは受けてもらう」

というように、自分の生命の安全すら投げ出して、クリーオウの敵討ちを敢行しようとしたり、結局クリーオウがサミイに取りつかれていただけと分かり、彼女の無事を確認すると、

(俺はキリランシェロに――戦闘芸術品と呼ばれた黒魔術士にもどったつもりだった。なのにクリーオウが生きていると知れば、いつの間にか、もとの金貸し魔術士になってたな)

という風に拍子抜けしてしまったり。
最後のエピローグでは、いつものようにボルカンとドーチンの兄弟を追いかけているとき、クリーオウを指し示しながら、ヒリエッタとこんな会話をしてします。

「いいわ、あんたって――腕が立つくせに、どうしようもなく頭が堅いしね。わたしの労働報酬っていうのは、どう? しばらくあなたの仕事を手伝ってあげる」
「いや、それもいい。相棒なら間に合ってる」
中略
 オーフェンが、少し得意げにつぶやくのが耳に入った。
「最高だろ? 最低にして――最高だ」

はー、たまらん!

僕は、主人公とヒロインがしっかりとした関係性というか、絆というか、互いに互いを認め合う関係性みたいなのが好きなのです。
ヒロインを庇護するだけの主人公も、主人公に依存するヒロインも、僕の中ではなんか違うんですよ。
そういう意味では、立場とか能力とかを考えれば、オーフェンのほうがはるかに上位にいるはずなのに、互いの力関係とか信頼関係の上においては対等であるこのオーフェンとクリーオウの関係性っていうのは、僕はかなり好きな部類の関係なんですよね。
そして作中においても、クリーオウ自身もオーフェンと対等でありたいという意志を見せているからこそ、時折オーフェンがそんなクリーオウを認めるシーンがあったりすると、おっ、と思うわけなのです。
今回の<亡霊>なんかはそういう部分が顕著で、個人的に非常にニヤニヤしながら読めてしまう部分なんですね。

というわけで、相変わらず長くなりましたが、今回はこんな感じ。
そして今日はいよいよ、舞台版「魔術士オーフェンはぐれ旅」を友人と見に行ってきます。
その感想を挟んだうえで、次は第4巻。<我が森に集え狼>の感想を書きたいと思いまーす。

以上、各巻に出てくる単発ヒロインの中でも、ヒリエッタは結構上位に入るくらい好きなキャラだったなぁ、な陽でしたー。

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Get Wild

2019-08-13 00:48:42 | 映画・アニメ
どーも、陽です。

こんな夜更けですが、テンションの上がる情報をゲットしたので浮かれ気分ですよ。

というのも……そう!
今年の2月に劇場上映されたあの「劇場版シティーハンター<新宿プライベート・アイズ>」のBlu-ray&DVDの発売が決定したんですよ!
発売日は、2019年10月30日!


 
これこのとおり、Amazonさんをはじめ、各所で予約も開始してます。

いや、長かった。この日が来るまで、本当に長かった……

とりあえずこれを見て、ユア・ストーリーで傷ついたハートを癒すしかねぇ……

この劇場版シティーハンターは、ここ数年の中で僕が見た映画の中でも、トップ3に入るくらいの傑作です。
いや、この言い方だと語弊があるな。この映画単独の出来栄えとしては、100点満点中90点くらいの出来なのですが……
原作を見たうえで見ると、100点満点中300点くらいの出来栄えで。
さらにアニメシリーズを(少なくとも3まで)見ていると、100点満点中6500億点くらいになる出来栄えなのです。

アニメのシティーハンターが好きだった人が見ると!
もうね! あのね!
死ぬの!
死ぬくらい感動できちゃうの!

というくらい、シティーハンターファンのことを考えた、ファンのための、ファンを喜ばせるためだけの映画だったのです。
だもんだから、原作とアニメ全シリーズを見た僕は、興奮のあまり死にかけるレベルにこの映画好きなんすよ。

だから、はやくDVDでねぇかなぁと、来る日も来る日も待ち続けていたのです……

こりゃあ、10月が待ち遠しいぜ!

