閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

河津桜

2021-01-17 22:33:16 | 日々

梅より早く、ひっそり咲いている河津桜。

咲いたといっても、まばらなので、あまり桜らしい華やかな感じにならない。斜面に植わっているので根が張りにくいのか、年数のわりに育っていない気がする。枝ぶりが整わないのは、途中で鹿に食われたり、つるにからまれて折れたりしたからだろう。それでも年々、少しずつだが花の数は増えていると思う。

 

 

 

フライング気味に1つだけ咲いた黄色のオキザリス。まだちょっと寒いよね。

 

いつかの朝の雲と、

 

かすかな夕焼けのカケラ。

 

また思い出して、鈴木牧之の『秋山記行』をぽつぽつ読んでいる。
(「また」というのは、6年前のこのあたりからつながっているわけです)

いまから200年ほど前、江戸時代の後期に書かれたもので、信濃との国境にある秘境の村落を訪ねた6泊7日の旅の記録である。
原本は漢文で書かれているらしく、それではとても歯がたたない。わたしが持っているのは東洋文庫の校注本で、古文は古文だけれど、句読点や振り仮名が入っているから、なんとかついていけるレベル。半世紀前の本だから、文字は小さいし、ちょいちょい読めない漢字につまずいたりもするけれど、うん、これこれ、本というのはこうでなくちゃね…と嬉しくなる。

牧之さんがこの山奥に点在する集落に心ひかれたのは、そこに住む人々が「平家の落人の末裔」と言われていたからで、その証拠となる家系図か掛け軸か何かを見たいというのが旅の目的のひとつだった。「落人伝説」というのは、現代でも日本の田舎ならどこにでもあり、「徳川の埋蔵金探し」などと同じで、まあ「ロマンを求めて」ということなのでしょう。
(でも、序文にある落人云々は、なんとなく大仰な感じだから、もしかしたら歴史もの好きのお江戸の読者に向けたサービスなのかもしれない。「つかみ」ってやつですね)

現地に詳しい行商の桶屋にガイドを頼み、出かけたのは10月初旬。雪はまだない。ホテルがネット予約できる時代ではなし、そもそも宿屋なんてものはなく、行く先々の民家で押しかけ的に泊めてもらうのだから、米、味噌、塩、茶、酒から布団まで背負って行くのだ。
山の人々の生業は「山稼ぎ」すなわち林業と、木製品の加工。山の中だから稲作はできない。秋には幼児まで総出で栃の実を拾い、粉にして蓄え、春まで命をつなぐ。あとは粟、稗、小豆、大豆、それに蕪などの青物。雑炊にしたり、こねて餅状にして食べる。凶作の年には、多くの家が餓死して絶えたという。
着物はイラクサの繊維を織ったもの。足は裸足。夜の明かりは松の枝を細く削ったもの。夜具はなく、ただ薪だけはいくらでもあるので、大きな炉に火を焚き続け、みんな着のみ着のまま炉端でごろ寝をする。(「ニューギニアの高地でもそんな感じだった」とMが言ってました)

町の商家育ちの、いわゆる「文化人」である著者は、そんな異文化の暮らしぶりにカルチャーショックをおぼえつつも非常に興味を持ち、自筆の絵をまじえて詳しく記録している。
少々「上から目線」に思えるところもあるけれど(「茶代として」自作の短歌を書いた短冊を置いてくるとか、とっておきのご馳走として出された鹿汁を断るとか、女性の美醜をいちいち気にするとかね)、時代を考えればまあしかたないのだろう。

このとき著者は59歳、やや耳が遠くなっていて、補聴器がわりに小ぶりのほら貝をいつも持ち歩き、話を聴くときは耳にあてていたという。山の人々にとっても「見知らぬ町のおじさん」の来訪は、かなり珍しく面白い出来事だったに違いない。
牧之さんは、この紀行文を江戸に送り、『東海道中膝栗毛』の十返舎一九のプロデュースで戯作として出版したいと考えていたが、一九の死去でついにかなわなかった。
現代語訳も出ているので、興味のある方は読んでみてください。

 

本日のクレコマ。

取っ組み合い3秒前。
先日は早朝から、わたしのベッドの上や下で2匹で転がり回って大暴れし、たいそううるさかった。2匹で勝手に遊んでくれるので、手がかからなくて良いとも言えるけど。遊ぶのはお外でやってくれえ。

 

本日の「いいね!」

Giant panda takes a tumble in the snow

パンダ、雪を満喫する。カナダのトロント動物園。

もうひとつ、こちらも可愛い。

Giant Panda vs.Snowman

コメント
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