Chiakiの徒然日記

放送前・公式発表前の作品(エピソード)に関するネタバレコメントはお控えください。

今回の仮面ライダーキバ

2008年11月30日 | 仮面ライダー・感想・雑談
なんだか、また新たな衝撃が…!
人間をファンガイアにできるんだ…って驚いた。
久々に聞いた、体脂肪率の競争は、嶋さんの数値に唖然。
普通の人間では考えられないような数値。
ということは、太牙たちも似たような数値ってこと?

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炎神戦隊ゴーオンジャーGP41

2008年11月30日 | 炎神戦隊ゴーオンジャー
トリプターが卵を温めているのにびっくり。
たしか、ヒューマンワールドでは10分しか元の大きさを維持できなかったんじゃ?
と思っていたら、時間切れ(笑)よかった、ちゃんと設定が残っていて。
大翔が一生懸命育児をしているのはほほえましかったなぁ…。
生身のアクションも凄かった。
この時期になると、皆さん、素面でのアクションにも磨きがかかっていて、見ごたえがありますね。
それにしても、もう41話かぁ…。早いなぁ…。
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そろそろ12年~その5~

2008年11月29日 | 遠い日への回想
葬儀は12月4日の午後からだった。
午前中に出棺、火葬して…という流れは、今も変わっていない。
骨となった祖父が、骨拾いの部屋に運ばれて来た時、一同から悲鳴にも似た叫びが…。
1年間、何も食べていない(点滴で栄養を補っていた)ので、骨もかなり細かった。
骨の一つ一つを丁寧に拾っていった。

斎場に戻り、午後から葬儀。
平日の午後ということもあり、通夜ほど参列者は多くなかった。
だが、近所の人などは駆けつけてくれた。

1時間ほどで葬儀も終わり、私たち遺族はそのままお墓へと向かった。
納骨。
お墓を開け、弟がその中に入って、骨壺を収めた。

その翌日、私は広島に戻った。
葬儀の日の夕方にでも戻るつもりでいたのだが、なんだか気が抜けてしまって、
帰れるような状態ではなかったので、1日ずらした。
祖父が1人で映っている貴重な写真をもらい、それを手帳に収めていた。

広島に戻ると、待っていたのは、解け残っていた雪だった。
広島で雪が積もるなんて、思ってもみなかったので驚いた。
でも、雪が残っていてくれたおかげで、祖父の死というものから、一気に普段の生活へと戻っていけたような気がする。
残っていてくれた雪に感謝。

以上で、5日にわたって書いてきた祖父の死前後の記録を終えます。
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そろそろ12年~その4~

2008年11月28日 | 遠い日への回想
遺体が安置された祖父の家には、近所の方たちがひっきりなしに弔問に訪れていた。
祖父を含め、周りは農家がほとんどなので、結びつきが非常に強く、いろいろなお手伝いも来てくれた。
私は、何をしていいのかも分からなかったし、祖父が亡くなったということが信じられなくて、
ずっと祖父の遺体のそばについていて、線香が消えてなくなりそうになったら、
新たな線香を立てたり、ろうそくを立てたりと、「火の番」をしていた。
ちなみに、弟は家で受験勉強中だった。

時々家に帰ったりしながら、その日は過ぎて行った。
翌日は、本当に何もすることがなかったので、ちょっと気分転換に買い物に出かけた。
でも、やっぱり罪悪感みたいなものを感じてしまって、気分転換にはならなかった。

そして通夜。
着るものがなかった私は、寒かったこともあって、暗めの色のタートルネックのセーターに、
母から借りた黒のスカート、黒のタイツという姿で臨んだ。
それでも寒かったので、グレーのトレーナーか何かを着た覚えがある。
通夜での喪主挨拶は、父が代って行った。
祖母は抜け殻のようになっていたのと、通夜の列席者が多かったこともあって、
男性がいいだろうという結論に至ったのだ。
長女の夫である伯父はすでに他界していたので、「大人の男性」は父しかいなかった。
挨拶を依頼された父は快諾して、きっちりとその役を果たした。
思いのほか、列席者が多かったのは、父の会社の人たちがたくさん来てくれたから。
たくさんの方々が弔問してくれたことを、感謝している。
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そろそろ12年~その3~