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、アニメ版シティーハンターのエピソードで一番好きなのは、「グッバイ槇村 雨の夜に涙のバースデー 」な陽でしたー。
コメント

くえすとる

2019-08-07 00:52:28 | Weblog
どーも、陽です。

ここのところ、仕事が遅番の日が多く、なかなかオーフェンの感想記事が書けていません。うむむ、口惜しい。

とりあえず今日は、最近のマイブームについて。
というのも、前回の記事でくそみそに言った映画版のドラゴンクエストを見たことで、ドラクエ熱が再燃。
買った後、途中までプレイしていたのに中断してしまっていたドラクエⅪを改めてプレイ再開しています。

っちゅうのも、ドラクエⅪを遅まきながら買いつつも、

ドラクエⅪをプレイする
 ↓ ↓
ニンテンドーswitchを買って、「ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD」に引くほどドはまりする
 ↓ ↓
「十年ぶりくらいにROやろうぜ!」と友人に誘われて十年ぶりのラグナロクオンラインをやる
 ↓ ↓
令和最初に買ったゲーム、「サムライスピリッツ」にドはまりし、友人とあくる日も対戦に興じる

って感じで、寄り道に寄り道を重ねてしまい、今に至っている訳です。
なのですが、ドラクエ映画の影響で「ドラクエやるっきゃねぇ! 美しいシナリオを楽しむっきゃねぇ!」という気分になり、再びⅪを再開。
現在は、プレイ時間35時間くらいのところまで進めました。
でもこれ、聞くところによると全然まだ中盤くらいなんですね。マジかよ、気分はもう終盤だったわ……

ともかく、やっぱりなんのかんの言ってもドラクエは面白いので、特に寄り道することなければこのままラストまで突き進もうと思っております。もうすぐswitch版出ちゃうのにね。いまだに3DS版を頑張ってるよ……

そんなこんなで、今日はこれにて。

以上、ドラクエのシナリオは王道でありつつ、毎回こちらを驚かせる仕掛けがあって、そこが憎いな、と思う陽でしたー。
コメント

映画の感想<ドラゴンクエスト ユア・ストーリー編>

2019-08-04 17:26:06 | 映画・アニメ
どーも、陽です。

昨日、友人と映画を見に行ってきたので、本日はその感想を。
そう。見てきたんですよ。映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」(通称:ドラクエ映画)を!!
というわけで、以下、壮大なネタバレありきの感想なので、気になる方はスルーを。
あ、あと。ひどく主観に基づいた、アンチ的な内容になると思うので、そういうのが嫌いな方もスルーをお願いします。

 
【あらすじ】
少年リュカは父パパスと旅を続けていた。 その目的は、ゲマ率いる魔物たちに連れ去られた母を取り戻すこと。 旅の道中、遂にゲマと遭遇し、魔物たちと激しい戦いを繰り広げるパパス。 しかし一瞬のスキをつかれ、リュカが人質にとられてしまい、手出しができなくなったパパスは、リュカの目の前で無念の死を遂げる――
それから10年。故郷に戻ったリュカは「天空のつるぎと勇者を探し出せば、母を救うことができる」というパパスの日記を発見する。 父の遺志を受け継ぎ、リュカは再び冒険の旅にでることに。 立ちはだかるいくつもの試練、そしてビアンカとフローラ、2人の女性をめぐる究極の選択。 果たして冒険の先に待ち受けるものとは!?(公式HPより引用)


で、感想なのですが、
「この映画は見られたものではないので、見てはいけません!」
って感じ。
もうね。あれよ。結構ひどい映画とか、つまらない映画とかも、世の中には当然ありますし、面白いんだろうけど、自分の肌に合わないものとかも十分ありました。
ですが、これはそういうのとはちょっと毛色が違う。
なんていうか、超一流の材料を使って、一流のシェフが、一級品の料理を作りながら、最後にゲロ乗っけて残飯にした。みたいなそんな感じ。
何が言いたいかっていうと、約2時間の尺の中で、そこに至るまでの100分くらいは結構いい出来だったのに、ラスト10分で全部台無しにしたうえに、胸糞の悪さを残すという、ここ十数年の映画史の中でも稀にみる、ひどいエンディングをかましたってことなんですけどね。

映画のシナリオは、ドラゴンクエストⅤというシリーズの中でも屈指の人気を誇り、「少年期~青年期~結婚~親世代」という、長い期間を丁寧に描いていた作品を基にしているわけなので、当然2時間の尺に収めるために、いろいろな部分をカットしたり改変したりするのは当然あってしかるべきだと思います。
でも案外その部分も、気になる点は少なかったというか、「ん?」と思う部分も多々ありましたが、総じて割と受け入れられる改変の仕方だったんですね。
むしろ、2時間の短さにドラクエⅤのシナリオを詰めるために、かなりの努力をしたと思えるくらい、頑張っていい形に仕上げていたなと思えるんです。
でもその頑張りを、自分たちで全否定してしまってるんです。

