元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「国境の夜想曲」

2022-03-12 06:49:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:NOTTURNO)ジャンフランコ・ロージ監督の前作「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」(2016年)を観たとき、ドキュメンタリー映画でありながら、かなり作為的な構造をしていることに違和感を覚えたものだ。フィクショナルなモチーフを採用することで作劇にメリハリを持たせようとしたのかもしれないが、結果として不発だったように思う。残念ながら今回の作品も同様で、極度に“引いた”撮り方をしていることもあり、その裏に控えている場違いな物語性が強く印象づけられる。

 撮影期間は約3年で、ロケ地はイラクやクルド人居住地域、シリア、レバノンなどの国境地帯だ。紛争などの情勢により、理不尽な状況に置かれている人々をカメラは捉える。ロージ監督は通訳も伴わずに、一人で取材したらしい。被写体になる人々の環境は筆舌に尽くしがたく、容赦なく命が削られる様子は観ていて実に辛い。しかし、しばらく観ているうちに演出過剰な点が鼻についてくる。



 軍隊の隊列を組んでの走行訓練風景や、家計を支えるため鳥の狩猟の助手アルバイトをする少年の姿、そして精神病棟で行われる入院患者によるイデオロギー色満載の演劇の練習風景。作者にとっては、対象物をありのままに撮影したに過ぎないのかもしれないが、観る側としてはヤラセとしか思えない。

 もっとも、それが描写自体優れたものであるのならば文句は無い。ところがこれがどうも万全ではないのだ。どれも描写が弛緩している。特に精神病棟内の舞台稽古の場面など、似たようなスタイルを持ったヴィットリオ&パオロ・タヴィアーニ監督の傑作「塀の中のジュリアス・シーザー」(2012年)の足下にも及ばない。

 そして、映像が場違いなほど美しい。遠くに響く銃撃音をバックにした湿地帯の風景など、思わず見入ってしまう。だが、これもいたずらにドキュメンタリー映画としてのテイストを減退させる要素にしかなっていない。つまり少しもリアルではないのだ。

 そもそも、劇中にはナレーションはもちろんテロップさえ挿入されていないのは不親切である。ロケ地はどこで、どういうシチュエーションで展開されているのか、そんな最低限の情報提示さえ行なわずに観客の想像力に丸投げしているというのは、どうも愉快になれない。これではただのイメージ映像の羅列ではないか。ともあれ、フィクションとノンフィクションとの線引きが(悪い意味で)曖昧な本作は、個人的に評価する気にはなれない。
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「シャロウ・グレイブ」

2022-03-11 06:25:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Shallow Grave )94年イギリス作品。ダニー・ボイル監督の長編映画デビュー作で、ヒッチコック作品を思わせるような内容と、独特の演出リズムが印象付けられる一本。ただし、出来の方はそれほど高く評価するようなものではなく、作り手の気負った態度が垣間見える。まあ、今は著名な演出家であるダニー・ボイルのフィルモグラフィをチェックする上での“資料的な”意味合いはあるだろう。

 グラスゴーの広いマンションの一室で共同生活をするジャーナリストのアレックスと医師のジュリエット、そして会計士のデイヴィッドの3人は、新たなルームメイトを募集していた。そこにやってきたのが自称作家のヒューゴーで、ジュリエットは彼を気に入ってしまう。



 ところがある日、部屋からなかなか出てこないヒューゴーを心配した3人が中に入ると、彼の死体と麻薬、そして札束が満載のスーツケースを発見。金に目が眩んだ3人は、警察に通報せずに死体を遺棄する。だが、ヒューゴーを追う麻薬組織の殺し屋が3人に迫り、やがて警察も事件をかぎつける。切羽詰まった彼らは自暴自棄な行動に出る。ジョン・ホッジによるオリジナル脚本の映画化だ。

