昨夜から今朝にかけて纏まった雨が降り、朝散歩は中止し部屋掃除の後
部屋で晴耕雨読、雨を疎ましからず"音と読"に親しむ一日を送りました。
雨を疎ましがらずと記しましたが、はてでは"疎"の文字単体の持つ意は?
調べてみると、"まだら"とか"ぼんやり"また親しくないなどありました。
また疎ましいの言葉の対語は好ましい、、、では疎ましがらずとなると、
密にならず親しくもなく、適度な間合いを保つ立ち位置と考えられます。
雨降りに野外活動すると、濡れて動きや体温を奪われたりするので疎む、
然しそれなりに心構えすると、水を利したり情緒風情を感じたりもする。
水に関していえば、親水、疎水、撥水という言葉を順に思いつきますが、
この場合の"疎"は、親しむと撥じくの中庸的立ち位置だと理解できます。
そこで改めて自然との対峙、人との付合い方、社会にあっての立ち位置、
経済の理解度と欲望への満足度、病や老いとの向合い方など考えてみた。
天網恢恢疎にして漏らさずとは、悪いことをすると天罰が下るとの喩え。
では悪いこと良いこととは?人が社会形成する上で互いに不都合な事案?
自然によって齎される災害や疫病の蔓延、動植物による人領域への侵害、
人を惑わす地位、名誉、権力、金への飽くなき追及という覚えなき事象。
そうなるとそれらに対して、変に巻き込まれずまた高まらず醒めもせず、
自然体で程良き付合い方、間合いを測る "疎"であるというのも亦よし哉。