元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バイオハザード」

2010-02-17 20:24:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:Resident Evil )2002年作品。同名のテレビゲームを映画化したサバイバル・スリラー。シリーズ化され、現時点で(実写版は)4本が作られているが、私が観たのは最初のこの映画だけである。

 バイオ兵器を開発していた巨大企業で、人間をゾンビ化させる新種のウイルスが蔓延。内部調査のため送り込まれた特殊部隊とゾンビ軍団との死闘が延々と続くといった内容だ。まあ、ちょっと面白かった「イベント・ホライゾン」のポール・W・S・アンダーソンが監督なので、そこそこ観られる映画にはなっている。

 元ネタになったゲームの“本編”を描くのではなく、その“前日談(?)”を扱っているせいで、一本の作品としての製作コンセプトを獲得することには成功しているようだ。少なくとも同じくゲームの映画化である「ファイナルファンタジー」や「トゥームレイダー」みたいな居心地の悪さは希薄だ。

 しかし、映画のウリである“特殊部隊とゾンビ軍団の死闘”が脚本の段取りが悪いせいか、ほとんど盛り上がらない。舞台の地理関係が十分映像で示されていないのが原因かと思われる。それより前半の、地下世界を制御するコンピュータとの戦いが断然面白い。特に人間を切り刻む“レーザー攻撃”のシーンは出色。こっちの方をメインに持ってくるべきだった。ヒロイン役のミラ・ジョヴォヴィッチは今回も露出度全開(笑)。その手のファンには喜ばれよう。
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「フローズン・リバー」

2010-02-16 06:23:57 | 映画の感想(は行)

 (原題:FROZEN RIVER)題名通り、舞台となったニューヨーク州北部の辺境の地はもちろん、登場人物たちの境遇も凍り付くほど厳しい。だが、心まで冷え切ってはいない。どん詰まりの人間にだって最低ラインの矜持はある。辛い環境にあっても、温かい共感で人々を繋ぎ止めることは出来る。そんな作り手のポジティヴな姿勢が嬉しい映画だ。

 ロクでもない亭主に貯金を持ち逃げされ、途方に暮れる中年の白人女レイ。長男が中学生なのでそんなに老け込むトシではないはずだが、見た感じは50歳はとうに超えているようだ。彼女の表情をアップで捉えたファースト・シーンから、辛酸を嘗め尽くしたヒロインのバックグラウンドが窺い知れる。ある日、彼女の車を勝手に拝借したモホーク族の女ライラを問いつめるが、互いの苦しい状況がやがて“不法移民の手引き”というブラック・ビジネスに手を染めさせることになる。

 悪いことであるのは百も承知だが、何もしないでいるのは破滅を待つばかりだ。リアリズムに徹したディテールの積み上げにより、この筋書きが必定であること、またそれを納得させるだけの社会情勢の厳しさを浮かび上がらせていく。プア・ホワイトとネイティヴ・アメリカン、共に恵まれないプロフィールではあるが、もっと下の人間もいることを彼女たちは思い知らされる。

 着の身着のままで国境を越える中国人たち。首尾良くアメリカに入国したところで、後の保証はない。さらにパキスタン人の夫婦を送り届けるくだりはドラマティックだ。彼らが大事そうに持つバッグを“何かヤバイものではないだろうか”と思ったレイとライラは、凍った川の氷の上に捨ててしまう。しかし、鞄の中身は赤ん坊だった。慌てて引き返してバッグを見つける二人だが、結果的に大事に至らなかったこのエピソードにより、彼女たちは初めて身内以外の他人を思い遣るという感情に目覚める。

 本当はとっくの昔にそんな気持ちを自覚して良いような年格好なのだが、貧しい生活が心を曇らせてきたのだ。それに続くラストの二人の決断は、切なくも希望を残すものであり、観る者に感動を与える。アメリカとカナダの国境を流れるセントローレンス川を、社会的階層や生と死のメタファーとして描く仕掛けも悪くない。

 これがデビューとなるコートニー・ハントの演出は実に丁寧で、登場人物の内面がきめ細かく綴られている。レイを演じたメリッサ・レオが素晴らしい。立ち振る舞いの一つ一つがキャラクターを強く印象付ける。ライラに扮するミスティ・アップハムも不貞不貞しさとナイーヴさが同居する妙演だ。2008年のサンダンス映画祭でグランプリに輝き、アカデミー脚本賞の候補にもなったこの映画は、現代アメリカの一断面という見方を超えて、普遍的なヒューマンドラマに昇華された秀作である。
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「春の日は過ぎゆく」

