水にただよう浮草日記

自称文人、でもあっちへこっちへ行方定まらない。そんな浮草が芝居、映画、文学、美術、旅に関してのコメントを書き連ねます。

映画 「クーリンチェ少年殺人事件」

2017-08-30 19:58:07 | 日記・エッセイ・コラム

「クーリンチェ少年殺人事件」1991年の映画 下高井戸シネマ

エドワードヤン監督 台湾映画

4時間

異界に迷い込んだような気になる、不思議な映画、言葉では絶対言えないその不可思議さ。時代、政治的背景がキチンと説明されていて、美しい風景、建物が整然として静かに映っているのに、少年たちの暴力と、家族の崩壊が、裏で何かに動かされいるような、自分ではどうしようもないような、行き止まり感。

人の営みとはこれほどやるせなく切ないものか。生きていくって、どんな時代のどんな国のどんな人でもつらいことだなあという気になるような。

時代が1960年代の台湾、日本の占領が終わり、上海から台湾に逃れてきた家族。日本人が残した日本家屋に住む -それがそもそも奇妙な印象を与えるのだ。

夜間中学に通う次男、けんかやいたずらに明け暮れる日々。

夜のシーンが多い。闇の中での喧嘩、一瞬のライトの閃光と音しかないのが怖く、圧倒される。シーン、シーンがどこかで見た漫画のよう感じがし、全く相い反するものが同じシーンに現れる。

しずかでゆっくりしているのに、激しいけんかや怒鳴り声

悪そうな人が実はいい人で、強そうな人間が実は弱く、

幼顔の中学生と、怖そうな大のおとなが命がけのけんかを繰り返し

純粋な女学生を好きになってしまう主人公とそれを取り巻く友達や、裏切りなどが切ない。

主人公がせっかく告白などをしているシーンなのに、ヘタなブラスバンドの練習が行われていて、学校での出来事の一コマでしかないドキュメンタリー風な何気なさ。

権威を振りかざす学校の教師とそれに反論し息子を守ろうとするお父さんが切ない。そんな優しいお父さん、国民党の公安のような人に数日間尋問され、精神のバランスを失う、そのシーンを見ているこちらもバランスを失っていくような長い時間の流れと風景描写がある。 毅然とした強いお母さんとお姉さん、優しく弱い兄、家族がキチンと描かれていて、その中でけんかばかりしている情けない主人公が際立ち、

グループの仲間、女学生の元彼、町のかき氷やのおじさん、女学生の親戚の人や、病院の医師、保健室の看護婦、レストランの男に捨てられた女までもが、どこか奇妙だけれどキチンと自らを主張して、全員憎めなく、忘れられない存在になっている。

静かでりっぱな作りの校舎の中で急に中学生たちはバタバタ走りまわり、

台風の大雨の中を自転車を走らせ、

恐ろしい場面で急に停電になって、闇につつまれ、ホッとさせられたり。

女学生と主人公が歩きながら話をしているシーンで、ものすごい騒音が続き、何かと思えば、戦車が何台も行きすぎるようなきびしい政治的、軍事的状況なのに、アメリカの音楽やパーティに楽しく興じる。

純粋な女学生に裏切られ、短刀で刺してしまう主人公、周りでは普通の日常が続いていて、そんな恐ろしい凶行が、風景の一部でしかなく、画面には小さく写されている不思議さ。

小津安二郎にサムペキンパーを足したような映画。

 

 


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