 表面的には仲良くしていた登場人物たちが、大金を前にして理性を失っていくという筋書きは、よくあるパターンながら悪くない。当のアレックスが新聞社から、この事件の取材を命じられるあたりも面白い。しかしながら、彼らが死体を処分したぐらいでバレないと思い込んでいるのは、いかにも浅はかだ。やるならやるで、もっと綿密な計画を練ってくれないと観る方は納得しない。

 そもそもこの所業は当初から互いに裏切らないと踏んでの話でなければならず、各人が疑心暗鬼を露わにするのが早すぎるのは愉快になれない。また、それを不自然に思わせないだけの各キャラクターの内面描写が覚束ない。とはいえ、小気味良い作劇とスタイリッシュな画面造形は、次作の「トレインスポッティング」(96年)にも引き継がれており、そのあたりは興味深い。

 ユアン・マクレガーにクリストファー・エクルストン、ケリー・フォックスというキャストは万全で、特に若い頃のマクレガーは無鉄砲に粋がっている売文屋をうまく表現していた。ブライアン・テュファノのカメラとサイモン・ボスウェルの音楽も及第点である。
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「ブルー・バイユー」

2022-03-07 06:20:35 | 映画の感想(は行)
 (原題:BLUE BAYOU)幾分展開に納得できない部分はあるが、問題提起は評価して良いしキャストの仕事ぶりも万全。演出リズムは及第点で、鑑賞後の満足度は高い。何より、映画で描かれているような事実を知ることは有意義だと思う。第74回カンヌ国際映画祭における「ある視点」部門の出品作である。

 主人公のアントニオ・ルブランは韓国で生まれたが、3歳の時に養子としてアメリカに連れてこられた。長じてシングルマザーのキャシーと結婚し、幼い娘のジェシーも含めた3人でルイジアナ州の地方都市で暮らしている。キャシーは第二子を妊娠中で金が必要だが、アントニオは本業のタトゥー職人以外にはなかなか仕事にはありつけない。



 ある日、彼は些細なことで警官とトラブルを起こして逮捕されてしまう。起訴はされなかったが、取り調べの途中で30年以上前の養父母による手続きの不備が発覚。移民局へと連行され、国外追放命令を受けてしまう。アントニオとキャシーは裁判を起こして異議を申し立てをしようとするが、そのためには多額の費用が必要だ。切羽詰まったアントニオは、仲間と共に捨て鉢な行動に出る。

 本作は実話を元にしているが、まず斯様な事実が存在していたことが驚きだ。アメリカでは昔は外国からの養子縁組はいい加減な手続きが横行し、アントニオのように本国への強制送還を迫られるケースが多発しているという。近年救済措置が発効されたが、ある時期より前に養子として入国した者には適用されない。

 さらに、里親が養育義務を果たしていない場合も多く、アントニオは何組もの里親の間をたらい回しされている。この重篤な問題を提示してくれただけでも、本作の存在価値はある。もっとも、主人公の言動には疑問点も多く、自分で自分の首を絞めるような所業には首をかしげざるを得ない。ただ、韓国での生い立ちを暗示させるくだりや、アントニオが知り合うベトナム難民の女性とその家族の描写は見事だ。

 監督は主演も兼ねた韓国系アメリカ人のジャスティン・チョンで、初演出とは思えない達者な仕事ぶりを見せる。特に、ラストの空港でのシーンは観る者の涙を誘わずにはいられない。キャシー役のアリシア・ヴィキャンデルは的確な演技だが、よく考えるとむさ苦しいJ・チョン演じる男が彼女のような上玉をゲット出来るとは、にわかに信じがたい(笑)。

 マーク・オブライエンにリン・ダン・ファン、子役のシドニー・コワルスケなど、脇の面子も万全だ。あと、ヴィキャンデルがタイトルになっている“ブルー・バイユー”(ロイ・オービソン作。一般にはリンダ・ロンシュタットのバージョンが有名)を歌うシーンがあるが、意外に上手いので驚いた。
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「ユメノ銀河」