2010-02-15 06:29:19 | 映画の感想(は行)
 (英題:One Fine Spring Day )2001年作品。録音技師の青年と、ラジオ局のDJ兼女流プロデューサーとの恋の行方を追うホ・ジノ監督作。韓国映画だが、日本や香港の資本も入っており、製作陣には松竹でいくつかの作品を手掛けた大谷信義の名前もある。

 秀作「八月のクリスマス」(98年)を撮った監督らしく、ユ・ジテ演じる主人公の家族の描写は実に丁寧で情感豊かだ。しかし、イ・ヨンエ扮する年上の恋人の扱いには釈然としないものが残る。彼女が主人公と疎遠になっていったのは、たぶん遠距離恋愛だからとかバツイチで男性に対して不信感を抱いているとかいう理由があったのだろう。しかし、映画で見る限り単に自分勝手に距離を置いたとしか思えず、結果として“尻軽女に翻弄される純情男の話”にしかならなかったのは痛い。

 そういえば「八月のクリスマス」でもシム・ウナ扮するヒロインの描き方に突っ込んだほとんど箇所はなかった。その分ハン・ソッキュを取り巻く状況がヘヴィで、全体としてはあまり気にならなかったのだが、案外この監督、若い女性の扱い方が苦手なのではないだろうか。もっとも、本作以降は彼の映画をチェックしていないので、現時点ではどういうレベルにあるのかは分からないのだが・・・・(^^;)。
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「おとうと」

2010-02-14 07:16:12 | 映画の感想(あ行)

 風格のある良作であり、受ける感銘も大きい。また、山田洋次監督の前作「母べえ」と同じく、こういう映画が屹立した存在価値を持ってしまう現在の社会に対して問題意識を持たずにはいられない。その意味でも見逃してはならない作品である。

 東京の下町で小さな薬局を営むヒロインは若い頃に夫を亡くし、一人娘を女手ひとつで育ててきた。その娘が結婚することになり喜ぶ彼女だが、式の当日に行方知れずだった問題児の弟が突然現れ、披露宴をメチャクチャにしてしまう。このあと映画は今の主人公の家族と、不肖の弟に苦労させられた昔の家庭の境遇、そしてヒロインを取り巻く街の住人達の親子関係をも描くことにより、人間にとっての家族の重要性を正攻法で浮き彫りにしてゆく。

 主人公は娘の他に亡き夫の母親とも同居している。考えてみればイレギュラーな取り合わせだが、違和感はない。それは、死んだ夫の存在感が今でも残された者達の心に印象付けられているからだ。やくざな弟さえも、夫の生前の心配りにより家族の一員として迎え入れられている。メンバーの一人が欠けていても家族たり得る彼らの在り方に呼応するように、周囲の人間もしっかりとした家族関係を維持している。

 対して、娘の結婚相手は身内よりも世間体を優先する俗物だ。人間関係もデジタルで割り切っている。こういう奴にはまともな家族を作り上げる力はなく、当然の事ながら結婚生活は早々と終わりを告げるのだが、作者は彼に昨今の殺伐とした世相を投影させている。

 見かけ上は家族の体を成していて不自由ない生活を送っていても、相手の心を思い遣ることがない冷血な人間が増えている。それが今の日本の社会の鬱屈とした状態に繋がっているのだ・・・・と、まるでリベラル派のシュプレヒコールのような主張が、見事に通用してしまう世の中。山田監督はそれを見越して本作を作り上げたのだ。

 終盤紹介される身寄りのない人々を看取る市民団体の存在は、そのテーマを一層際立たせる。見ず知らずの他人を終わりまで面倒を見る。言うまでもなくこれも“疑似家族”だ。不肖の弟は、形式上は本当の家族には恵まれないように見えて、最後は立派に家族の一員に組み入れられているのだ。そしてこのラストは「男はつらいよ」シリーズの幻の結末を連想させ、その意味でも感慨深い。

 吉永小百合の演技はまあ悪くは無いが、それよりも笑福亭鶴瓶がアクの強さを控えた好演で光る。そして蒼井優に抑えた演技をさせているのも納得だ(何しろ彼女に好き勝手やらせると、主役すら食ってしまうから ^^;)。富田勲の音楽も素晴らしく、今年度前半を代表する日本映画の収穫である。
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最近購入したCD(その18)。