2008年11月27日 | 遠い日への回想
12月1日日曜日。
朝から、母曰く「3ババ(祖母と、祖父の姉妹)」を連れて父が病院に送って行った。
帰ってくると、意識はないものの落ち着いているということだった。
この分なら、予定通り広島に戻れるかと思っていた。
実際、そのつもりで用意もしていた。

しかし。

父が帰ってきてから1時間もしないうちに、病院に集合の命令が。
慌てて病院に駆けつけると、祖父の状態が急変していた。
従兄の姿が見えなかったのだが、朝9時前の飛行機で東京に戻ったのだという。
1月に同じように死にかけていた時は、祖父に懸命に声を掛けてこの世に引き戻すことができたのだが、今回は…。
「延命はしない」
自然に死が訪れるのなら、それをそのまま受け入れよう。
そのように決めてあったので、医師も何もせず、祖父を見下ろしていただけだった。
そして、10時半頃。
祖父の心電図が止まった。
そして、その時間は、従兄が乗った飛行機が羽田に到着する頃と一致していた。
「きっと、彼が羽田に着くのを待っていたんだよ。」
何度となく交わされた言葉。
そして、しばらくして携帯電話を持っていた従兄に叔母が電話を入れた。
祖父が亡くなったことを伝え、また帰るという従兄を説得し、東京にとどまらせた。
「熊本の方を向いて手を合わせていたら、それでいいから。そして駅伝頑張りなさい!」
叔母のこの言葉が、従兄を東京にとどまらせた。

私はどうするか。本当に困った。
こんなことになるとは思ってもみなかったので、どうしようと思った。
まず、葬儀で着る服。
この年の3月まで高校生だったので、葬儀に着るような服の準備はしていなかった。
そして、大学。
いつかはこういう日が来る、ということを確信していたので、授業は毎回欠かさず出席していた。
なので、友達に電話をした。祖父が亡くなったので、しばらく帰れないということ、
必修の授業のときには、先生に事情を話しておいてほしいことを頼んだ。

本来、通夜が執り行われる日が友引に重なったため、すべてのことが1日延びた。
そして、祖父が自宅に帰り、祭壇が設置されたころ、何気なく外を見ると、12月にしては珍しく、雪が舞っていた…。

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そろそろ12年~その2~

2008年11月26日 | 遠い日への回想
熊本駅に着いたとき、すでに外は暗くなっていた。
迎えに来てくれた母が
「今日はもう遅いから、明日病院に行こう」
と言った。
遅いと言っても、まだ18時にはなっていなかったと思うのだが、
午後ずっと祖父に付きっきりだった母からすれば、あまり行きたくないというのが本音だったのだろう。
とりあえず、この日の時点では、小康状態を保っているということだった。

家に帰ると、私がいない間のことをいろいろと話してくれた。
一番危なかったのが、注射の誤投与だったそうだ。
看護師さんが点滴のチューブへ注射の液を投入していたところ、祖父の顔色がみるみるうちに紫色に。
そばに居合わせた母が「あらら!?」と声を上げたため、看護師さんも気づき、急いで医師を呼び出した。
その後の処置がスムーズに行ったため、大事には至らなかったそうだ。
医師と看護師の間で「お前が悪い」という言い合いになったらしいが、
どちらのミスにせよ、口頭だけで指示した(指示を受けた)のが悪い!

帰省した翌日、母に連れられて祖父が入院する病院へと向かった。
祖父の意識は混濁していた。
夏休みに帰省した時には、筆談で会話ができたのに、それさえもできない。
耳元で「来たよ!」と声を掛けても何も反応がない。
そのことがすごくショックだった。
夜にもう一度祖父のところへ行った。
東京から、当時大学3年生だった従兄も帰省してきていて、耳元で話しかけていた。
驚いたことに、従兄が話しかけると、少し反応していた。
「やっぱり、初孫となると違うのかな?」
少し持ち直したという話も聞いたので、そんな軽口が飛び出した。
このときは弟も同行していたのだが、祖父の耳元で何かしゃべったあと、母に言った。
「早く帰ろう。おじいちゃんが、勉強しろって言ってるみたい。」
受験生の弟には、祖父の息遣いからそのように聞こえたのだろう。
その言葉を受けて、私たちは従兄を残して病室を去った。

