閑猫堂

hima-neko-dou ときどきのお知らせと猫の話など

あやしい5人組について

2010-12-29 09:02:07 | Q&A

冬さんから。

>閑猫さんの本は何冊も読みましたが、本のイメージがかなり違います。
>サンゴロウさん・テール君、スターズはハードボイルドでも読んでいるよう。
>木苺やアイヴォリー、風町はなんとなく少女的なイメージ
>絵本やおてつだいねこなどは、読んで楽しい子供向け
>閑猫さんは、ほんとうは男性?少年?少女?でしょうか?

えへへ、バレたか~。
じつは、5人でひとつのペンネームで書いてるんだよね。
本の奥付を見ると名前のうしろに小さいマークが入ってるでしょ。
知ってる人はそれで見分けられるようになってるんだけど・・

というのは嘘(笑)

物語を書くというのは、一種の変身願望なのかもしれません。
小さい子どもは、おひめさまごっこに熱中したり、
ウルトラセブンになりきったりして遊びます。
自分じゃない誰かになるのって、なんて楽しいんだろう。
しかし、おとなが「自分じゃない誰か」になる場合、
場所ややりかたや相手次第では「詐欺」になりかねない。
合法的にそれができる職業が、たとえば役者だったり、
作家だったり、するのではないかしら。

ずっと前にも書きましたが(→こことか)
モード切り替えスイッチはだいたい3種類あるようです。
切り替えのきっかけは、おもに「表記」ではないかと思います。

絵本や幼年童話は、ひらがなメインで書きますので、
使う言葉も、やさしい、わかりやすいものを選びます。
「困難」は「むずかしい」になり、
「難解」は「わかりにくい」になる。
そうしていくと、自然と内容も限られてきます。
ひらがなで書きにくいことは書けないから書かない。
つまり、最初の発想段階からまったく違ってきます。

ひらがな世界は、小さい子どもの立ち入り自由な場所で、
危険なモノや怖いモノは置いてありません。
ひらがなのおしごとだ、と思うと、ここの扉を開きます。
この世界の「ことば」は、子どもの不安を和らげ、
楽しい方向を示す「あかり」として存在します。
だいじょうぶだよ、と。
こっちにおいで、と。
(そうであるべきだ、と思っています)

一方、ひらがな規制をはずすと、世界は限りなくひろがり、
不安定なわけのわからぬモノがどっと流れ込み、
わいわいがやがやと大変なことになります。
それをなんとか仕切って整頓するためには、
自分自身がしっかり何かに「なりきる」ことが不可欠なのです。
まず自分の役を決める。立つ位置を決める。
そこから見回して、すばやく取捨選択をしていく。
その結果、必要なものだけが周囲にあつまり、
コンパクトで居心地の良い「巣」ができる。

(あ、そうか。つまり、物語をつくるのは、
というか、こういう文章を書いていること自体、
自分の頭の中を整理整頓したいからなのですね)

読者の方からみて「イメージが違う」のは、
もともとひとりの中にいくつかの人格が混在しており、
その時々でどれかが「仕切り屋=主役」を名乗り出て、
お気に入りの材料で巣をつくるから、ではないかと思います。

(・・ほらぁ、やっぱり、5人いるんじゃないか/笑)

>サンゴロウさんとアイヴォリーを読んで、たくさんのものを捨ててでも、
>本来の自分を生きたかったのかなと感じました。
>また、サンゴロウさんをはじめ、自立して一人でも生きていける
>強さを持った人物が多く出てきますね。
>こういったところは、作者さんの人生観でしょうか?

それは人生観というほどのたいしたものではなく、
単なる個人的な「あこがれ」にすぎないのでしょう。
現実には、人は一人では生きていけませんし、
「強さ」も裏返せば「協調性に欠ける」ということになります。

でも、現実は現実で、ちょっとそのへんに置いといて。

とりあえず、どれくらい現実と離れたことを想像できるか・・
ずっとずっとずーっと遠く離れれば、いつかそのうちに
地球をぐるっと一周して戻ってきて
現実の背中をポンと叩いてやることができるのではないか・・
というようなことを、閑猫は、日々研究中です。


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コメント
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