2010-02-13 06:50:28 | 音楽ネタ
 ここ何週間か頻繁に聴いているのは、ニューヨークはマンハッタンの高級住宅街であるアッパーウエスト出身のインディー系バンド「ヴァンパイア・ウィークエンド」の2枚目のアルバム「コントラ」だ。とにかく音のクォリティが高い。彼らのファースト・アルバムも試聴したことがあり、悪くない出来だと思ったが、今回のサウンドは目を見張るような成長を遂げている。米ビルボードの総合チャートの一位も納得だ。



 全編に渡ってアフロ・ポップの影響を強く受けている。それに60年代風ポップスとパンクのテイストを織り交ぜ、他にもスカやら中近東サウンドも取り入れて、ダンス・ミュージックのノリでイッキに聴かせてしまう。ハイトーンのヴォーカル、小気味良いギターのリフ、効果的なシンセサイザーの挿入等、音の組み立て方は巧妙で隅々まで神経が行き届いている。メンバー全員がコロンビア大出身のインテリで、サウンド面でもアカデミックな感じが満載だが、小難しさは皆無。実に分かりやすい。誰にでも奨められる上質のポップ・アルバムである。

 日本のジャズの旧譜も買ってみた。作曲家としても知られたピアニストの鈴木宏昌が、自身のトリオを率いて吹き込んだ「プリムローズ」というアルバムである。録音は78年で、一部のコアなマニアから“幻の名盤”と呼ばれているものらしい。近年ディスク・ユニオンが“昭和ジャズ”と銘打って復刻したシリーズの一枚である(原盤はテイチクレコード)。私は予備知識なしでジャケット・デザインの清涼さに惹かれて購入したのだが、これがなかなかに聴かせるCDだ。



 曲はすべてオリジナルだが、どれもしなやかで硬質な旋律美に溢れている。分かりにくさはまったく無い。流れるようなピアノのフレーズ。ベースの井野信義、ドラムスのスティーヴ・ジャクソンのサポートも強靱だ。演奏の方向性としてはストレートアヘッドに尽きる。何の衒いもなく、ジャズという音楽の形式を追い求めるスタイルに好感を覚えてしまう。たぶんこのディスクが作られた時期の日本は、ある種の“ジャズの本場”だったのだろう。マスタリングが上手くいっているらしく、録音は良好だ。なお、同トリオによる「コルゲン・ワールド」(76年録音)というCDも同時購入したが、これも聴き応えがあった。

 スウェーデン出身の女性歌手、スス・フォン・アーンのアルバム「ペーパー・ムーン」は間違いなく近年のジャズヴォーカル作品の中では上位に属する秀作だと思う。曲目はスタンダード・ナンバー中心だが、ジョン・レノンやジョニ・ミッチェル、ドナルド・フェイゲンのナンバーも意欲的に取り上げ、幅広いリスナーにアピールできる内容だ。バックはフルオーケストラで、なかなかゴージャスである。



 彼女の魅力はその声質だ。実にハスキー。しかし泥臭さや重さは前面に出ない。ウェットで艶があり、ヴァラエティに富んだ曲目にもフレキシブルに対応。都会的で、いつまでも聴いていたい奥行きの深さがある。北欧人にしてはブラック・コンテンポラリー的な展開が目立つが、彼女は子供の頃にアフリカで過ごしていたらしく、黒人のフィーリングも完全に自分のものにしているようだ。録音は素晴らしく、低いところから高域までレンジは良く伸びていて、音像は明瞭だ。ヴォーカルと楽器群との距離感も的確である。このレーベル(スパイス・オブ・ライフ)には好録音が目立ち、今後もチェックしていきたい。
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「SPY_N」

2010-02-12 06:22:09 | 映画の感想(英数)
 (原題:SPY_N )2000年作品。犯罪組織の陰謀を追う中国警察の捜査官たちの壮絶な戦いを描くアクション映画。藤原紀香、アーロン・クォック、マーク・ダカスコ、クーリオetc.というヘンなキャスティングの香港製活劇だが、ストーリーラインは非常に荒っぽく、その点では話にならない出来だ。まあ、監督が「ファイナル・プロジェクト」や「レッド・ブロンクス」などの大味なシャシンを手掛けてきたスタンリー・トンなので、元より期待できないのは確かだが・・・・(^^;)。

 タイトルとセリフがすべて英語、しかも舞台が香港ではなく上海なのは、香港映画の市場を超えたマーケティングを目論んでいると考えられるが、内容が従来の香港B級アクションのルーティンを一歩も出ていないのは御愛敬だろう。

 しかし、アクション場面ははそれなりに見応えがある。オープニングの人質救出シーンの壮絶なバトル、中盤での公道をフォーミュラ・カーが激走するシークエンスは同手法のアメリカ映画「ドリヴン」より遙かに迫力がある。

