ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

得るものと失うものと……チャップリン「街の灯」

2007年01月08日 | 映画・芝居・芸術など

チャップリンの名作「街の灯」。(チャップリン主演・監督)
500円で売られているDVDをパソコンにセットして観る。

盲目の貧しい花売り娘と妻に去られて自殺を図ろうとしている富豪、そしてチャップリン扮する街の浮浪者が織り成すストーリー。
「浮浪者チャップリンと盲目の花売り娘のラブストーリー」と表題にある。

「街の灯」の中のチャップリンは、山高帽、ダブダブのズボン、ステッキ、付け髭、そしてズボンに比べて窮屈な上着に蝶ネクタイ。それに先のとがった靴。お馴染みのいでたちである。そして“ペンギン歩き”も。
人の良さそうなしかし頑固で可笑しい浮浪者チャップリンは、路上で花を売る貧しい盲目の女性から花を買う。おつりを渡そうとした花売り娘の前を車のドアを閉める音の後にエンジン音が過ぎ去る。
花売り娘は花を買ってくれた人は車に乗って去って行った紳士だと思い込む。

あるとき、花売り娘の母子が貧しさのあまり家賃も払えなくなったことを知ったチャップリンは、一肌脱ごうと、掃除夫になって精を出したり、ボクシングジムでボクシングによる50ドルの賞金を手に入れようするが、上手くお金を工面出来ず、かって海に飛び込んで自殺をはかった富豪を助けたことがきっかけで知り合いになったその富豪がヨーロッパから戻っていることを知り訪ねる。

100ドル貸して欲しいと頼むつもりのチャップリンに向かって富豪は「1000ドルで足りるか?」と問い、気前よくチャップリンに1000ドルを渡す。

チャップリンはこの1000ドルを持って盲目の花売り娘の元を訪ね、家賃の他に目の手術代にと1000ドルを渡す。
わたしは、ここのシーンがかなり鮮烈に印象に残り、その場面をイメージの中で反芻する。
1000ドルの内、チャップリンは最初紙幣の一枚を自分のポケットに入れる。そして残りを家賃と、目の手術代にと渡したが、女性も奥ゆかしくなかなか受け取ろうとしない。押し問答の末、お金を渡すチャップリンに女性は深く感謝し、チャップリンの手をとってキスをする。それに気をよくしたチャップリンは、ポケットに入れた残りの紙幣も彼女に渡してしまう。

やがて季節が移り晩秋、一文なしになっていっそうヨレヨレの浮浪者になったチャップリンが街をさ迷い歩く。疎ましげに見つめる街の人たち。
その中に、チャップリンのおかげで目の手術をし、メイン通りに花屋を開業したかっての盲目の花売り娘もいた。

ボロを纏ったチャップリンを見て笑い転げ、哀れんで花を一本とコインを渡す。
出逢いに驚くチャップリン。花売り娘を見つめながら去ろうとするチャップリンの手にコインを押し込む花売り娘は、やがてかってイメージした恋人の手の感触を思い出す。
見詰め合う二人。

花売り娘:あなたが?……
チャップリン:目が見えるように?……
花売り娘:ええ、みえますわ……

そして「街の灯」は終わる。モノクロの無声映画に時々日本語の字幕スーパーが入る。

恋の行方に関してチャップリンは何も語らないままに「THE END」。
観る人の判断に委ねているが、わたしは花売り娘のボロボロのボロを纏ったチャップリンの手を握ったまま離そうとしないしぐさにハッピーエンドを信じている。

人生には「得るもの」と「失うもの」が交錯するが、チャップリンの我が身を顧みないで人、それがたとえ実らぬ恋であっても恋人に100パーセント尽くすシナリオにはチャップリンの人生哲学が色濃く投影されているに違いない。
貧しかったがゆえに自分のことしか考えられずケチな人もたくさんいるし、貧しかったがゆえに人への思いが深い人もたくさんいる。

どたばたの喜劇を描きながら、こんなにも深く心に沁み込む数々の場面。
チャップリンのチャップリンたる所以。折に触れて繰り返し観たい。観る時の心の状態によってもまた違った示唆があるに違いない。



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