シナリオは、大きく分けて、

①少年期はダイジェスト&ゲーム画面のキャプションを使って10分にまとめる
②青年期は、奴隷スタート⇒脱出⇒ヘンリーと別れ⇒サンチョと再会⇒天空の剣を求めてルドマンの元へ、とかなりのスピード展開
③結婚編は、ビアンカorフローラのどちらを選ぶか、という原作での結婚試練編とブオーン襲撃編をミックスして「ブオーンを倒せたらフローラと結婚できる(フローラと結婚したければブオーンを倒せ)」というシナリオの流れにして、分かりやすく2つの別々のシナリオを一つに集約。結論から言うと、ブオーンを倒した上に仲間にするものの、フローラとは結婚せず、ビアンカと結婚。
④結婚~出産まではまたダイジェストで端折り。子どもも、天空装備を装備できる男の子だけの出演で、双子設定をオミット。女の子は出番なし
⑤出産後すぐにゲマたちの襲撃を受けて、主人公石化⇒ビアンカ拉致&石化。8年の月日が経ち、男の子の手によって主人公の石化解除
⑥マスタードラゴンに会う⇒妖精の国で過去に戻る⇒過去の自分に会ってドラゴンオーブをすり替える⇒マスタードラゴンの力でゲマたちのいるラストダンジョンに突入⇒ビアンカ石化解除で、家族三人揃う
⑦ラストダンジョンで最終決戦。ゲマたちを倒す


と、端折ったり改変したりしつつも、2時間に収めるために結構いい具合のシナリオ展開にしているんです
③とか、個人的にはうまくやったなって感じだし、少年期を端折ってるから、妖精の国に関しても余計な時間を使わず、サクサク過去に戻ったおかげで、過去の自分に会うところに十分な時間を使えていて、いい演出だなと思いました。
特に、サラボナ編は、結婚の条件としてブオーン退治、というのはうまくシナリオまとめたな、と思いました。また、このとき主人公の手助けをしてくれるビアンカも、「腕の立つ魔法使いとして有名な冒険者」で、「かつての幼馴染」という設定で登場したため、急に出てきてそのままパーティに加わっても、あまり違和感がなく、むしろRPG的に考えても、うまい設定改変だったなと思いました。
まぁ、そのシナリオの弊害としては、ブオーンという脅威に対抗しなきゃいけないため、こういう状況になっているのに、「こんなことで結婚相手を決めるのは嫌だ」とフローラが言い出した時には、「この子、今の状況分かってるのかな?」とフローラのあほさが目立つ形になって、そこはどうだろうと思いましたけど。

じゃあ、このシナリオ、何が問題だったかっていうと、この後のラスト10分が大問題でして。

ここから――
⑧ゲマを倒し、男の子が魔界の門に向かって天空の剣を投げ込み、魔界の門を封印したかと思いきや、突如として周囲の時が止まり、大魔王ミルドラースが現れる……
⑨と思ったら、ミルドラースはミルドラースじゃなくて、この「ドラクエ世界」を蝕むウィルスプログラムだ、と謎の自己紹介
⑩実はこの世界は「ドラゴンクエストⅤ」を体験して遊べるVRゲームの世界で、主人公は現実の記憶や意識を封印してゲームに没入しているだけのただの一般人(CV:佐藤健さん)で、ミルドラースはそんなVRゲーム世界が嫌いな天才プログラマーに作られたウイルスで、この「ドラクエ世界」を破壊するために生まれたんだ、と怒涛の説明の嵐
「大人になれ」と(マジでこのまんまのセリフで言った)いう天才プログラマーからの伝言を告げるとともに、ミルドラースの手でVR世界が崩壊していく中、「ドラクエⅤと俺の思い出は、決して簡単に壊されていいものじゃない!」という謎理論と共に主人公が抵抗。そしたら、仲間だったスライムのスラリンは実はこの世界を守るためのワクチンプログラム(CV山寺宏一さん)で、「君の手でこの世界を守るんだ!」的なことを急に言って、ロトの剣っぽい形のワクチンプログラムに変身して、主人公に力を託す
⑫山ちゃんソードでミルを倒して、ハッピーエンド。世界は救われたんだ―、あなたこそしんのゆうしゃよー、やったー、エンドロールだー
――ここまででだいたい10分