 そしてクライマックスの宙吊りアクションには目眩がした。同様のことをハリウッドでやろうとするとCG合成でお茶を濁すところだが、ここではスタントマンなしの体当たり演出。香港映画の“人を人とも思わない外道な映画作り(笑)”は健在といったところだろうか。

 なお、本作の共演によって藤原紀香とアーロン・クォックとの間に浮いた噂が立ったらしい。それが発展しなかったのは確かのようだが、後に某お笑い芸人との結婚と別れを経験するよりは、藤原にとってアーロンとのカップルの方が少なくとも“絵的には”サマにはなっていたかもしれない(爆)。
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「シャネル&ストラヴィンスキー」

2010-02-11 06:46:58 | 映画の感想(さ行)

 (原題:COCO CHANEL & IGOR STRAVINSKY)映像が良い。美術も素晴らしい。音楽も聴き応えがある。登場人物の面構えも良い。しかし映画としてまったく面白くない。これはひとえに監督の責任だ。ヤン・クーネンといえば過去に「ドーベルマン」を手掛けている。言うまでもなくあれは活劇編だ。しかも、クエンティン・タランティーノの影響が大きいことを認めている。どう考えても偉人の伝記映画をマジメに撮れる人材ではないのだが、案の定、中身の薄いシャシンに終わっている。

 私が観たいのは、20世紀前半を代表する二人の天才の壮絶なバトルである。本作では、ストラヴィンスキーはかつて失敗したバレエ「春の祭典」の再演をシャネルの助力により成功させ、シャネルはロシアから来たエキゾティックな男からインスピレーションを得て「シャネルNo.5」を完成させたという設定になっている(事実はどうだか知らないが ^^;)。

 ならば、互いの溢れる才気が画面一杯に渦を巻き、丁々発止と火花を散らし、常人の及びも付かない次元での“合意”と“共感”をスペクタキュラーに描かねばならない。ところがここには何もないのである。ただ“シャネルはこういう女で、ストラヴィンスキーはこんなタイプで、こういった具合に知り合って別れた”という粗筋を滔々と語るのみ。

 シャネルとストラヴィンスキーの妻との確執も、ストラヴィンスキーが「春の祭典」に掛ける常軌を逸した情熱も、シャネルのファッションに対する思い入れも、何ら深く掘り下げられていない。ただ表面的に“こうでした”という事実を並べているだけだ。こんな体たらくでは評価できるはずもないだろう。ラストに晩年の二人を登場させる意味も不明だ。

 シャネル役のアナ・ムグラリスは硬質な美貌を誇り、たぶん本当のシャネルもこんな風体だったのだろうと思わせる。ストラヴィンスキーに扮したマッツ・ミケルセンも、腹に一物有るような芸術家の度量を見せつけて申し分ない。ガブリエル・ヤレドによる音楽もストラヴィンスキーの作品に負けない存在感だし、そして何より本当のシャネル社が協力した衣装や舞台装置は見事の一言(特に別荘のインテリアの美しさには溜め息が出た)。冒頭とエンディングに流れるタイトルバックのハイセンスぶりも光る。

 ただし、肝心の映画の内容が斯様に腰砕けでは、それらの要素も“空振り”の様相を呈してくる。脚本を描き直し、実力のある演出家に依頼して撮り直して欲しいものだ。
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「リターナー」

2010-02-10 18:54:18 | 映画の感想(ら行)
 2002年作品。腕っ節の強い裏稼業の男が、人類滅亡寸前の未来からやって来たという少女と知り合ったことで、宇宙生物をめぐる争奪戦に巻き込まれるという話。監督は“白組”を率いる山崎貴で、これが「ジュブナイル」に続いての作品となる。

 「マトリックス」をはじめ、あっちこっちの映画からネタをパクって一本デッチ上げたという感じのSFアクション編で、話の前提に論理的辻褄が合っておらず、突っ込み所が満載。加えて、どんな場面においてもセリフ回しが一緒の金城武とシビアな未来世界から来たにしては丸々太った鈴木杏が主演なので前半時点で観る気が失せてきた。

 しかし、それらを我慢して付き合っていくと、そこそこ楽しめる部類には仕上がっていることに気付く。これはひとえに作者の“C級でいいのだ”という、上を目指さない開き直りが画面にみなぎっているからだろう。モノマネとマンガチックな設定と大根な主演俳優を恥とも思わず、その分細部のシークエンスの組み立てに腐心する。これもある意味見上げたカツドウ屋根性かもしれない。

