元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「クロッシング」

2010-12-18 06:46:46 | 映画の感想(か行)

 (原題:Brooklyn's Finest )骨太で見応えのあるポリス・ストーリーだ。警官を主人公にしているが、アクションや謎解きなどの趣向は皆無だ。かつてシドニー・ルメット監督が「セルピコ」や「プリンス・オブ・シティ」などで取り上げたような、警察内部の不正や警官自身の苦悩が綴られる。その意味では新味はないが、本作では主人公を3人にしてそれぞれのエピソードを平行して描いているため、テーマを重層的に捉えられるというアドバンテージがある。しかも、それぞれのキャラクターがよく練り上げられているので説得力がある。

 舞台になっているのは、犯罪者の巣窟となっているブルックリンの低所得者向け団地を管轄に抱える警察署だ。ギャングから金を横取りして新居購入の資金にしようとしている貧乏警官、マフィアに潜入中の捜査官で組織のナンバーツーにまで上り詰めた刑事、無気力に定年の日を指折り数えて待つだけの平巡査、以上3人のたどる軌跡が文字通り“交錯”する。

 もっとも、3つの人生がそれぞれリンクしていくことはない。同じ署で働いているとはいえ、セクションも勤務形態も違う。ただ各人が抱える屈託は警官という職業に共通する深刻なものばかりだ。

 イーサン・ホーク扮する警官はシックハウスからの脱出を図って新しい家の頭金を作ろうとするが安月給ではどうにもならず、悪漢どものカネをくすねることしか考えなくなる。手付け金の振り込み期限が刻一刻と迫るが、なかなかカネにはありつけない。ついには焦燥感で無鉄砲な行動に出る。ホークの熱演は鬼気迫るものだ。

 ドン・チードル演じる潜入捜査官は一味のボスのカリスマ的な魅力に心酔する。ボスに扮しているのがウェズリー・スナイプスなので、実に説得力がある。友情と職務との板挟みになり、ボスに敵対する勢力に一人で宣戦を布告してしまう。善人面のチードルが苦しそうな表情で復讐を決意するシーンは、見ていて身を切られるようだ。

 しかし、最も印象的なのは無為に生きる初老の巡査だ。妻には先立たれたのか、あるいは出て行ったのか、子供もおらず一人で暮らしている。毎朝銃口をくわえて自殺の真似事をするほどに捨て鉢になっていて、世の中がイヤで仕方がない。唯一の慰めは時たま売春宿に通うこと。リチャード・ギアがここまで後ろ向きのキャラクターを演じるのは珍しいが、実にサマになっている。そんな彼が悪人相手に最初で最後の大立ち回りをやらかすまでのプロセスは、思わず引き込まれる。

 アントワン・フークアの演出は強靱と言うしかなく、シークエンスの組み立てにスキがない。映像面でも魔界のようなブルックリンの公営住宅の描写など、見所が多い。主演の3人以外にも潜入捜査官の直属上司を演じたウィル・パットンの海千山千ぶりや、部下をあごでこき使う女性上司役のエレン・バーキンの不貞不貞しさ、可憐な黒人娼婦に扮したシャノン・ケインなど、良い面子が揃っている。活劇を求める観客には合わないが、超辛口の人間ドラマとしての存在感は大きい。観る価値は大いにある。
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「スズメバチ」

2010-12-17 06:25:14 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Nid de guepes )2002年作品。久々のアクション映画のスマッシュ・ヒット。しかも「TAXi」(97年)あたりから始まる一連のフランス製活劇の中で一番出来が良い。

 偶然が重なり、ストラスブールの倉庫街で押し寄せるマフィアの殺人部隊と対峙するハメになった警官たちと窃盗グループ。まるでアラモ砦の攻防戦のような凄まじい数の銃弾と怒号の中でギリギリの戦いが展開される。



 アクション場面のキレの良さもさることながら、各キャラクターが実に“立って”おり、それぞれの特技に合わせた見せ場がちゃんと用意されているのが嬉しい。さらに、この死闘が容易に外部に察知されることが出来ないという設定を具体的に示す脚本の巧みさも光る。

 そして冒頭でコソ泥グループが「荒野の七人」のテーマ曲を口笛で吹く場面からもわかる通り、これは現代を舞台にした西部劇(あるいは時代劇)のセンを狙っており、そのへんが映画好きの琴線に触れてくるのである。