11月30日土曜日の出来事だった。

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そろそろ12年~その1~

2008年11月25日 | 遠い日への回想
「あの日」からそろそろ12年になる。
直接の血縁があり、敬語なしでしゃべれたあの人が他界した日。

1996年12月1日。日曜日だった。
11月28日の木曜の夜、広島の家で翌日の授業に備えた予習をしていたところ、部屋の電話が鳴った。
母からだった。
「明日か明後日か、帰ってこられないか?」
という電話だった。
1年前に気管切開して、病院に入院していた祖父が、いよいよ危ないという知らせだった。
「今すぐどうこう、と言うわけじゃないみたいだけど、見ておいて貰った方がいいと思って。」
私は、金曜日の授業が終わり次第、帰省する旨を母に告げた。

だが、そういう母の電話を受けてしまった私は、予習が手に着かなくなってしまった。
やりかけていた中国語の予習だけは、何とかやり終えたが、英語の予習がまるで頭に入らない。
そこで、家へ電話をした。
「明日、午前中の授業だけ受けてから帰る。」
驚く母に、予習が全く手に着かないことを説明した。
朝から帰ることを選択しなかったのは、せっかく中国語の予習をしたのに、無駄にしたくなかったから。

翌日、着替えなどの荷物を持って大学へ行った。
ビックリする友人たちに、午後から帰省すると告げ、午後の授業のノートを後で見せてほしいと頼んでおいた。
午前中の授業が終わり、学食で昼食を取った後、私は広島駅へと向かった。
駅でJRの往復特急券と、片道分の指定席券を買った。
そして家に電話。
当時、携帯電話なんて持っていなかったので、公衆電話から。
指定席券に記載されている熊本駅到着予定時刻を告げた。
このときは、まさか帰れなくなるなんて、思ってもみなかった。

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土下座

2008年11月24日 | 遠い日への回想
今、学校では体罰についてかなり厳しくなっているらしく、「やりにくい」とぼやく先生も多いとか。
特に、私たちの世代を受け持った先生たちはそう感じているらしい。
私たちの時は、たとえ先生に叩かれたと親に報告したとしても、
「何で叩かれたの?」
と問いただされていた。そして原因が明らかに私たちの方にあることが分かれば
「あんたが悪いんでしょ!」
で逆に怒られていた。
今は、「何をしたの?」と聞く親が減っているらしい。
もちろん、生徒を叩くのは許されたことではないけど、自分の子どもの非を見つめようとしない親が増えているとか。

中学2年の時、昼休みに私たちのクラスの教室の窓ガラス(廊下側)が割れたことがある。
原因は、廊下で悪ふざけをしていた他のクラスの男子たち。
うちのクラスの人間は誰一人関わっていなかった。
割ろうと思って割ったんじゃなくて、悪ふざけの度が過ぎて割れたものだから、
彼らはびっくりして、自分たちのクラスへ逃げ帰った。
窓ガラスが1枚割れているわけだから、隠し通せるはずもなく、ほんの数分で担任にまでばれた。
昼休み後の5時間目、修学旅行に備えた話を聞いていた私たちのもとへ、
窓ガラスを割った男子たちとそのクラスの担任がやってきた。
そして、担任は窓ガラスを割って驚かせたこと、破片の片付けをさせたことを土下座して謝らせた。
たまたま割れたガラスのそばに誰もいなかったため、怪我をした人はいなかったので、この問題はそこで終った。

それにしても、今になって考えるとすごいよね。土下座。
親たちに窓ガラスの請求書が行ったのかどうかまでは知らないけど、
子どもが「土下座させられた」なんて言ったら、親はびっくりするだろうな。
まぁ、自分が完璧に悪いのだから、報告した人なんていなかっただろうけど(笑)
報告したら、今度は親に怒られること間違いなしだからなぁ…。

