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michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

末期だよ

2025-04-20 03:22:00 | 日記2025
何がかというと、
日本の教員採用の仕組みが。

以下全て「私見」です。

教員不足(特に小学校)が言われ出してもう久しいけれど、
特に居住県についてはこれ↓です。
小学教員合格者280人中204人辞退 大学3年生の「青田買い」に踏み切る高知県の現実(産経新聞) - Yahoo!ニュース

小学教員合格者280人中204人辞退 大学3年生の「青田買い」に踏み切る高知県の現実(産経新聞) - Yahoo!ニュース

さまざまな業種で人手不足が深刻化する中、各自治体が教員確保に苦心している。特に幅広い教科を教える必要のある小学校教諭が深刻で、高知県は令和7年度採用(6年度実施)...

Yahoo!ニュース

 
ネットのニュース、
割と早くに消えそうな気がするので、
最初だけスクショで貼るとこう↓

  


採用試験の合格者280人のうち、204人(実に7割強)が辞退

県教委は、「(辞退者は)今年が特に多かったわけではない」「一般企業に流れる人数も見越して合格者を出している」などと言い訳がましいことを言っていますが、
今年分は企業に取られないように1ヶ月前倒しで試験をしてこの結果。

来年度からは、
まだ免許も取っていない大学3年生に内定を出すという「青田刈り」計画。
それはただ、大学生に早いうちから「滑り止め」確保という、企業への就活のし易さを提供するだけだろうと言われています。

教員がいかにやりがいのある素晴らしい仕事かを周知するため、
大学生を集めてセミナーみたいなものを始めた、
というのも痛々しい。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私はこの自治体で、三十◯年前に県立高校の教員として採用されました。

「初任者研修」制度(初任研)というのの本格始動に向けて、それが「試行」された年で、
その年採用された高校組の十数人が、
2週間に一度くらい、配属校から集まって校外での勉強会に参加されられました。

県で教員として勤める限りは、生徒のバックグラウンドとなる地域の地理や歴史を知らなければならないということで、
史跡巡りなどをしたのは楽しかったし後々役立ってもいるけれど、
教育会館のようなところに一日中缶詰にされ、一コマ2時間くらいずつの「講話」と銘打った元校長などの話を有難く聞かされるのは本当に苦痛でした。

「話の上手い」人などほぼ皆無で、
その内容は、現役時代いかに自分が素晴らしい取り組みをしたか、の「自慢話」がほとんど。
日々の忙しさに加えてその内容のつまらなさに思わずコックリしてしまう教員が出ると、
「自分の話を聞けっ!」と突如大声で怒鳴り、
「講話」が「説教」に切り替わる。

一緒に研修を受けていた、
臨時教員を何年かした後に採用になった苦労人の仲間(私より年上)などは、

「つまらん授業を聞かされる生徒の気持ちがわかるようになれっていう研修としか思えん」
 
と怒っていました。


Uターン就職を決めたものの、
私は採用試験の時点からこの県教委のやり方に不満がありました。

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前年夏にあった採用試験の一次発表(9月ごろ)の時点で、
私は一旦落ちています。

ペーパーテストでは満点の自信あり(専攻科目は当然、その他科目も分脈辿るとこの答えしか入らない、という絶望的にまずいテストだった。今は知りませんが。)、
実技の英語スピーチも、
4年間専攻して、大学もサークル(ESS)もバイトも英語ばかりの毎日を送っているのだから、喋れなければウソでしょう。

なのに不合格になったので、
私はUターンを諦め、
翌年は「聴講生」として大学に残ることを決めていました。
(もう授業料も払い込んでいたような。)

そして卒業前の2月から3月にかけて、
妹と一緒に政権末期の東欧諸国を(そうとは知らずに( ̄▽ ̄;))貧乏旅行。

旅も終わりに近づき、シンガポールの空港から実家に電話をかけた時、
母が、
「県教委から電話があって、本人から連絡が欲しいと言っている」
と。
用件は、「本人でないと教えられない」と言ってはくれなかったのだそうです。

なんじゃそりゃー(;´Д`A

今のように携帯やネットの時代ではなかったので、
高い国際電話をわざわざかけるのか、
と思いながら県教委に電話したところ、
「すぐに本人が◯◯庁舎の窓口まで来るように」
と言います。
何の用件なのか尋ねても、
「窓口に来ないと教えられない」
の一点張り。
「国外にいる」と言っても、
「とにかく窓口まで来い」です。

しかも、数日後に期限を限られたので、
結局私たちはそれから、2、3日の予定だったシンガポール観光をキャンセルし、
その場で飛行機を取り換えて仕方なく日本に戻りました。
(というわけで私は、これまで何度かシンガポールのチャンギ空港には行っているけど、そこから外に出たことがないっ!)

東京経由地元に舞い戻って県教委を訪ねたところ、
用件というのはやっぱり、
「採用試験の2次発表であなたは合格しました」
ということでした。

何を今更。

試験の結果は開示されたりはしないけれど、ほぼ満点に近かった自信がある私。
ということは、私の他に満点の人が沢山いた、ということですよね。
それほどまでにこの県の教員志望者のレベルは高いということで良いですね??

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そこからが大変でした。

大学の聴講生の予約を取り消し、
地元の採用された高校の近くでアパートを探し、
東京のアパートを引き払いました。
(時間がなくて、結局は東京の家の最後の掃除や立ち合いは妹にしてもらった。)

その間2週間くらいだったか。

そして、まだ生徒数の多かった当時。
私は県が鳴物入りで作った、「最後のマンモス校」の教員となったのでしたが、、、

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

今振り返っても、
その県の高飛車なやり方が「教育的」なものだったとは私には到底思えません。

職場では有能で良い先輩方に恵まれたりはしたけど、
採用されて周りを見回せば、
私などのような「たまたま初年度」で採用された教員はほとんどおらず、
管理職の親が退職する代わりに息子や娘を置き土産にしたとか、
あるいは代々教員であるとかの「縁故採用」。

本採用になかなかならずに何年も「臨時教員」として勤めている人たちは、
いざ採用された暁に◯◯教組や□□教組(県ではこの二つの組合の勢力争い、という感じでした)が、仲間を増やすべく、
採用試験のための講習を開いたりして親身に世話をしているので、
いきなり採用になった私などより県の教育事情に明るく、しかも「教師然」としている。
私のように、縁故もなければそういう繋がりも皆無の全くの新人は少なかったと思います。

(ただこの、採用試験に受かっていない臨時教員が、本採用の新人に対して「私は◯年目」と張り合って来る感じなのも、それはそれで教育的ではない、と私は思っていました。後に「教育県」と呼ばれる他県で勤めた時には、臨時教員の経験者は私よりどれだけ年上だろうと、「私は採用◯年目です」という言い方をして謙虚な人が多かった。そのへんの心構えからの教育ができている、ということなのだろうと思います。)

校長は、立場上仕方ない部分もあるのだろうけど、
私には、校内の教員からの要求と教育委員会との板挟みで右往左往しているだけのようにしか見えなかった。


そんな折、私は、
自分の母校である私立校からお誘いを受けました。
公立校には嫌気が差していたところだったので、
一年しか勤めていなかったけれど、
有り難く母校のお誘いを受けた次第です。

以後、諸事情あって私のアウトローな教員人生(それももう終わりに近いが(^◇^;))が始まったわけです。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

自分の話になってしまいましたが、
あくまでしたいのはもっと大枠での「教員採用」についての話です。

長くなったので改めますf^_^;


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