 キャスト面ではお馴染みのサミー・セナリやブノワ・マジメルも良いのだが、保安官然としたパスカル・グレゴリーの扱いが最高。監督は新鋭フローラン=エミリオ・シリ。もっと注目されていい映画である。
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「武士の家計簿」

2010-12-16 06:40:39 | 映画の感想(は行)

 展開があまりにも淡々としているので、観ていて眠くなってしまう。ドラマ運びに破綻はないが、盛り上がりもほとんどなく、ただ“丁寧に撮りました”というポリシーだけが前面に出るのみ。これでは評価出来ない。

 森田芳光監督が“普通の演出家”に落ち着いてしまったことは、冒頭近くの食事シーンに象徴される。一家揃って膳を囲み、毎度同じ自慢話を得々と話す父とそれを受け流す主人公、彼の働き過ぎに気を使う母と祖母、まさにほのぼのとしたホームドラマの構図である。これが出世作「家族ゲーム」(83年)で、一家を食卓の横一列に座らせて人間関係の危機を鋭く描いたラディカルな作家の映画かと思わせるほどだ。

 考えてみれば今の日本映画のベテラン作家といえば、森田の世代になる。80年代前半に邦画界のニューウェイヴとして華々しく登場して先鋭的な作風を誇った連中が、今では完全に“守りの姿勢”に入っていることは、まさに隔世の感がある。かといって新しい世代には尖った感覚を持つ者はあまり見当たらないし、日本経済と同様に邦画界も長期低落傾向に入ってしまったということだろう。

 歴史学者の磯田道史が「金沢藩士猪山家文書」を元に、加賀藩の経理係であった下級武士の幕末から明治初期に渡る家計の推移を綴った新書版が原作。私は未読だが、ノンフィクションをフィクションとして映画化するには物語の構築に細心の注意を払わなければならないのは確かだ。しかし、本作には何の工夫も見られない。ただ一家の出納帳を見て、それから想像出来る事実を漫然と並べているだけだ。

 一応、ストーリー面では主人公の猪山直之とその息子との確執が盛り込まれてはいるが、興趣を覚えるようなモチーフは皆無に等しい。テレビドラマでよく見るような微温的な描写に終始する。

 私がこのネタで観たいのは、家計の項目の(動的な)精査による武士の暮らしの細密な描出、そして時代が移っていくことにより侍としての矜持がどう変化していくのか、といったことである。それらが実現出来ていればこの映画は屹立した個性を獲得したはずだが、映画の作り手にはそういう意向はまったく無かったと見える。生ぬるいホームドラマに仕立てて、平穏無事にやり過ごすことしか考えていないようだ。

 主演の堺雅人をはじめ中村雅俊、仲間由紀恵、松坂慶子と芸達者なはずのキャストを揃えてはいるが、見せ場になるようなシークエンスを与えられていない。要するに、凡作として片付けてしまいたくなるようなレベルである。
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「ザ・ワン」

2010-12-15 06:35:44 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The One )2001年作品。異世界から来た、邪悪なもうひとりの自分と戦う男の死闘を描くSF仕立ての活劇編。監督は「ファイナル・デスティネーション」などのジェームズ・ウォン。

 ハリウッドはリー・リンチェイ(ジェット・リー)という素材を使いこなせないことを如実に示した一作。彼にはジャッキー・チェンが持つコメディ・センスや、チュウ・ユンファのような貫禄や存在感といった“単純なアメリカ人にも分かる魅力”に欠けている。もちろん、並外れた体術や憎めないルックスは我々を引きつけるのだが、それだけではハリウッドで主役を張れないのだ。

 この映画だって、やれパラレル・ワールドだ次元捜査官だといった設定はジャマでしかなく、フツーの刑事ものにしてフツーに大活躍させれば我々は満足出来るはずだが、アメリカ人から見れば“クンフーのうまい東洋の小僧(というトシでもないけど ^^;)”でしかない彼をそんなフツーの設定の映画で主演させてもペイしないという思惑が先行したのだろう。CGやSFXを満載にして“主役の存在感の無さをカバーする”といった方向性で行ったのも当然だ。

 残念ながら、彼がハリウッドで占めるポジションは「リーサル・ウェポン4」のような脇役しかないと思う。で、映画の内容だけど、凡庸そのもので特筆すべきものはない。デルロイ・リンドも出てくるが、やることがなくて手持ちぶさたの様子だ。
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「キス&キル」

