Chaprinの部屋。。

当たり前の生活の中に… ふと気づくと、素晴らしい瞬間と出会えます。それを繋いでいければ幸せです。

今年は一人の初詣。。

2021年01月02日 | 日記

いつもなら、家族全員で

仙台城本丸にある護国神社に行くのですが…

コロナ騒ぎで… 集まれず…

今日二日、天気も良くなり

我が家から一番近い陸奥国分寺薬師堂に行って参りました。

密を避ける‥ そのせいか人はまばらです。

ゆっくり手を合わせることも出来ますので

これも良いかもしてません。。

【「天平廻廊」と名付けた併設する休息施設は、当時あった廻廊(廊下)を伝統工法により再現したものです。屋根瓦は陸奥国分尼寺跡から出土した瓦の文様を用いて再現しており、鮮やかな朱色の柱はこの施設全体をイメージづけるものとなっています。】

web抜粋

 

【平成19年に修復が完了した現在の仁王門。市内では珍しくなった萱葺屋根の八脚門です。
 解体調査の結果を踏まえ、より建立当初の姿に近づけて修復されました。(宮城県指定有形文化財) 政宗公による再建とされていましたが、伊達家の史料には言及されないことや、萱葺であること。また、木鼻・虹梁に施された彫刻の意匠が古いことから、室町期に國分氏が復興したという中世伽藍の名残りではないかという説も出されています。】

web抜粋

 

【慶長八年(一六〇三)、岩出山から青葉城へ居を移した伊達政宗公は、国分寺の復興を願い、慶長十二年(一六〇七)十月、旧陸奥国分寺講堂跡にこの薬師堂を再建しました。  薬師堂は桃山時代様式の方五間、向拝をつけ勾欄をまわした単層入母屋造り、本瓦葺の仙台最古の建造物であり、国の重要文化財の指定をうけています。】

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【準胝観音堂 延享2年(1745)6代藩主伊達宗村公が、母・長松院殿の菩提成就のために再建されました。準胝観音は六観音・七観音の一つで、五穀成就・子宝・安産の御利益があるとして信仰されています。】

web抜粋

 

伊達政宗の時代よりもっと前からある陸奥国分寺ではありますが、

伊達家を強濃くかんじます。

帰り道、高砂堀(現在は高砂通り)を歩き保春院へ。。

【保春院という名前は政宗公の父輝宗公が亡くなった後、母義姫が出家した際に、政宗公の師である北山の覚範寺開山(初代住職)虎哉宗乙禅師より頂いた法名「保春院殿花窓久栄尼大姉(ほしゅんいんでんかそうきゅうえいにだいし)」に由来しています。政宗公は寛永13年(1636)義姫の十三回忌にあたり菩提を弔うために、覚範寺第四世清岳宗拙和尚を開山として迎え保春院を創建しました。】

web抜粋

現在でもNHK大河ドラマ視聴率No1の「独眼竜政宗」を見れば、

政宗の母、義姫(保春院)がよくわかります。

 

さて僕は、明日で休みが終わります。

皆様も大切な時間をお過ごしください。

 

 

#Nikon D300 + AF 28-70mm 3.5-4.5D

 

 

 



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