元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「50年後のボクたちは」

2017-11-11 06:23:32 | 映画の感想(英数)

 (原題:Tschick )観ている間はまあ退屈はしないが、取り立てて良くもない。少年達のロード・ムービーとしては「マイ・フレンド・フォーエバー」(95年)よりも幾分マシだが、「スタンド・バイ・ミー」(86年)にはとても及ばない。有り体に言えば“中の下”の出来であろう。

 ドイツの地方都市に住むマイクは、周囲から変人扱いされている冴えない中学生。クラスのマドンナ的存在の女生徒の誕生日パーティにも、絶対に呼ばれない。ある日、その学校に中央アジア出身のロシア系移民の子であるチックが転校してくる。彼はマイク以上の問題児で、誰も相手にしない。夏休みに入ってもヒマを持て余すだけのマイクの家に、チックがいきなり乗り込んできてドライブに誘う。盗んだディーゼル車で一緒にルーマニアのワラキアまで行こうというのだ。

 無理矢理にチックに付き合わされることになったマイクだが、途中で知り合ったチェコ出身の若い女イザを加えての道中は、けっこう楽しめるものになる。だが、思わぬ事故により彼らの旅は唐突に終わる。ドイツ国内で220万部以上を売り上げたというベストセラー児童文学の映画化だ。

 笑える場面やホノボノとするシークエンスもあるのだが、あまり楽しめないのは主人公達の振る舞いが完全に犯罪行為だからだ。無断で車を拝借したのを皮切りに、警察官の公務を妨害し、勝手に畑に入って農作物を荒らす。ヨソのトラックから燃料を盗み、果ては迷惑運転で検挙される。もちろん、2人とも車の免許なんてものは持ち合わせていない。マイクは今までは単なる変人だったのが、旅が終われば札付きの不良になって皆をビビらせる存在になったと・・・・つまり、そういうことだろう。

 そもそも、マイクの母親はアル中で、父親は家庭を顧みず若い愛人とよろしくやっているという設定は、息子が非行に走ってもおかしくないものだ。で、その図式通りストーリーが進んでもらっても、観ている側としては鼻白むしかない。監督のファティ・アキンは以前「ソウル・キッチン」(2009年)という快作を手掛けたが、この映画では後退しているような印象を受ける。主演のガキ2人は良い演技はしているが、作品自体が気勢が上がらないので評価は差し控えたい。

 ただ、ライナー・クラウスマンのカメラがとらえたドイツの自然や田園風景はキレイだった。そして個人的にウケたのが、彼らのドライブのBGMとして流れるリチャード・クレイダーマンの「渚のアデリーヌ」(爆)。音源がカセットテープだが、テープが絡まって再生不能になると2人が“クレイダーマンが死んだ!”と言ってのけるのが妙におかしかった。
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「遙かなる走路」

2017-11-10 06:30:45 | 映画の感想(は行)
 80年松竹作品。トヨタ自動車の創業者の伝記映画で、戦前に彼が自動車を作りだすまでの軌跡を追う。木本正次の著書「夜明けへの挑戦」の映画化だ。とても真面目に作られているが、堅苦しさはない。現在の自動車業界の現状をチェックする意味でも、存在価値のある映画である。

 1933年、豊田自動織機製作所の常務であった豊田喜一郎は、欧米に出張した際に“これからは自動車産業が大きく発展する”と確信し、社内に自動車製作部門を設立。37年にトヨタ自動車工業株式会社として独立させ、41年には社長に就任した。しかしその足取りは決して順調ではなく、外国車を解体しては組み立てる作業が続くが、なかなかオリジナルの製品として結実しない。費用も底をつき、工場建設をめぐって妹の婿である利三郎と対立。窮地に追い込まれる。



 どの分野でも先駆者には苦労は付き物だが、本作の主人公は父親の代の家業との兼ね合いや複雑な家庭環境などもあり、一筋縄ではいかない展開を見せる。だが、脚本担当の新藤兼人はそれらの本務以外の事柄を描くことを“寄り道”扱いせず、メインストーリーを盛り上げるモチーフとして機能させているのが天晴れだ。

