老いぼれよれよれ道中記

ひまなじっさまが、余生のあるうちはと、内外のおもしろげな街や村をほっつきあるく旅日記

那智従軍写真館=休戦日

2011年12月19日 | Weblog
■ 休戦日=熊野灘観光

♪ 海の男の 艦隊勤務 月月火 水木 金金~

土・日なしの大日本帝国海軍のヘイタイさんほどではないにしろ、今回の那智前線は、この老兵にとり全27日間の従軍期間中、お休みしたんは、なんと、たったの「2日間」だけという誠に厳しい勤務でございました。

「耐えがたきを耐え、忍びがたき忍んで」長い年数、こき使われた「役人時代」でも「週に2日」は休みやったのに・・・賃金ももらわんと、あげくに、この過労といってもええ「被災地ドロ出し勤務」!

こんな労働を「労働基準監督局は見逃しておっていいのか」「国会もその問題をとりあげんと・・寝ぼけておったら許さんでぇ」「政治の責任者はいったい誰なんや」

と、わしがほざけば、「なにいうてはりますや。赤紙きての徴兵ならしかたおまへんが、爺さん、自分の体力もかんがえんと勝手に志願して前線にのりこみはったんやおまへんか。難儀なんは、そない役立たずの老兵に参戦された絆軍団のほうでっがな。ほんま、よう、いわんわ」

ただちに反撃されるんで、この労働問題は「継続審議」に棚上げして、今回はその貴重な休戦日のご報告でございます。

さて、貴重な休戦日となった一日は、恥ずかしながら戦場における名誉の負傷にともなうモンで、その事情とは・・

ある日の夕刻、ドロ出しの激戦が終わり、サテライト基地から「われら絆軍団の溜まり場、いうところの絆食堂」に自分の原付きで向かう途中、心ならずも雨のためスリップによる転倒。腕と腰を痛打の悲運。

駆けつけたパトカーのお巡さんや、後続して走っていた「直吉くん」や「はなチャン」に救出され、直ちに「町立、那智勝浦温泉病院」に搬送。前日に詣でた熊野権現のご加護か、入院にはいたらず直吉くん付き添いのもとその日は宿舎に。

翌日は、毎朝、わしの出動する車を手配してくれる「和助参謀」が、「仙人さん、無理はいけません。今日だけは休んでください」。いわば上官命令で、はじめての休戦日。終日、おとなしくベッドで休ませていただきました。

いわば、この私的休日にたいし、それから暫くたって今度は偶然に「公休日が発令されてよう。現実、復興支援に休みなしが鉄則の活動にこれは珍しいこと。

末端の老兵には、なぜにの事情はわかりませんが、もれ伺えば、前日に、わが絆軍団の仲間ではないが、おなじ場所で作業していたご老人の方がどうも急死したらしいこと、さらに別の現場だが、ドロ出し作業中に散弾銃の弾が発見され、一歩まちがえば、ボランティアに死傷の危険があったことから早急に役場や警察を含めて対策を講じる必要がある。

そんな、こんなで、いわば「ご老人の喪にふくする」「関係者が、散弾や危険な薬品などの処理を相談する」ため、その日、わしたち兵卒は「休日」を賜わった・・とこない次第でございました。

それじゃ、早速に、そのうれしい休日を使い、バイクで観光した「ローマの休日」ならぬ「熊野灘の休日」のお写真を一挙、掲出させていただきます。

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左・ いざ、宿営地「和歌山県立青少年の家」を出発。どうでっか、この壮大にして静謐な県立施設のメイン・ゲートが無防備である日本国家のよさ。体験的にいってインドやパキスタンあたりでは間違いなく銃を担いだ歩哨?が睨みをきかせておりまっせ。

右・ すぐにこの看板だから、目指す灯台は、申し訳けにゃあぐらい近い。

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左・ 「黒潮前」と「熊野交通」の文字を掲げるバス停の名称にも、旅情を誘われるじゃあござんせんか。

右・ 広大な芝生をもつ「望郷の丘公園」越しに、潮岬燈台を望む。熊野国立公園の目玉的ポイントやけど、それにしてもわしを除き、観光客が全部死に絶えたように人影がない。