怪我人が出ていたら、さらに事態はややこしくなっていたかも…。
あのとき、あの窓のそばに誰もいなくて良かった。

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今回の仮面ライダーキバ

2008年11月23日 | 日々のあれこれ
あれれ、ここで封印されちゃいましたね。あの3人。
もっと先かと思っていたけど、あっさりだったなぁ…。
健吾が元に戻って一安心。虚勢張っていただけだった、というのは何だかちょっと苦しいかな。
40話を過ぎて、少しずつ…。
何が何だか分からなくなりつつあります…(泣)

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炎神戦隊ゴーオンジャーGP40

2008年11月23日 | 炎神戦隊ゴーオンジャー
劇場版、見に行っておいてよかった~というのが最初の感想(笑)
見ていなくても、ついていけたとは思うんだけど、
烈鷹似の青年と走輔のやり取りは、見ていないと理解しづらかったんじゃないかな?
炎神大将軍の必殺技のときの、コックピットでのポーズにダイナマンを連想しちゃいました(笑)
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社会的常識

2008年11月22日 | 日々のあれこれ
どこかの国の首相によると、お医者さんには「社会的常識」がないようで…。
すぐに撤回されたけど、首相とは別の意味で「常識がない」と思うことも多々ある。
すぐ近くの総合病院。
敷地内禁煙になったので、ドクターたちが休憩がてら喫煙するために、病院の外に出てくる。
吸うのはいいが、建物の影からいきなり出てきて、通行人を驚かせる。
病院の付近を歩いているのは、患者か近所の人ということが多いはずなのだが、会釈も含めた挨拶一切なし。
挨拶どころがジロリと睨まれることも…。

「常識」とは違うのだが、あまりに気を使われすぎることもある。
何度か日記にも書いたが、私は先天性の病気を持っている。
しかし、普段の生活で「私は病気持ち」だなんて意識して生活はしていない。
だから、「何か病気を持っていますか?」なんて聞かれてもキョトンとなってしまうのだ。
神経線維腫やカフェオレ斑を指しながら「これは…」なんて言ってくれると、「あっ」と気づくのだが。
医師の側からすれば、その病気のことを知っているのかどうかを確認したいというのは分かる。
一応、難病指定だから告知されているかどうかの確認もあるのだろう。
広島にいたときに、よく言われていたやり方が、ベストだと思う。
「あらら~、これのこと、知ってる?」
ヘンに深刻ぶらず、軽い調子で聞いてくれる医師が多かった。

医師がこんなに気を使いすぎるくらい気遣ってくれるのに、薬局の薬剤師はおかまいなし。
多くの人がいる前で、病名まで言わされたよ…とほほ。
まぁ、同じ病気を持つ人以外には、単なる人の名前だけどね…。

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「拝見してください」?

2008年11月21日 | 日々のあれこれ
敬語の使い方が間違っている、という日記を見て、私もそうだそうだ、とうなずいていた。
私は「あちらで拝見してください」なんて言われたことありますよ。
耳を疑った。若い人ならいざ知らず、それなりに年を取った人から出た言葉だったので、本当にびっくりした。
いつからこの国では「謙譲語」が「尊敬語」になったんだ?

以前にもこう言う話題書いたような…と思って調べてみたら、2年前にも書いていた。
そのときは、自分の名前について「私のお名前は…」と書いてくるヤツがいるということだった。
いくら私が「お名前は?」と聞いたからと言って、そのまま返すヤツがあるかいな~。

言葉の使い方が間違っている、と言う点ではうちの弟も負けてはいない。
「あいつは慇懃無礼でさ~」
なんて言うから、どんな生意気なヤツなんだと話を聞いていると、
どうも「慇懃無礼」というよりも、単に物腰の低い後輩というだけのようだ。
そこで弟に「慇懃無礼」の意味を知っているのかと尋ねると、「極端に礼儀正しいヤツ」との答えが返ってきた。
…さすが。他の教科に比べて国語の偏差値が10~15ほど低かっただけのことはある。
正しい意味を教えてやると心底びっくりしていた。
そして単に「インギンブレイ」という何だかカッコいい言葉を使いたかっただけだということも白状した。
「役不足」のように、日本人の多くが間違った認識をしている言葉もあるけど、
「慇懃無礼」の意味が違って認識されているという話は聞いたことがないから、
弟の国語力のなさは今でも健在らしい(笑)

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伯母、帰国!