 しかも後半にはすべてネタが“回収”され、豊田一号車の完成と共に盛り上がりを見せる。原作の功績もあるだろうが、この堅牢なプロットは評価されて良い。しかしながら、日本が戦争に突入しようとする中、普通乗用車ではなく軍用トラックの生産に重点を置かざるを得なかったのは、主人公達も(表面的には受注増で喜んでいるが)不本意だったと思わせる。

 さて、業務上で徹底して顧客本位の“改善”に取り組む姿勢は、現在にもこの会社に受け継がれている。財閥の一部で当初から先進技術の吸収と開発に邁進した日産とは、元から違うと感じる。マーケティング重視のスタンスこそが、ここまで会社を大きくした要因なのだろう(ただし、個人的には今のトヨタ車を購入しようとは思わないが ^^;)。

 佐藤純彌のソツのない演出。主演の市川染五郎(現:松本幸四郎)をはじめ、米倉斉加年、田村高廣、司葉子、三橋達也、地井武男、丹波哲郎、神山繁、中野良子、白都真理など、キャストはかなり豪華。音楽をミッキー吉野及びゴダイゴが担当しているのも面白い。
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「ミックス。」

2017-11-06 06:33:47 | 映画の感想(ま行)

 正直言ってあまり出来は良くないのだが、最後まで退屈せずに観ていられたのは、やっぱり第一に主演の新垣結衣の存在感ゆえであろう(笑)。同世代の他の女優達と比べると、明らかに演技力では後れを取っている。だが、彼女には独特の“素”の魅力があり、観る者を惹き付けてしまう。パフォーマンス能力だけが俳優の真価ではない。新垣みたいにキャラクターだけでポジションを得てしまうケースだってあるのだ。

 幼い頃に天才卓球少女と呼ばれていた多満子は、スパルタ指導していた母が世を去った後、卓球を離れて普通のOLとして平凡な日々を送っていた。そんな彼女が会社の卓球部のエースである江島と付き合い始めるものの、新たに入部した愛莉に江島を取られてしまう。

 傷心の多満子は会社を辞めて故郷に帰るが、亡き母が残した卓球クラブは閉鎖寸前。残った部員も冴えない面々ばかり。しかし江島と愛莉の活躍を知った彼女は、彼らを倒すために全日本卓球選手権の男女混合(ミックス)ダブルス部門への出場を決意する。そんな多満子のパートナーは、妻子に見捨てられてこの地に落ち延びてきた元プロボクサーの萩原久。相性最悪の2人の猛特訓が始まった。

 子供の頃は天才だったというヒロインだが、残念ながら大人になった彼女にはその片鱗も無い。リアリズムで描けないのならば、マンガチックな必殺技の一つでもあって然るべきだが、それも紹介されない。相手方の久にも、ボクサーという経歴を活かした身のこなしや意表を突くプレイは見られない。対する江島と愛莉も、強豪らしい凄みを垣間見せることは無い。

 試合のシーンは頑張ってはいるが、キャストの素人ぶりをカバーするような煮え切らない描写に終始。少なくとも曽利文彦監督の「ピンポン」(2002年)には遠く及ばない。

 ならば全然面白くない映画なのかというと、そうでもないのだ。前述の新垣の可愛らしさ以外にも、取り柄はある。それは登場人物のほとんどが、嬉々として卓球に打ち込む様子が丹念に描かれていることだ。皆それぞれ事情を抱えてはいるが、ボールを追っている時だけは水を得た魚のように生き生きと振る舞う。作者はよほどこの素材が好きなのだろうと思わせる。

 久を演じる瑛太をはじめ、広末涼子や瀬戸康史、永野芽郁、遠藤憲一、田中美佐子、小日向文世、吉田鋼太郎など、キャスティングは場違いなほど豪華。生瀬勝久や蒼井優はトンでもない役で出てくるし、子役の鈴木福に谷花音、芸人の斎藤司、さらには水谷隼や石川佳純、伊藤美誠といった“本職”の連中も顔を見せる。これらを眺めているだけで、何やらリッチな気分になってくるのだ(苦笑)。