2010-12-14 06:24:27 | 映画の感想(か行)

 (原題:KILLERS )もうちょっと面白くならないものかと思った。たぶん作り手は“ラブコメに活劇をプラスすれば一粒で二度美味しいはずだ”と踏んだのだろうが、それが成功するには両方に精通していなければならない。ところがロバート・ルケティックという監督は、ラブコメは得意だがアクションに関してはまるでダメみたいである。これでは観ていて居心地が悪くなるのも仕方がない。

 両親と一緒の気の乗らない南仏への旅行に出掛けたヒロインは、そこでステキな男に出会う。二人はたちまち恋に落ち、スピード結婚に至るのだが、彼には秘密があった。実は凄腕の元・CIAのエージェントだったのだ。アトランタ郊外の新興住宅地で3年間の平穏な結婚生活が過ぎたある日、かつてのダンナの上司が招いたトラブルにより突然に夫婦揃って殺し屋に狙われるハメになる。もちろん彼女も持ったことさえなかった銃を手に大奮闘。

 本作で一番面白くなりそうなモチーフは、それまで主人公達と仲良くやっていた近所の人々や職場の連中が、いきなり殺し屋としての本性をあらわして次々と襲って来るという設定である。これはこの映画と似たテイストを持つ「Mr.&Mrs.スミス」とか最近観た「ナイト&デイ」とかいった作品にはないブラックなネタであり、上手く突き詰めればかなり盛り上がったと思う。

 ところが前述の通り演出担当がラブコメ製作要員でしかなく、描き方が相当ぬるい。何となく乱闘シーンが始まり、また何となく終わるだけである。ここでたとえば“誰が殺し屋か分からない”というサスペンスを大々的に挿入させれば画面に緊張感が走ったはずだが、そういうアイデアも思い付かないようだ。活劇場面も見るべきものがなく、凡庸な展開に終始するだけ。

 主演のアシュトン・カッチャーとキャサリン・ハイグルは、ルックスは良いがどこか抜けているというキャラクター設定にピッタリの配役。どんなにハメを外しても下品にならないのが良い。ヒロインの父親役のトム・セレックが一筋縄ではいかないオッサンを渋く演じれば、母親に扮したキャサリン・オハラのボケぷりも相当なもの(笑)。

 かようにキャスティングは良いのに、キレもコクもない作劇が映画のヴォルテージを下げている。ただし往年のスパイ映画のパロディみたいな冒頭のタイトルバックと、観光気分あふれる南仏ニースの風景だけは見ものだ。ロルフ・ケントによる音楽も悪くない。
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「笑う蛙」

2010-12-13 06:23:33 | 映画の感想(わ行)
 2002年作品。平山秀幸監督の作品の中では一番つまらない。横領事件を起こして指名手配中の元銀行支店長(長塚京三)が、長期間の逃亡の末、熱海にある義母(雪村いづみ)の別荘に忍び込む。しかし、空き家だと思っていた別荘には妻(大塚寧々)が住んでいた。妻に押し入れに匿われる彼だが、妻と愛人(國村隼)とのやりとりや、義父の遺産相続騒動、義母の再婚問題などのゴタゴタを壁に空いた穴を挟んで見せられるハメになる。藤田宜永の「虜」の映画化。

 私の一番嫌いなタイプの映画だと断言したい。監督や製作者は“ブラックなホーム・コメディを狙った”と言っているが、それに必要な演出の粘りも求心力もゼロ。あるのはちっとも面白くもないギャグの応酬、そしてテレビドラマ以下のワザとらしい演技と演出だけだ。最初から最後までまったく笑えず、どうでもいいような結末には脱力。何よりこのネタは、アラン・ドロン主演の「危険がいっぱい」の完全なパクリじゃないか。

 この映画は某映画祭で観たのだが、上映後の質疑応答のコーナーではなぜか全員大絶賛。やれ“素晴らしい人間喜劇である。小津安二郎作品へのオマージュか”だの“木下恵介作品を思い起こさせる人物観察の巧みさ”だの“「男はつらいよ」シリーズに対する新世代の回答”だの、はては“チエーホフ作品を想起させる”だのという、まるでホメ殺しと錯覚しそうな賛辞を皆恥ずかしげも無く送っているのには呆れた。

 小津や木下や山田洋次やチエーホフにオマージュを捧げるヒマがあれば、最初からそれらを凌ぐほどの気合いを持って映画製作に臨まんかい! 中途半端なオマージュなど、いらん。