っていう、今時中学生が書いたドラクエ二次創作小説でもないような、あほくさい上に意味わからんオチで映画は終わりました。二重の意味で終わりました。

これの何がどう問題かっていうと、複数の問題点がこの展開にはあるんです。
というのも、

①今まで「ドラゴンクエストⅤ」を基にした映画、として見ていた観客側は、急なVR設定のおかげで、100分かけて感情移入してきた世界とキャラが一気に崩壊する
②しかも主人公は、このエンディングのたぶん数秒後になれば、ゲーム世界からログアウトして現実世界に戻れてしまうことが、見ていて予想できる
③でも、主人公以外のキャラ(ビアンカや息子、サンチョやヘンリーたち)はおそらくノンプレイアブルキャラ=ゲーム世界の住人、つまりプログラムの存在でしかないので、彼らと共に過ごした時間も現実の中では数時間の出来事で、しかもゲーム世界からログアウトしたら、この時築いた関係や絆も全部消えるであろうことが想像に難くない

という風に、100分近くかけてこの映画と共に作られてきた我々の気持ちや感情、感動も一切合切無駄にされてしまうんですね。

この、自分たちが存在する世界が実はゲームの世界だった、は結構昔からある設定で、ありふれた展開ではあります。
例にすると、有名どころでは、「.hack」シリーズですとか、「ソードアートオンライン」、そして同じ制作会社であるスクウェア・エニックス作品でいうと「スターオーシャン3」とかですね。
で、その設定を持ち出すとだいたいが賛否両論になります。

でも、それらの作品では少なくとも、その作られたゲーム世界が登場人物たちにとっては、現実に生きる世界、あるいは現実世界とリンクしていて、その世界での出来事は現実に密接にかかわってくる、などの設定が存在します。
この設定があることによって、「ゲームの世界だけど、そこで積み重ねてきたものは現実世界の積み重ねと同格である」という前提条件が成り立ち、だからこそ「ここはゲームの中かもしれないけど、そこで自分たちは間違いなく生きているんだ」という主張が成立するんですね。

じゃあ、今回のドラクエ映画は何がダメかっていうと、「ゲーム世界」と「現実世界」を完全に切り離してしまっている。
だから、極端に言えば、見ている側も、仮にこのゲーム世界が崩壊しようとも、別にそれで主人公に何か影響あるわけないよね、と醒めた目で見れてしまう。
さらに、今までドラクエの主人公(=リュカ)として存在し、行動していた主人公がいきなり現実世界の記憶を取り戻して「このゲームと共にあった俺の思い出を否定はさせない!」的なことを急に言われても、本当に急すぎて、こっちはついていけないんですよ。
俺たちはドラクエⅤのリュカの物語が見たかったわけで、名前も知らない一般ピープルのお前の話とかどうでもええわ、となるわけです。
今まで、「リュカ」として、子どものころからの苦難や、成長して親としての顔を見せるようになってきた姿を見ているからこそ、我々も「リュカ」の言葉や姿勢に共感や感動ができるのです。
そこに急に、たぶんゲーマーなのであろうサラリーマンの人の意識が入ってきて、「ドラクエⅤと共にあった思い出を否定させない!」とか言われても、お前がこれまでどんな風にドラクエと思い出を共有してきたのかを、俺たちは知らないから共感も感動もできねぇんだよ、としか言えないんです。

「なぜだ…正気じゃあないぜッ! どういう物の考え方してるんだ!?
つい、数分前に露呈したばかりの、大した名場面ももろくすっぽない男なんかのために! 無関係のキャラなんだぞッ!
オレたちは、このCV佐藤健がどんな音楽が好みなのかも知らないんだぞッ!」

って気分です(ジョジョ5部は名言多いよね)

制作サイドは、ここでVR設定を出すことで、「マトリックス」的な大どんでん返しというか、見ている側にあっと思わせるような「裏切り展開」を用意したつもりなんだと思います。
でも、これはどんでん返しじゃなくて、単なるちゃぶ台返しなんです。
そこまで積み上げてきたものを壊すことで、見ている側に新鮮な驚きを与えるのではなく、「今まで見てきたものが台無しにされた」という、不快感しか与えないんですね。
これをやるんだったら、もっと序盤からそれを臭わせていくべきでした。で、現実とゲームの世界の乖離というものや、主人公の意識や記憶がもっと別のところにあることを臭わせないと、後出しで今まで積み上げてきたものを台無しにしているだけにしかならないんです。