2022-03-06 06:16:11 | 映画の感想(や行)
 97年作品。70年代後半にデビューしてから主にバイオレンス物を手掛けたことから、武闘派(?)と思われていた石井聰亙(現:石井岳龍)監督だが、90年代からは静謐でスタイリッシュな作風を露わにしていく。本作もその傾向にある一編で、特にモノクロのアーティスティックな映像と凝った大道具・小道具により、文芸物としての佇まいも感じさせる。一般受けはしないが、これはこれで存在価値のあるシャシンだ。

 戦後も間もない頃、ある地方都市で友成トミ子は乗合バスの車掌の職を得る。当時は若い女子の間では人気のある仕事に就けたはずのトミ子だが、次第に退屈な日々に嫌気がさしていた。ある日、彼女の友人である月川ツヤ子が婚約者の運転するバスに乗っていて事故死したという知らせが届く。葬式の帰りに、トミ子は関係者から、事故の当事者である運転手と組んだ車掌が次々と謎の死を遂げているという話を聞く。



 不穏な気持ちに陥った彼女だが、そんな中トミ子が勤める会社に新しく採用された運転手の新高竜夫が、くだんの怪しい男ではないかという噂が広がる。しかも、トミ子は彼と仕事上のコンビを組むことになる。彼女は当初は居心地の悪い思いをするが、やがてミステリアスな雰囲気を持つ竜夫に惹かれるようになる。夢野久作の小説「少女地獄・殺人リレー」の映画化だ。

 形式としてはサスペンス物に属するが、謎解きの趣向はあまりなく中途半端に終わる。どちらかといえば内実はラブストーリーだろう。しかし、相思相愛のスタイルにはなっておらず、完全にヒロインの病的な一方通行の思い込みに終始する。

 よからぬ噂を聞いて竜夫を疑うトミ子。その反面、惹かれていくのを止めようがない。普通に映像化すれば主人公の奇態な言動がクローズアップされるところだが、本作では静かなタッチを維持し、その代わりに独特の美意識に貫かれた画面造形と、芸術的とも言える白黒の色彩の配置がトミ子の揺れ動く内面を表現する。撮影担当の笠松則通にとって、この映画での仕事は大きなキャリアになったはずだ。

 石井の演出はケレンが大きいのだが、全編を覆う沈んだ雰囲気により、そのあざとさは感じられない。90分という尺も適切だ。主演の小嶺麗奈は難しい役を上手くこなしていて感心したが、不祥事により今は芸能界から退場してしまったのは残念だ。竜夫役の浅野忠信をはじめ、京野ことみ、黒谷友香、真野きりな、嶋田久作など、他の面子もイイ味を出している。
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「声もなく」

2022-03-05 06:18:13 | 映画の感想(か行)
 (原題:VOICE OF SILENCE)食い足りない部分も目立つ韓国製サスペンス劇だが、国情を上手く表現しているし、各キャラクターも“立って”いる。そして、これが第一作目の新人監督の作品にしては大きな破綻もなく、ストレスなく楽しめるのは評価して良いだろう。2021年の第41回青龍賞で主演男優賞と新人監督賞を受賞している。

 田舎町で卵の移動販売業を営む口のきけない青年テインと片足が少し不自由な中年男チャンボクには、裏の顔があった。2人は犯罪組織から依頼を受け、死体を処理して山奥に埋めることで報酬を得ていた。ある日、テインたちは暴力団のボスであるヨンソクに頼まれ、身代金目的で誘拐された資産家の11歳になる娘チョヒを一日だけ預かることになる。



 ところが、ヨンソクは別の組織によって殺されてしまい、テインはチョヒの面倒をずっと見るハメになる。こうしてテインの“妹分”である7歳のムンジュも加えて3人で家族のような生活が始まるが、身代金を横取りしようとしたチャンボクは事故で死亡し、テインは単独でこの一件に向き合うことになる。