 なお、その時ゲストで来ていた大塚寧々は本当にキレイだった(そういえば彼女は当時、私生活ではいろいろあったことを思い出す ^^;)。何でも「笑う蛙」というタイトルの命名も彼女だったとか。
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「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」

2010-12-12 07:15:15 | 映画の感想(さ行)

 題名からは他愛のない“お手軽映画”にも思えたが、実際観てみると意外にも楽しめた。何より題材が面白い。洋の東西を問わず、昔から裁判所を舞台にした作品は山のようにあるが、傍聴人がドラマの中心になって活躍する映画なんて聞いたことがない。まさに本作はテーマ設定において屹立した個性を獲得していると言えよう。

 売れないライターの南波は、強引な女プロデューサーから“愛と感動の裁判映画”の脚本を依頼され、取材のため長期間裁判の傍聴をするハメになる。そこで傍聴マニアの3人組と親しくなり、裁判の段取りの面白さを知ることになるのだが、キレイな女検事から“アナタたちは高見の見物で、さぞかし楽しいでしょうね!”とのキツい一言を浴びせられたのをきっかけに、傍聴人の立場から何か出来ないかと思うようになる。

 やがて南波たちは、放火事件の二審で冤罪を訴える若者とその支援者を知り、彼らなりのアプローチで弁護側のフォローを勝手に始めるのだった。

 とにかく、傍聴側から見た裁判の様子が面白い。当然テレビの裁判物に出てくるような大事件ばかりではなく小さな案件もちゃんと審議されるのだが、その内容がアダルトビデオの万引き犯とか、大根で友人を撲殺したサラリーマンとか、歯が痛かったのでシャブに手を出した女とかいった呆れるようなものばかり。

 法廷側の連中にしても、ワイドショーのノリで審議を進める女判事や、女子高生が団体で傍聴人席にいるとやたら張り切る裁判長とか、傍聴人の奇態な服装が気になって仕事に身が入らない弁護人など、ヘンに生臭いのが笑える。

 原作は北尾トロによるエッセイだが、戯画化されている部分があるにせよ各モチーフは作者がリサーチした事実をヒントにしているためか、いかにも実際ありそうなのが面白い。南波たちの“作戦”がこれまたケッ作で、硬軟取り混ぜたありとあらゆる手口を使いながら、最終的には傍聴人という“責任を取らなくて済む立場”から一歩も踏み出さないのがアッパレかつ痛快である。

 豊島圭介の演出は緩い部分もあるが、最後まで飽きさせないだけのメリハリは付けている。主演の設楽統をはじめ螢雪次郎、村上航といった傍聴側の面々はヴァラエティに富み、傲慢なプロデューサーに扮する鈴木砂羽の怪演も楽しい。ただ女検事役の片瀬那奈は、もうちょっと見せ場があってもよかった。人を食ったラストの処理を含めて、観て損のない娯楽編だと思う。
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「スクール・オブ・ロック」

2010-12-04 07:16:20 | 映画の感想(さ行)

 (原題:The School of Rock)2003年作品。ジャック・ブラック主演によるコメディの快作。売れないロッカーが、名門小学校の先生になりすまして珍騒動を巻き起こす姿を、絶妙のテンポで描く。

 ロックは反抗の音楽とされているが、少なくともこの映画におけるロックは“反抗”のうちに入らない。名門小学校の生徒達は学校当局によって抑圧されていたわけでもなく、ロック自体が否定されていたわけでもない。単にジャック・ブラック扮する型破りなニセ教師によって、日常よりもちょっと楽しい“ロック三昧の日々”を送れたというだけの話だ。

 だいたい、正規のカリキュラムを放置してロックばかりを教えていたら、授業が遅れて困るではないか(爆)。

 しかし、そんないい加減な設定も笑って許してしまえるほど、この映画は痛快だ。ここで描かれているのは音楽としてのロックの素晴らしさ、理屈抜きの楽しさだけである。予定調和で御都合主義的な筋書きに対するモヤモヤも、音楽の持つパワーでねじ伏せてしまう。そんな直球勝負の姿勢が実に清々しい。