 石川淳一の演出は特筆すべきものは無いが、漫画やライトノベルの安易な映画化ではなくオリジナルの脚本を仕上げた古沢良太の姿勢は認めて良いと思う。SHISHAMOによるエンディング・テーマも悪くない。
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「ポンヌフの恋人」

2017-11-05 06:25:10 | 映画の感想(は行)
 (原題:LES AMANTS DU PONT-NEUF )91年フランス作品。驚くような映像に出会える。たとえば、大道芸人である主人公のアレックスが火を噴く場面。それに呼応するように挿入される、ヒロインのミシェルの顔が描かれた無数の街頭ポスターが炎上するシーン。そしてクライマックスの、パリの夜空に目がくらむほどの花火が炸裂し、その下でセーヌ川を疾走する水上スキーが浮かび上がる有名な場面。さらにそのバックには、デイヴィッド・ボウイやイギー・ポップをはじめシュトラウス、マーラーまで、幅広いジャンルの音楽が響き渡る

 しかし、豪勢なエクステリアとは裏腹に、映画自体の質はあまり褒められたものではない。天涯孤独のホームレスの青年と、失恋した挙げ句に治る見込みのない眼病に罹患し、絶望して街をさまよう画学生とのラブストーリーというのは、どう考えても無理筋の設定だ。加えて、レオス・カラックス監督が得意とする気取ったクサいセリフの洪水と、粘り着くような描写が行きすぎて死ぬほどのろくなったドラマ運び。画面は華やかだが、睡魔に襲われるのに始まって20分も掛からないのである(苦笑)。



 実はカラックスがこの前に撮った「汚れた血」(86年)も、監督の独り善がりの思い入れが先行したシャシンだが、そんなテイストを払拭するような切迫したパッションとスピード感が全編を覆い、観る者を瞠目させたものだ。対して、本作は巨費を投じたというパリの街並みのセットが“しょせん書き割り”であるのと同様、中身が安っぽい。

 アレックスとミシェルをはじめ、感情移入出来るキャラクターは一人も登場せず、すべてが監督の個人的趣味で押し切られている。そこには観客の立場なんか微塵も考慮されていない。そしてあのラスト。まるで取って付けたようなシロモノで、脱力するしかない。主演のドニ・ラヴァンとジュリエット・ビノシュは熱演だが、頑張れば頑張るほど、作劇の甘さが強調されるのは皮肉である。

 カラックスはこの後もロクな仕事をしておらず、要するに「汚れた血」だけの一発屋だったとの印象を受ける。ただし、作品のクォリティは斯くの如しながら、封切り当時には話題になりロングラン公開された。私はこの映画を封切り時には渋谷の満員のミニシアターで観たが、いかにも(今で言う)“意識高い系”みたいな雰囲気の客が目立っていたことを思い出す。
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「婚約者の友人」

2017-11-04 06:30:22 | 映画の感想(か行)

 (原題:FRANTZ)近代史を題材に反戦と平和への希求という正攻法のテーマを扱っていながら、一方ではこの監督らしい屈折ぶりと捻った展開の玄妙さが存分に堪能できる。洗練されたエクステリアも併せて、観た後の満足感が実に高い映画である。

 1919年のドイツの小さな町。第一次大戦で婚約者のフランツが戦死して悲しみに暮れるアンナは身寄りも無く、フランツの両親の家に厚意で住まわせてもらっている。毎日欠かさずフランツの墓に花を添えるアンナだが、ある日墓の前で涙を流す若い男を見かける。彼はフランス人でアドリアンと名乗り、戦前のパリでフランツと仲良くしていたと言う。

 息子をフランス軍との戦闘で亡くしたフランツの父親は彼を邪険に扱うが、やがてアドリアンの誠実な人柄に両親は次第に心を開いていく。次第にアンナも彼のことを憎からず思うようになるが、アドリアンはある重大な秘密を抱えていた。彼はアンナにそのことを打ち明けるが、あまりにもショッキングな内容に彼女は絶句するしかなかった。