特に、フローラが老婆に化けてリュカに本当の気持ちを悟らせるところなんて、本当は描いちゃダメなんです。
これがゲーム世界で、主人公がリュカの目線でゲームをしているという前提があるのなら、フローラがリュカの本心を悟ってアシストするような真似はできないはずなんです。なぜなら、これは「リュカ」になって行われているゲームで、そこで選ばれる決定は主人公が決定していくものなのですから。
普通にドラクエⅤをプレイしていて、フローラを選んだのに、フローラが自分から身を引いてビアンカを勧めるような展開って、ゲームにおいてはないですよね?
だから、ああいう、主人公が認識していない部分の話や、主人公の意図していないキャラの行動を描いている時点で、「これはゲームの世界です」っていうのは成り立たない、と少なくとも僕は思います。
あるいは、「スターオーシャン3」のように、このゲーム世界の住人がすべて自意識を持った人間=プレイアブルキャラである、というのなら別ですが。
でもまぁ、ミルドラースが出てきたときにリュカ以外静止していた時点で、それは成り立たない話ですが。

なので、ラスト以外の100分間に関しては、100点満点中70点くらいの出来栄えでした。
ドラクエⅤのシナリオをうまく切り貼りして改変しつつ、らしさを残していたのは普通に面白かったです。
声優を務めていた俳優さんたちの演技も上手で、主人公のリュカ役の佐藤健さんも、熱演しすぎたため、感情が籠もれば籠もるほど、主人公のサイコパス気味な性格が浮き彫りになり、かえって佐藤さんの無駄遣いだったなと思えましたし。
ビアンカもキャラデザの改変具合もよく、そこに有村架純さんの可愛い声で演技がされることで「有村さん可愛いな」とずっと思いながら見られましたし……いえ、もちろんビアンカとしてもかわいかったです。
僕は、今回の映画の中ではビアンカが一番いいなって思いましたし。デザイン的にも、声的にも。
フローラは、予告で見たほどの出番はなく、むしろ上述のようにビアンカをアシストしたりと、サラボナ編では存在感がありましたが、そっから先は一切出てこなくなったので、うーんという感じ。波瑠さんの演技も僕は嫌いじゃなかっただけに、そこは残念だったかも。
そのほかにも、パパスも、ゲマも、誰もかれも、デザインや演技は非常に素晴らしかったです。ヘンリーはちょっと違うかなと思ったけど……
だからこそ、最後のオチが、そこだけが、本当にひどかった。あれのせいで、映画全体の出来は100点満点中-5億点って感じなので。
いや、ほんと、あんなんオナニーじゃないっすか。ああいうオチをやりたいなら、せめてオリジナル映画でやってくれって思います。
わざわざ、多くのファンを持ち、その出来栄えを期待されていたドラゴンクエストⅤを基にした映画でやるなって感じです。俺たちのリュカの物語を汚さないでくれって、マジで思う。

そんな具合で、これ以上書いても文句しか出ないので、これくらいにしておきます。
ただ、本当に、映像や(オチ以外の)シナリオや、俳優さんたちの演技は素敵でした。悪いのはミルドラースだけなんや……
なので、この映画を絶対に成功扱いにはしたくないので、絶対に見に行かないでください、とだけ最後に言っておきます。

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、この映画の唯一の功績は、とりあえず見た後は、ドラクエⅤをプレイしなおしたくなることだけだな、な感じの陽でしたー。
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映画の感想<ペンギン・ハイウェイ編>

2019-08-02 12:44:53 | 映画・アニメ
どーも、陽です。
仕事の都合で、遅番の日が多く、なかなかオーフェンの読み直し及び感想を書くことができない今日この頃。
とりあえず、それはそれとして、先週借りてきたDVDの感想でも書いておきます。

 
【あらすじ】
少し不思議で、
一生忘れない、あの夏が始まる。
小学四年生のアオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録している男の子。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、「きっと将来は偉い人間になるだろう」と自分でも思っている。そんなアオヤマ君にとって、何より興味深いのは、通っている歯科医院の“お姉さん”。気さくで胸が大きくて、自由奔放でどこかミス テリアス。アオヤマ君は、日々、お姉さんをめぐる研究も真面目に続けていた。
夏休みを翌月に控えたある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。街の人たちが騒然とする中、海のない住宅 地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか……。ペンギンヘの謎を解くべく【ペンギン・ハイウェイ】の研究をはじめたアオヤマ君は、お姉さんがふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。
「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