 リュック・ベッソン監督の「レオン」や、近作ではホン・ウォンチャン監督の「ただ悪より救いたまえ」などと似た設定ではあるが、少女の面倒を見るのが凄腕の犯罪者ではなく、気弱な若造である点が目新しい。チョヒはよく出来た子で、豚小屋みたいなテインの住処をあっという間に小綺麗で快適な空間に変えてしまうのは笑えるが、この疑似家族はチョヒが主導権を持っている。ところがそれは、女子を家庭に縛り付けようとする彼の国の風習の暗喩である点に注意すべきだ。

 チョヒの親は娘を大事にしておらず、身代金を出すことを渋る始末。ムンジュも実の親には簡単に捨てられたようだ。さらに、農家の夫婦がまったく罪悪感もなく子供の人身売買に手を染めている様子も描かれる。この理不尽な状況に直面するテインに対し、チャンボクは“聖書のテープを聴け”というお為ごかし的な忠告をするだけ。都市と地方との格差、男女差別、障害者の立ち位置、宗教のあり方など、本作は数々のモチーフを提示して社会的な問題を告発している。その姿勢は良い。

 脚本も担当したホン・ウィジョン監督は頑張ってはいたが、中盤以降は無理筋の展開が見られ、犯罪ものとしてはプロットの弱さが見えるのは残念だ。それでも、ラストの扱いは心に残る。主演のユ・アインをはじめ、ユ・ジェミョン、イム・ガンソン、チョ・ハソクらキャストは皆好演。子役のムン・スンアとイ・ガウンも達者だ。特筆すべきはパク・ジョンフンのカメラによる田園地帯の風景で、夕陽に映える絵柄は美しい。
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「黒猫・白猫」

2022-03-04 06:20:31 | 映画の感想(か行)
 (英題:Black Cat, White Cat)98年セルビア(当時はユーゴスラビア連邦)作品。鬼才エミール・クストリッツァ監督の持ち味が炸裂している一編。まあ、カタギの映画ファン(?)にはなかなか受け入れられないシャシンではあるが、この作風を承知した上で接してみれば、けっこう心地良い。なお、クストリッツァは本作で第55回ヴェネツィア国際映画祭において最優秀監督賞を獲得している。

 セルビアの田舎町に住むマトゥコは、バクチや放蕩に明け暮れ、父親のザーリェからは勘当寸前だ。マトゥコは地元のヤクザであるダダンに列車強盗を持ちかけるが当初断られたため、今度は息子のザーレをダダンの妹アフロディタと結婚させようとする。この縁談が進む一方で、実はザーレは別の娘イダと恋仲であったため、アフロディタに式をボイコットするように依頼。



 まんまと式場から逃げ出した彼女だが、その道中で背の高い男と出会って恋に落ちる。だが、その男はジプシー界の黒幕で、さすがのダダンも手が出せない。そんな中、このトラブルに気を病んだザーリェが急死。事態は混迷の度を増してゆく。

 一応ラブコメの体裁を取っているが、ストーリー自体は支離滅裂。筋書きは行き当たりばったりに展開する。こんな有様ならば普通は絶対に評価されないところだが、そこはクストリッツァ御大、独特の“作家性”で乗り切ってしまう。

 全編を彩るバルカンミュージックと、登場人物たちの素っ頓狂な言動、そして意味もなく画面上を行き来するネズミだのブタだのガチョウだの猫だのが、ドラマの整合性がどうのこうのという次元をはるかに超越した地点に作品を持っていく。当時の不穏なユーゴの情勢を笑い飛ばしてしまうような、見事な狂騒ぶりだ。それでいて、最後に物語は収まるところに収まってしまうのだから、この芸当には恐れ入るばかり。

 ティエリー・アルボガストのカメラによるカラフルな映像は目を奪う。バイラム・セヴェルジャンにスルジャン・トドロヴィッチ、フロリアン・アイディーニ、サリア・イブライモヴァといったキャストはまったく馴染みが無い。しかし、作品の雰囲気には実によくマッチしている。
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