 フランツの父親の周囲には、同じように戦争で息子を失った者達が少なくない。悲しみに暮れる彼らだが、子供達を戦争に送ったのは、この父親をはじめとする大人達なのだ。まさに「西部戦線異状なし」(1930年)で描かれたような図式である。善良な市民であるはずの彼らを、容易に国粋主義者に仕立て上げてしまう戦争という名の不条理が重くのし掛かる。

 だが、本作の主題はそこだけではない。帰国したフランツを追ってパリに出向いたアンナを待っている、残酷な現実。そして、それを取り繕うために思わずついた嘘が彼女自身の、そしてフランツの両親の運命をも翻弄していく。アンナは決して悲劇のヒロインとして描かれず、後半は自分の都合の良いように現状を認識するしたたかな女として容赦なく扱われる。さすがフランソワ・オゾン監督。いつもながら女の描き方には相当な悪意が込められている(注:これはホメているのだ)。

 ストーリーは二転三転し、終盤には開き直ったような態度を隠そうともしないアンナの姿が映し出されるに及び、この作者の暴露趣味には舌を巻くしかない。また、こんな事態に至ったのも、やはり戦争の悲惨さ故であることも強く印象付けられるのである。

 清澄なモノクロ映像と、時折挿入されるカラーの場面が、強く印象付けられる。アドリアン役のピエール・ニネの繊細な演技、アンナに扮するパウラ・ベーアの硬質なパフォーマンスは素晴らしい。特にベーアはドイツ人の女優にしては珍しくルックスが良く(失礼 ^^;)、しかもまだ若いので今後の活躍が期待できる(本作で第73回ヴェネツィア国際映画祭において新人俳優賞を獲得)。フィリップ・ロンビの音楽は効果的だが、挿入されるショパンのノクターン第20番(ヴァイオリン版)が美しさの限りだ。
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「ヒア・マイ・ソング」

2017-11-03 06:37:47 | 映画の感想(は行)
 (原題:HEAR MY SONG)91年イギリス作品。ピーター・チェルソムはベテランの域に入る監督だが、近作はあまりパッとしない。だが、彼も初期にはこんなチャーミングな映画を撮っていたのだ。コメディと音楽映画、そしてロードムービーを良い案配でブレンドし、当時は若手ながら実に作劇のツボを押さえている。

 リバプールの小さなミュージック・ホールを経営するミッキーは、往年の名オペラ歌手ジョン・ロックの復活コンサートを企画する。ところが万事がいい加減な彼は、うっかりロックのニセ者を舞台に上げてしまう。当然のことながら大顰蹙を買い、ホールは閉館。ついでにミッキーは恋人までも失ってしまう。本物のロックは税金逃れのため30年間の逃亡生活を送っていることを聞きつけた彼は、ロックを探すため俳優エージェントをしている親友フィンタンと共にロックの故郷であるアイルランドに向かう。



 舞台がむさ苦しいホールから、美しいアイルランドの自然へと移るコントラストとタイミングが見事だ。ミッキーとフィンタンとの道中は典型的なバディ・ムービーの形式だが、かなりイイ味出している。マーティン・ブレスト監督の「ミッドナイト・ラン」(88年)を彷彿とさせる。

 ミッキーは何とかロックを説得してリバプールに連れて行くが、それからの展開は予定調和のハッピー・エンドと思わせて、ストーリーに捻りを利かせ、観客を引き込んでいく。ロックによるステージングは素晴らしい盛り上がりを見せ、それに続くアッと驚くラストは観ているこちらの表情も緩んでしまう。

 ロックを演じるネッド・ビーティはアメリカ人だが、どう見ても生粋のアイリッシュだ。ミッキーに扮するエイドリアン・ダンバーとフィンタン役のジェームズ・ネスビット、そしてシャーリー・アン・フィールドとタラ・フィッツジェラルドの女優陣も良い。そしてロックを追う刑事をデイヴィッド・マッカラムが演じているのだから嬉しくなる。スー・ギブソンのカメラによるアイルランドの風景、特に海辺の古城の神秘的な美しさには舌を巻いた。ジョン・アルトマンの音楽も効果的。
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