2008年11月20日 | 日々のあれこれ
ようやく伯母がハワイから帰って来た。
「ようやく」。伯母のところの犬にとっては「やっと」かなぁ?
元気がなくなったときには、本当に心配した。
エサも食べず、そそくさと自分の居場所へと入っていくし…。
全く吠えなくなったときには、本当にどうしようかと思った。
とりあえず、従妹に「顔見せて、頭でも撫でてやって」とメールしてみたのだが…。
もう、彼女にとって飼い主は伯母であり、従妹はお客さんの1人にしか過ぎなくなっているようで、あまり効果はなかったようだ。
親戚総出で、彼女を可愛がり、時には下校中の小学生にも遊んでもらって、なんとか元気を取り戻してくれたときはほっとした。

そして、元気になったころ、伯母が帰国。
この大変さはきっと信じてもらえないだろうなぁ…。

伯母からのお土産は紅茶だった。
ナッツ類を食べるとすぐに吹き出物ができるので、ナッツ入りのチョコレートは辞退した。
で、その紅茶。
なんと。
Made in Japanでした(笑)
しっかり住所も
Daikanyama Shibuya Tokyo Japanとなってるし(笑)
ハワイで日本製のお茶を買って帰る。
伯母らしいけど、なんだかガッカリだなぁ…。

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「クライマックス刑事」

2008年11月19日 | 仮面ライダー・感想・雑談
遅ればせながら、レンタルで見ることができた。
印象としては、なんだかバタバタしているなぁという感じ。
テレビシリーズの「電王」の設定なんかを一度リセットしないと、「え?」という感じかなぁ。
何で、契約していない人物に憑依できるんだ~というのも謎だし、
かといって、そのあたりのことを考え始めたら、話が進まないし…(笑)
「お祭り」としては、楽しいものになっていると思う。
「キバ」からも出演があったけど、顔見せ程度だったなぁ…。
出なくても良かったんじゃない?
なんだか、いろいろな意味で勿体ない気がした。

そんな中で、お姉ちゃんが持ってきたお弁当を、一品一品大事に食べているリュウタロスが可愛かった。
お姉ちゃんと顔を合わせて、慌てて隠れてみたり、和みました。

そして、鈴木刑事が言う「答え、聞こうよ~!」には笑っちゃいました。
確かにそうだ。

ともあれ、この内容なら…。
DVD衝動買いしなくて良かった!
というところですね(笑)

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な、何で分かったんだ~!?

2008年11月18日 | 日々のあれこれ
地籍調査の閲覧確認とかで、母ともども出かけてきた。
町役場に着いて(熊本市ではない)、用件を告げると、職員さんが場所を案内してくれた。
そして、その場所に着き、そこの職員さんに再び用件を伝えると、担当の職員さんが奥から出てきた。
私たちをちらっと見て「○○(父の本名)さん…」とつぶやいた。

えええ~!!?

ちなみにその職員さん、知り合いではありません。
この日が初対面です。
なのに、何で、何で、父の名前も土地の場所も把握してるんだ~!!?
こちらが父の名前を出した上で、土地の場所が分かるというのならまだ分かるんだけど…。
また、私たちが最後の1人というのならこれまた分かるんだけど…。
最後の1人ではありませんでした。

この日の地籍調査閲覧は、資産価値ゼロの山林。
荒れ放題で、立会調査の時も周りの所有者も「適当で良か!」で済んでしまったような土地。
なのだが、図面作成を依頼した業者のミスで、実際よりも狭く区割りされてしまっていた。
こちらとしては特に構わないのだが、役所はそうもいかないので、改めて作り直して今度は郵送してくれるそうだ。
それに判を押して返送してほしいとのことだった。

帰りの車の中では、どうしてあの職員さんが私たちを知っていたのかが話題に。
見た目の年齢からして、父の友人ということはあり得ない。若すぎる。
数多くいる親戚の1人、ということも絶対にない。

本当に、何で分かったんでしょう?すごく不思議です。

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