 CG処理はかなり上手くいっており、特に“擬態飛行機”のデザインには感心した。悪役の岸谷五朗も実に良い。ただし、いくらC級といっても“E.T.もどき”の宇宙人の造形は勘弁してほしかったなあ(笑)。
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「ラブリーボーン」

2010-02-09 05:09:57 | 映画の感想(ら行)

 (原題:The Lovely Bones)どうにも煮え切らない映画だ。ペンシルヴァニア州の地方都市に住む14歳のスージーは、学校帰りに変質者に拉致されて殺される。死んだ後にも成仏できずに彼岸と現世との間を彷徨う彼女は、残された家族に何とか真犯人を教えようとする。

 こういう設定で絶対必要なのが、霊になった彼女の“活動範囲”の設定だ。つまり、どういうシチュエーションでこの世に現れてどのように生きている人間に干渉出来るのかという、基本的な段取りである。ところが本作にはそれが全く描かれていない。親兄弟や友人への意思伝達も行き当たりばったりである。これではサスペンスが盛り上がらないのはもちろん、ドラマ自体のメリハリも付けられない。

 だいたい、彼女が留まっている“あの世とこの世との狭間”の位置付けがハッキリしない。随分と幻想的で煌びやかな場所のようで、映像イメージも非凡なものを感じさせるが、ここで何が出来て何が出来ないのかまるで分からない。セリフで滔々と説明する必要はないが、何らかの暗示ぐらいはあってしかるべきだと思う。第一、どういう状態になれば彼女が成仏できるのか、それさえ説明されていないではないか。

 斯様に物語の土台が不安定であるから、筋書きもまるで地に足が付いておらず説得力に欠ける。犯人に対する決着の付け方が曖昧なら、家族がどう彼女の死と向き合うようになったのかも不明瞭だ。霊感の強い友人なんかもっと活躍させてもいいと思うのだが、これも肩透かしに終わっている。時代設定が1973年であるのも意味がよく分からないし、時代風俗の再現もそれほど上手くいっているとも思えない。

 監督はピーター・ジャクソンだが、同じく少女を主人公にした彼の代表作「乙女の祈り」の足元にも及ばないヴォルテージの低さだ。まあ、大作続きだったジャクソンとしては“息抜き”のつもりで作った小品なのかもしれないが、それにしても気合いが入っていないのではないか。

 主演のシアーシャ・ローナンは「つぐない」に続いての登板だが、それほどの美少女ではないし、表面的な小芝居が先行しているようで愉快になれない。少なくとも母親役のレイチェル・ワイズや祖母に扮したスーザン・サランドンの方がよっぽど魅力的だ。また、マッチョなイメージのある父親役マーク・ウォールバーグが簡単にボコボコにされるのにも違和感がある(笑)。ネタがよく練られていない割には上映時間も無駄に長く、これではとても奨められないシャシンである。良かったのはブライアン・イーノの流麗な音楽ぐらいだ。
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「クローサー」

2010-02-08 06:23:17 | 映画の感想(か行)
 (原題:夕陽天使 So Close )2002年香港作品。「チャーリーズ・エンジェル」の映画化はハリウッドよりも香港でやるべきだったということを如実に示した一作。

 「グリーン・デスティニー」の成功に味をしめたコロンビア映画(SPE)が「トランスポーター」のコーリー・ユン監督を起用して撮らせた活劇編だが、ハッキリ言ってハイテク・システムの争奪を描いたストーリー・ラインなんてどうでもいい。これはスー・チー、ヴィッキー・チャオ、カレン・モクという美女三人衆の肉体アクションを堪能するための映画だ。

 冒頭の要人暗殺と逃亡シーンから始まり、地下駐車場での銃撃戦とカーチェイス、エレベーター内での格闘など、手を変え品を変え次々と登場する活劇場面には嬉しくなる。圧巻はラスト近くの日本刀を使ったバトルで、敵役の倉田保昭を相手に超高速の立ち回りが展開する。ワイヤー・アクションをほとんど用いない生身の立ち合いだけに、まさに鳥肌ものである。

 ヒロインの色恋沙汰や家族関係にまつわるエピソードが消化不良なのはマイナスだが、これだけアクションで魅せてくれれば文句は言うまい。それにしても、香港の女優は見た目が良いだけでなく、激しい活劇も(場合によっては歌や踊りやお笑いも ^^;)こなさなければ認知されないとは、非常に厳しいものがあるなァ(笑)。
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