安楽死推奨

2018-03-28 | 日記

去年くらいから晩酌の酒量が増え、外で飲む際の酒量も増え、そんな生活を続けていたら先月ついに膵炎になってしまった。

痛い痛い。死ぬのかと思った。

こんな世の中で長生きしてもロクなこたぁないと思って、両親より先に死ななければいつ死んでもいいやと健康に気を使わないで生きてきたが、ポックリ逝くならまだしも、あれほどの激痛にのたうち回るのはなんとも耐え難い。

私があと20年生きて60才になる頃には少子高齢化の影響をモロに受け、年金もろくに貰えず、医者も足りず、保険負担も増え、医療費は高騰し、金のない奴は満足に治療も受けられず死んでいくような日常になる気がする。更に働き口を機械に奪われ、老人なんて働き口もないだろう。

誰の所為でもない。時代の流れというやつだ。

それに対してどうこう言う気はないが、せめて自分で死を選ぶ権利を与えて欲しい。

他人に迷惑をかけない形で。電車に飛び込んでも、ビルから飛び降りても、部屋で自然死しても、誰かしらに迷惑をかける。

そこでの安楽死。

世間は自殺をタブーにしているが、世の中には死を選ぶしかない状況にまで陥ってしまう事もある。私にそんな度胸はないから、所詮私もそんな人たちの気持ちなんて理解できない部類の一人なのであろう。

でも今後、もっと年齢を重ね、もっと生きづらい状況になったとき、前述したように病にかかり延命治療も受けられず、ただ苦痛を強いられるだけの日々を生きることになったら、と考えると、その選択肢は欲しい。

早期退職ではないが、50歳以降で早ければ早いほど、安楽死の代わりに幾らか金が支払われる。葬儀にも金がかかるから。身内がいなければその人が望む人に支払われても良い。明日を望む人たちに臓器提供もできるだろう。

こういう話をすると大抵性格破綻者みたいな目で見られることになるが、現状よりよっぽど良いと真剣に思うのだが。

年間2万人が自殺を図っているというこの国。都会に住んでいると電車の人身事故が起こるたびに思う。身を投げた人は肉塊と化し、それを処理する人がいて、遅れた電車に詰め込まれる人々がいて、事前に阻止できなかった遺族もやりきれない思いをし、と、人々の負がまるで螺旋のように連綿と続く。

自殺はなくならない。なくそうという努力はしているのだろうが、理屈ではないのだ。これまでもなくならかったし、これからも決してなくならない。武器を持たずに生きるということはかくも過酷な事なのだ。

示唆しているだけではなにひとつ変わらない。解決しようとしているのに、長期間に及んで全く結果が伴わないのであれば、それは方針が根本的に間違っているか、そもそも実現性のない話なのだ。恐らくどちらもだろう。根本的な解決をする事が極めて困難であり、よって実現性がない。ならば発想を変えるしかないじゃない。

そもそもタブー視されているのだから、自殺をしようとしているなどと安易に相談できもしない。病気なんじゃないかと心配され、余計な混乱を招くだけである。

 

 

 

 



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