 効果的に繰り出されるギャグには哄笑の嵐だが、ロック好きにしか分からないネタが数多く挿入されているのも実に嬉しい。特に子供に向かって“キミたちはグルーピーだ”と言ったり“ピンク・フロイドの「虚空のスキャット」を聴いて歌を勉強しろ”と指導したりするシーンには大いにウケた。リチャード・リンクレイターの演出はスムーズで、子供達も皆好演。使用楽曲もセンスが良く、まさに満足度100%の必見作だ。
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「100歳の少年と12通の手紙」

2010-12-03 06:30:27 | 映画の感想(英数)

 (原題:Oscar et la dame rose )いわゆる“難病もの”の重苦しさはなく最後までスンナリと観ていられるが、けっこう不満もある。それは、愁嘆場の連続を回避するためにファンタジー方面に振った作劇が、別の意味での押しつけがましさに繋がっているためだ。

 フランスの田舎町にある病院に入院している、白血病で余命幾ばくもない10歳の少年。自分の運命を知って、医者はもちろん両親にも心を開かない彼が唯一腹を割って話せたのが、病院にピザを配達してくる中年女だ。元プロレスラーで、相手が病人だろうと何だろうとズバズバ本音を吐き、しかも言葉遣いは滅茶苦茶悪い。だが、腫れ物に触るように接する者しか周囲にいなかった少年にとって、彼女の存在は救いになった。病院側は彼女に少年の話し相手になってくれるよう依頼する。

 彼女の少年へのアドヴァイスが面白い。人生が残り少ないのならば、一日を10年として生きるのはどうかと提案するのだ。たとえば最初の一日は10代で初めての恋の告白、四日目の40代は人生の試練を経験する。そうすれば人よりも遙かに濃密な時間を過ごせる。この設定は面白い。何気ない一日が、光り輝く人生の歩みになるのだ。それは少年だけに限らず、周りの人々をも時間の尊さに気付かせるきっかけとなる。さらに、一日ごとに彼は神様へ手紙を書く。その手紙は風船に括り付けられ、空高く飛んでいくのだ。

 しかし、レスラー時代の思い出がスノーボールの中に幻想として現れるくだりになると、途端に映画は失速する。ファンタジー場面の挿入はアイデアとしては悪くないが、ヘタすればリアリティを阻害してしまう。しかも一回や二回なら我慢も出来るが、何度も見せられるといい加減面倒くさくなってしまうのだ。終盤あたりになると、ほとんど地に足が付いていない展開になってくる。

 よく考えてみると、くだんの女のプロフィールはほとんど語られていない。プロレスをやっていた彼女が、どうして今は片田舎でピザを焼く生活を送っているのか。家族との関係はどうなのか。そういうことがまるで説明不足である。穿った見方をすると、外見面で興味を惹かせるためだけにこのキャラクターを用意したとも言えよう。

 エリック=エマニュエル・シュミットの演出は丁寧だが、デジカム撮影による汚い画面が興を削ぐ。ヒロインを演じるミシェル・ラロックをはじめ、子役のアミール、それにマックス・フォン・シドーやミレーヌ・ドモンジョといった達者なキャストを配しているだけに、もうちょっとシナリオのリファインが必要だったように思う。
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「ラマになった王様」

2010-12-02 06:35:00 | 映画の感想(ら行)
 (原題:The Emperor's New Groove)2000年製作のディズニーによるアニメーションだが、公開当時は字幕スーパー版が上映されていなかった。仕方なく吹替版を観たが、すぐにこれは“吹替版で十分な映画”だと気付いた。

 なぜなら、ディズニーアニメ得意のミュージカル場面がほとんどなく、別にオリジナルの声にこだわらなければならないようなキャラクターも出てこないからだ。また声の出演者自体も興味を惹くのはジョン・グッドマンぐらいなので、日本語版でも別に不満は出ない。

 舞台は南米のジャングルの奥地にある王国。王様のクスコは若くてハンサムだけど、救いようのない程ゴーマンな性格で、周囲から顰蹙を買っていた。調子に乗った彼は町はずれにある村を潰して自分専用の別荘を作ろうとしたが、彼を面白く思っていなかった魔女によりラマに変身させられてしまう。果たしてクスコの運命は・・・・。

 映画自体はとても面白い。特にギャグの振り方では今までのディズニー作品では一番ではないのかと思った。とにかくよく笑える。上映時間が短い(78分)というのもいい。それにしても、キャラクターデザインがディズニーっぽくない。「原始世界」「ジェットソンズ」なんかのハンナ&バーベラを思い出した。
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