一方、アオヤマ君と研究仲間のウチダ君は、クラスメイトの ハマモトさんから森の奥にある草原に浮かんだ透明の大きな 球体の存在を教えられる。ガキ大将のスズキ君たちに邪魔をされながらも、ペンギンと同時にその球体“海”の研究も進めていくアオヤマ君たち。やがてアオヤマ君は、“海”とペンギン、そしてお姉さんには何かつながりがあるのではないかと考えはじめる。
そんな折、お姉さんの体調に異変が起こり、同時に街は異常現象に見舞われる。街中に避難勧告が発令される中、アオヤマ君はある【一つの仮説】を持って走り出す!
果たして、 お姉さんとペンギン、“海”の謎は解けるのか― !?(公式HPより抜粋)


ペンギン・ハイウェイなんですよ!(なぜか富野節)
原作は、「夜は短し歩けよ乙女」や「四畳半神話大系」、「有頂天家族」などを執筆した、森見登美彦先生。
そう、モリミーなのですよ!
働き始めてからはなかなか小説を読む余裕がなくなってしまいましたが、かつて僕が、いわゆる「作者買い」をしていた作家さんは三人です。
言わずと知れた、秋田禎信先生と。
「巷説百物語」や「妖怪」シリーズなどの、京極夏彦先生。
そしてこの、森見登美彦先生の三名です。

となれば、このペンギン・ハイウェイも見ない訳にはいかないだろう、と。
特に、このペンギン・ハイウェイは原作も読めていなかったのでどんなストーリーかも知りませんでした。なので、ちょっと期待しつつ見てみたのですが……。

これはおもしろい!

いかにも夏!といった雰囲気の映画で、ストーリー、映像、音楽などなど、見ていると「遠いあの日の夏休み」を思い出してしまうような、ちょっと不思議で、ちょっとノスタルジックで、ちょっと切なくも暖かい物語です。

なにより、主人公のアオヤマくんがいい。
普通、小学生くらいの子どもを主人公にすると、えてして、児童特有の「無邪気さ」「無知さ」「無力さ」というものに焦点が当てられてしまい、そんな子どもたちの障害となるのは「大人」や「社会」などの強い暴力や権力、権威などになりがち――な気がします。
なんですが、このアオヤマくんは、自分でいうように「とても頭がいい」のです。いや、本当に。
賢く、聡明で、行動力があり、そしてちょっぴりエッチなもの(つまりおっぱい)に興味を持っている。そんな少年なのです。
これがいい。すごくいい。

子どもを描くときの難しさとして、僕が思うには。
主人公である少年少女たちを賢く描こうとするとき、陥りやすい罠が「周囲の大人が馬鹿になる」ことです。
大人を愚鈍に描くことで、相対的に子どもたちの聡明さを描く。
大人や社会を汚く描くことで、子どもたちの純粋性や美しさを強調する。
ひとつの手法ではあるのですが、これは言うほど簡単ではなく、ここの描き方をしくじると、途端に「この世界の住人はすべて、主人公の少年少女を引き立てるためだけの存在なのだな」と見ている側に思われてしまうのです。
そして一度そう思ってしまうと、その世界がすごく薄っぺらく、そこに住まう人々はすべて感情を持たない「駒」にしか見えなくなってしまうんですね。

そういう意味では、このアオヤマ君は、割り切って「とても賢いのである」と本人にも言わせてしまうくらい、大人顔負けに賢く描いた点が、かえって突き抜けた設定になっていて、むしろ好感さえ抱ける。
そしてそんなアオヤマ君が、ペンギンをめぐる謎に直面し、その謎を解こうとして頑張って、そしてその頑張りと推理と行動の果てに、お姉さんと共に見つけた答えとは――という、そこ至るまでの軌跡や、その果てに訪れる結末には、優しさとたくましさと、そしてちょっぴり切なさがあってとても素晴らしい。
紛れもなく、少年の青春と成長の物語であるところのペンギン・ハイウェイなのですが、非常に丁寧に作られた物語で、映像美や音楽、演出などもすべてが高い水準で作られていた、上質な映画でございました。

ちょうど季節も夏だし、今の時期にうってつけの映画だと思うので、もしよかったら見てみては?

そんなこんなで、本日はこれにて。

以上、声優さんたちだけでなく、俳優さんたちの演技も違和感なくて、見ていてとても安心できる映画でしたよ!な、陽でしたー。


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