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左・ 有料だったんで、燈台に登らずポツンと退屈顔しとった料金徴集おばさんと昔話をしただけでここをサイナラした。話というのは、「わしは生まれてはじめて覚えた岬の名前がここやったんですわ」「けたたましきサイレンとともに、空襲警報発令!空襲警報発令!。潮岬南方150キロ洋上にB29の編隊約150機が来襲・・」

「ほうした放送を聴くたんび、防空頭巾にイガグリ頭を突っ込んで防空壕に退避しとってよう、その繰り返しのガキ時代やで、この潮岬の地名がなつかしいんですわ」。てなこって、旅先では妙に「回想」に浸るクセがわいにはあるんでございます。

右・ ♪ ここは串本~ 向かいは大島~ なかを取り持つ巡航船~

これは、「大島」にバイクに駆け上がって来て、取り付きにあった展望台からの一枚だで、向かいが「串本」ね。
ほんで、縄文時代以降ズッーと海で離れておって、間を巡航船・・いうところのフェリーでおますなぁ、それで結んでおったんやけど、最近、写真のようにどえりゃきゃにゃあリッパな橋が出来て船はお払いばこ。

だで、この有名な「串本節」は、今はウソになってまって。気の毒だわなも。

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左・ 「トルコ記念館」。これが琵琶湖の「雄琴」にあれば「トルコ風呂」と勘違いされるかもしれないが、ここ大島では、昔、この目と鼻にある熊野灘で難破した「トルコ軍艦」を救援した記念であることは、子供でも知っているのである。

なを、写真片隅に「日本赤十字社和歌山支部」が「トルコ軍艦遭難時に救助・介護にあたった人々と赤十字の博愛精神を忘れることなく平和を願う心をデザインしました」とうれしそうに解説した「日本赤十字社・平時国際活動発祥の地」記念碑が写っておりますやろ。

なら、赤十字社の「戦時国際活動発祥の地記念碑」はどこにあるんか?。
旅順港を見下ろす「203高地」には無かった覚えやし・・旅はまた疑問を生む勉強の場でもあります。

右・ この看板に誘われて、大島の先端に進みました。自動車乗り入れ禁止の表示に徒歩で汗をかきましたが、現実には、原付きバイクはいいようでソンをこきました。原付き愛好者は覚えておいてください。

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左・「土耳其軍艦エルトグルル号殉難将士之霊地」と門柱にあるとうり奥にデカイ記念碑、それを囲うように将士のお墓が並んでいる。なを、門柱に写っている軍帽とショウルダー・カバンは、彼らの遺品ではなく、わしのモンでここを表敬した証拠記念でごぜぇます。

右・ へい。同じく、この燈台に来た証拠写真ですわ。ちらりと屋根が見える官舎は、日本で最初の「石つくり」だそうです。

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左・その樫野崎燈台に登らせてもらいましたが、潮岬が有料に対し、こちらはタダ。おんなじ熊野灘を眺望する国営?の燈台やにおかしねぇーか。海上保安局局長殿。

右・ この島の名所「海の金剛」である。景色はいいが名前がよくない。「海」
は当たり前。有名な「能登金剛」のごとく、固有名詞らしく「紀伊金剛」もしく
は「串本金剛」もしくは「大島金剛」にすべきではないか・・

ボランティア活動を取材に青少年の家においでになった「串本町広報課」の職員に、僭越ながらわし提言させてもらったで、次回から、観光地図には「紀伊金剛」の表示に変わるかも。どこの役所も保守的やで多分、駄目ネ。

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左・ 大島にあるこの「日米修好記念館」は、津波や地震で傾いたのではない。下田に来たペルー提督さんに先立って、ここにあんまし有名ではないけど、やっぱしアメリカ海軍のお船がなも。

だで、その煙突をイメージをした・・とそないこってすわ。幕府に開国を迫ったペルーさんは2番手だったとは、わし、この歳までとんと知りまへなんだ。

右・ 珍しくもない普通の大島漁港だが、写真左すみの「本まぐろ・養殖体験・待合所」の建物が示すように、世界で始めて「マグロの養殖」に成功した近畿大学の研究施設がここにあるのが珍しいのであります。

