元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「サラフィナ!」

2008-05-13 06:32:07 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Sarafina! The Sound of Freedom)92年南アフリカ作品。ズールー語で“小さな天使”という意味の名を持つサラフィナ(レレティ・クマロ)は女子高生。南アフリカの黒人居住区ソウェトで伯父や幼い兄弟たちと暮らしながらも、いつかハリウッドで女優になることを夢見ている。そんな彼女のまわりにもアパルトヘイトの圧政とそれに対抗する抵抗運動の波が押し寄せていた。ある日、サラフィナの学校が何者かに放火される。アパルトヘイトに反抗した学生たちの仕業だとにらみ、犯人探しに躍起となる政府。ひとり毅然と魂の自由を訴えていたマソムブカ先生(ウーピー・ゴールドバーグ)が逮捕され、サラフィナたちの怒りは頂点に達するが・・・・。

 ブロードウェイで2年間ロングランされたミュージカルの映画化。監督は一貫して反アパルトヘイトをテーマにした作品を手がけている南アフリカの若手ダレル・ジェームズ・ルート。

 この作品がミュージカルである意味は何か、という疑問が頭をよぎった。私にはその理由が最後までわからなかった。ミュージカル映画は楽しくなくてはいけない、それが私の持論である。どんな深刻なテーマを扱っていても、いい音楽が流れ、ダイナミックな踊りが展開されるとき、画面からあふれ出すパッションは観客を圧し、映画を観る楽しさを存分に味わえる。それがミュージカル映画だと思う。対してこの映画には、そういう楽しさは皆無だ。

 確かに歌も踊りもある。振り付けはマイケル・ジャクソンの「スリラー」を担当したマイケル・ピーターズ。悪いはずがない。しかし群舞のシーンは3つしかない。そのうち1つは他のシーンの合成にすぎない。ソロで歌われる場面もほとんどない。ミュージカルらしいシーンが不足していると思う。しかも、それがテーマの重さに完全に負けてしまっているのだ。

 警察・軍隊の黒人に対する理不尽な圧迫、留置場での当局側の残虐行為の告発、社会派映画としての色彩が強く、ミュージカル映画の側面がまったく楽しめない。

 さらに不満なのは、政府の横暴を現象面でしかとらえておらず、“アパルトヘイトはなぜ起こったか”という本質が見えてこないことである。もっと言えば“どうしたらアパルトヘイトはなくすことができるか”が伝わってこないことである。ひょっとしてネルソン・マンデラが釈放されれば解決したとでも思っているのだろうか(そんなバカなことはないと思うが)。“我々はこんなひどいことをされました”“警察・軍隊は信用できません”、こう言われると主人公たちに同情せざるを得ない。でも、同情だけでそのまま映画の感動につながれば苦労はしないのだ。プラスアルファの新鮮な作者の視点、鋭い描写etc.それがなければ観客は納得しない。

 観終わってみれば“単なる重い映画”であり、観たことを後悔したのも事実。“ウーピー・ゴールドバークが歌って踊る楽しそうな映画”だと思っていた大部分の公開当時の観客の落胆はさらに大きかったのではないだろうか。
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「NEXT ネクスト」

2008-05-12 06:34:09 | 映画の感想(英数)

 (原題:NEXT)作り手が途中で放り出したとしか思えない出来だ。2分先の未来を予知できる能力を持っている主人公が、核ジャック事件の解決のため奔走するという本作、映画の焦点は当然“たった2分先しか予知できない超能力者が、どうやって重大犯罪に挑むのか”という、その理詰めのプロセスになるはずだ。

 しかし、この“2分先の予知可能”といった物語の大前提が映画が進むにつれ崩れてきて、いつの間にやら“どんな未来でも予知できる”みたいな感じになってくる。要するに“何でもあり”の状態である。これでは締まりのある作劇が出来るわけがない。

 それでも序盤は“2分先の予知可能”を活かしたシークエンスが展開されていた。たとえば能力を使ってカジノで一儲けしている主人公にカジノの警備陣が迫るが、彼は能力をフル回転させて紙一重のタイミングで追っ手をかわしていく。その段取りは見事だ。そしてカフェにて気になる女性にモーションをかける場面、あらゆる口実を試して正否を“予知”し、最終的には一番妥当なものを採用するという、その根性が実に浅ましくも微笑ましい(笑)。

 ただし面白かったのはここまで。あとはドラマは弛緩する一方である。だいたいロシアから核爆弾を盗み出したという触れ込みの犯人グループの存在感がゼロに等しい。こいつらはチンケなエスパー相手に何をモタモタしているのか。とっとと爆弾をセットして政府なり何なりを脅迫した方が話は早い。主人公が2分後しか読めないのならば、恐るるに足らずだ。

