元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

映画館内では何を食べるか

2013-03-02 06:50:20 | 映画周辺のネタ
 昔、映画雑誌の投稿欄などでよく取り上げられていたネタとして“映画館での飲食の是非”がある。飲み食いしながら映画を観ることに嫌悪感を持つ者達の代表意見は“自分の鑑賞の妨げになる”というものだが、映画館で飲食物を売っている以上、他の者が上映中に飲食すること自体に腹を立てても仕方がない。もちろん必要以上に音を立てたり食い物をあたりに散らかすのは論外だが、それは“マナー”の問題であり“館内の飲食の是非”とは別の話だ。

 どうしても他人の飲み食いが気になるなら、場内飲食禁止の映画館に行けばいい。私はといえばミニシアター系の小屋では当然飲食はしないが、そうではない普通の映画館では物を食べながら鑑賞することもある。特にポップコーンをパクつきながらハリウッド製アクション映画を観るというのは、ある意味“至福のひととき”である(笑)。

 さて、シネコンが全盛となった最近では基本的に飲食物の持ち込みが禁止されている映画館もけっこうある。食べたくなったら売店で買えということだ。劇場側としては飲食物の売り上げは大事な収入源なので、映画館の外から勝手に持ち込まれてはたまらないのだろう。

 まあ、食い物をバッグの中に忍ばせて入場すれば誰にもわからないし、実際私もそうしたことがある(爆)。ただし原則として“場内で飲食するものは売店の商品に限定させる”という方針は正しい。なぜなら、売店では他人に迷惑を掛けない食い物だけを扱うことにより、全体的な鑑賞の環境を快適にすることが出来るからである。

 場内での“迷惑飲食行為”の最たるものは、食べる時にガサガサと音を立てることである。これは市販の袋菓子やパンを入れるビニール袋から発生する。対して売店に置いてあるポップコーンやホットドッグの箱はほとんど音が出ない。咀嚼音にしても市販のスナック菓子よりは少ないのだ。さらにマナー違反の代表選手である“飲食物からの臭い”も防ぐことが出来る(売店では間違ってもカレーパンやフライドポテトなどは扱わないだろう ^^;)。

 それにしても、シネコンの進出などもあり、売店で扱う飲食物は昔に比べて劇的に良くなった、以前の映画館では“賞味期限切れのポテトチップス”とか“名前も知らないメーカーのとびきり不味いポップコーン”とか“いつ製造したのかわからない、硬くなったドーナツ”とかいったものを平然と高値で売っていたものだ(笑)。もちろん今のシネコンの売店は安くはないが、ポップコーンなどは市販のものより確実にうまい。

 欲を言えば、メニューにおにぎりやパンなどがあればなお良いと思う。包装に気を遣えばガサガサと音が出ることもないと思う。

 ともあれ、厳密に言えば映画館での飲食はそれを嫌う者にとって“マナー違反”でしかないだろう。ただし、それを殊更に言い募るのもスマートではない。映画館は“特定の価値観を持つ者”の専有物ではないのだ。
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「ゼロ・ダーク・サーティ」

2013-03-01 06:38:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:ZERO DIRK THIRTY)前に観た「アルゴ」と似た傾向の映画である。つまりは“CIAバンザイ!”といったスタンスが貫かれている。しかしここには「アルゴ」で取り上げられたような、映画好きが喜ぶような仕掛けは無い。ニセのSF大作をデッチ上げて周囲を煙に巻くような“愛嬌”はどこにも見当たらず、最初から最後まで無愛想で味気ない作劇が延々と続くのみ。これではとても評価できない。

 9.11事件以降ビンラディンの消息をつかめないCIAは、ノン・キャリアながら情報収集能力に秀でた女性エージェントのマヤを対策チームの一員に加える。身柄を確保したテロリスト関係者から証言を聞き出し、相手側のキーマンに接触しようとするが、逆に自爆テロを仕掛けられて彼女の親しい同僚も犠牲になってしまう。さらにはロンドンでもテロが起き、CIAの立場は危うくなるばかり。そんな後ろ向きの雰囲気が充満する中、マヤはビンラディンを追い詰めるべく、ますます執念を燃やす。

 2011年5月2日のビンラディン殺害事件を扱ったシャシンであるから、結末は誰でも分かる。だから映画的興趣をどの部分で盛り上げていくかが焦点になるはずだが、これがどうにも感心しない。

 冒頭からCIA局員による容疑者の拷問シーンが展開するが、これがまあ“笑っちゃうような”生ぬるさだ。こんな体たらくでテロリストが簡単に“落ちる”わけがないだろう。取材協力先からクレームが付いたという事情があるようにも聞くが、その程度で描写の切っ先が鈍ってしまうのならば初めから撮るなと言いたい。

 ヒロインは職務にのめり込んでいるという設定ながら、どうも通り一遍の仕事ぶりのように見える。狂気にも似た切迫感があるはずなのに、ギラリとした凄みはどこにもない。だいたい、主人公がどういう経歴でいかなる心理的背景を持っているのか、そういうプロフィールがほとんど取り上げられていないため、彼女が単なる“仕事熱心な女”としか扱われていないのは不満だ。同僚の敵討ちという名目も取って付けたようである。

 あの殺害事件では、米軍が勝手にヨソの国に押し入って“仕事”をやらかしたことに対する疑問も生じたはずだが、それに対する問題意識は呆れるほど完全に捨象されている。クライマックスの突入シーンを観ていると、どちらがテロリストなのか分からなくなるほどだ(笑)。

 もちろん“相手側を一方的に悪者にするのはケシカラン”などというリベラルなセリフを吐くつもりはないが、パキスタンの事情等に関して言及しないようでは、ドラマに厚みを加えることはできず、映画として面白くならない。せいぜいが、事が終わった後の、ヒロインの虚脱感を挿入させてお茶を濁す程度では、まるで物足りないのだ。

 キャスリン・ビグローの演出は前作「ハート・ロッカー」に比べるとかなり平板で、観ている間には眠気を生じる。主演のジェシカ・チャステインをはじめ、ジェイソン・クラーク、ジョエル・エドガートンといったキャストに対してもコメントする価値なし。
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