このあと、「クジラの養殖」をはたしてどこの大学が手がけけるか?
「そんなアホな」。わしもそう思いますわ。

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左・ 人がさっぱりおらんこの漁港の光景をひとりじめしながら、ピクニック気分で「いまチャン」が親切に持たしてくれたお昼の弁当を岸壁に腰を下ろしてご馳走になりました。

右・ この朝、炊事担当主任格の「いまチャン」、ボランティア活動に行くのではなく、バイクで遊びに出るわしに「はい、お弁当を作ってあげました」とにっこり顔してこれを手渡ししてくれたんですわ。

頼んでも「そんな遊びに出かける人に、アカンベーよ」と断られても仕方ないのに、黙っておってこのご親切やで・・

それに、特製お握りに加えデザートのミカンに、なんとお絞りまで。かぁちゃんでも、そこまで気を配ってくれるとはかぎりませんわ。わし、涙がでるぐりゃあうれしかったです。いまチャン、ほんとありがとさん。感謝しとるでよう。

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左・ 潮岬から紀伊大島へとバイクで遊び、午後はその串本町のお隣り、「大地町」へ。ここ、反捕鯨団体から国際的に「くじらイジメの町」として、いつもイジメられておるんで、様子を見に、「くじら公園」になも。

その公園への道ですが、写真のようにひっそりこんとして、わしを除き怪しい人影はございませんでした。にしても、椰子の並木がええですなぁ。ハワイに行かんかてここでよろしゅうおまっせ。

右・ 大地のくじら公園にこの看板が立っていました。ここから近いんです。わし、以前に原付きで紀伊半島を一周しとき、この博物館を表敬したんです。ドラゴンズのユニホームがスタッフの制服なんでございましょう。

ソレをうれしそうに着て、入り口を掃除しているおねぇさんに入館料を聞きましたらド高いことをいうんで、即刻、敬遠させていただいた覚えです。へい。落合監督の年酬に比べれば安かったけどよう。

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左・ 名勝「橋杭岩」です。「地中海など目でなし」。わし、日本の世界遺産は、その海洋美にあると信じていますが、その中でも熊野灘、その中でも、この「橋杭岩」がトップ・クラスに思えるんでございます。

それにしても、その海洋美をわしのバイクが独り占め。かつ、それが無料。
日本国家も捨てたものじゃあござんせん。

右・ 海洋美の多くは、その海岸線が生み出すもの。今回の台風12号はわしが自慢の熊野灘の沿岸をかくのごとく台無しにしてくれた。でも、自然災害はしかたないし、また数年で回復もしてくれるだろう。

許しがたいのはやはり原発による汚染や廃棄物のごとく子々孫々までツケを残す人為的かつ犯罪的行為とわしには思えるんですわ。

ということで、わしは今回の「那智従軍」のおまけとして、名古屋からの串本への往復、宿泊地から基地への毎日の通勤、さらに今回の休日観光で、熊野灘の景観を存分に味あわせてもらった。

「日本は、資源がないというが、海岸線ではその質と量において世界屈指の国家である」

たしかに、その総延長もしかりなら、景観や海産物さらには数多の港湾など内陸国家はむろん中国やロシアなど含め、世界各国は羨望しているにちがいない。

そんな「貴重な海岸線」に、人類の歴史上「もっとも危険な原子力という生産工場」を次々と配置したわれわれの罪・・朝夕、熊野灘を目の当たりにして思うことは、やはり原発汚染の問題でした。


・・・・という感慨で、とりあえず、老兵の従軍写真館は閉館させていただきます。ご覧いただき誠にありがとうございました。

いよいよ年の瀬。皆々さまには、風邪などにご注意いただき、よき新年をお迎えいただきますようお祈りいたしております。

    2011・12・18

3年ほど前の夏、北海道ツーリングの折に遭遇した「リヤーカーを曳き沖縄から日本一周」をしていた「男塾」を名乗る快男子が、先日、その友人と雪の北アルプスを攻めた帰途、仙人宿にご来駕。うれしき邂逅。

見送ったあと、田舎屋でしばし独居老人ぐらしをしておれば、こちらにも寒波襲来で昨日から粉雪が舞えば、命あってのモノだね、早々に退散して戻ってきた自宅炬燵の中にて記す。     
                             寒がり敬助   
   

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