 彼に協力を依頼するFBI側も有効な戦術を立てているわけでもなく、せいぜい“爆発のニュースを2分前に察知して対処させる”といったもの。せっかく予測しても2分では何もできないハズだけどね(脱力)。そして極めつけはあのラスト。観客を完全にバカにしている。こんな結末しか考えられないのなら、わざわざフィリップ・K・ディック御大の原作を登用するなと言いたい。

 ニコラス・ケイジは「ゴーストライダー」に続く“お手軽アクション編”での登板だが、日本では一応有名スターで通っているものの、こんな仕事しか来ないところを見ると、本国では落ち目なのかもね(爆)。捜査官役のジュリアン・ムーアも手持ち無沙汰の様子。印象的なのは、ヒロイン役ジェシカ・ビールのエロい身体の線と、ピーター・フォーク翁の登場ぐらいか。リー・タマホリの演出は「007/ダイ・アナザー・デイ」の頃とは打って変わったようにテンポが悪い。VFXも低レベルで、これは今年のワーストテン入り確実だ。
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「レッド・オクトーバーを追え!」

2008-05-10 06:55:31 | 映画の感想(ら行)
 (原題:The Hunt For Red October)90年作品。1984年、ゴルバチョフ政権誕生前夜、艦長マルコ・ラミウス(ショーン・コネリー)が率いるソビエト最新原子力潜水艦レッド・オクトーバーがアメリカ東海岸に向かって動き出した。通常のソナーでは探知できないシステムを持つレッド・オクトーバーの目的はアメリカへの攻撃か、それとも亡命か。厳寒の北大西洋を舞台に米ソそれぞれの機動部隊が動きだし、事態は緊迫へと向かう・・・・。

 「ダイ・ハード」のジョン・マクティアナン監督による、トム・クランシーのベストセラー小説の映画化。さて、感想であるが、まず2時間15分ほとんど退屈しない。これは確か。でも、当時は脂の乗りきっていた同監督の作品としては、物足りない。 

 ラミウス艦長がどうして亡命を決意したのか、そのあたりの描写が足りない。“死んだ妻の命日だから”では説得力に欠ける。彼がレッド・オクトーバーを任された時点から映画が始まればよかったのではないか。ラミウスの亡命を助けるCIAのアナリスト(アレック・ボールドウィン)は、いちおう主人公のはずだが、存在感の希薄さが気にかかる。

 冒頭、巨大なレッド・オクトーバーの船体がうつしだされるが、海中のシーンではその大きさがちっとも描き出されていないのは不満。潜水艦の操縦室がレッド・オクトーバーとアメリカの原潜、そして追手のソ連原潜と、3つともあまり変わらないのは芸がない、と思った。ラストの船内の銃撃戦にしても、大きな船の内部を強調するような演出が残念ながらなされていない。

 そうとうに製作費を使っていることはわかる。特に海中での戦闘シーンはよくできていて、観ていて思わずひきこまれる(海中の場面は水中撮影はいっさい行なっていない。ミニチュアとスモーク、それとCGとの合成だという)。潜水艦の造船所の場面も“ほとんど本物”の迫力だ。

 しかし、観終わってみればいまひとつの印象をぬぐえない。ストーリーに意外性が少ない。キャストもショーン・コネリーだけ突出して目立っていて、脇のキャラクターがあまり目立っていない。それにしても、ラストの処理は時代性を表している。今映画化されたら別のテイストが加わるだろう。
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「大いなる陰謀」

2008-05-09 06:36:53 | 映画の感想(あ行)

 (原題:LIONS FOR LAMBS )リベラル派でエコロジストのロバート・レッドフォードは、これまでも監督作にそのスタンスを表明するようなニュアンスを匂わせてきたが、この新作においては直截的な物言いに完全移行していることに驚かされる。それだけ危機感を募らせているということか。

 ベテランの女性ジャーナリスト(メリル・ストリープ)からアフガン情勢についてインタビューを受ける共和党の有力上院議員(トム・クルーズ)、出席日数が足りない優等生にその理由を問い質している大学教授(ロバート・レッドフォード)、件の上院議員が計画したアフガンの新作戦に兵士として参加するその教授のかつての教え子二人、映画はこの三つの局面を平行して描いている。

 この中で一番興味深いのが議員とジャーナリストとの会話だ。議員は新作戦により事態が抜本的に好転することを狙っている。しかし、過去の例を見るまでもなく現場もよく知らない政治家が勝手にデッチ上げた軍事作戦が成功することは稀だ。予想通り人員と労力の浪費に終わるのだが、前線で戦う兵士にとっては“上手くいきませんでした”では済まされない。見通しが立たない作戦を押し付けられた現場要員こそいい迷惑である。

 そしてそんな“上部からの指示”により修羅場をくぐる羽目になる一兵卒の代表として、何とか国のために尽くしたいと考えるマイノリティ人種である元学生を設定しているあたりも皮肉が効いている。社会的に恵まれない層の出身で、苦労して大学まで行くものの、やはり偏見からは逃れられず、いちおう“平等”との建前の兵役には付いてはみるが、結局は使い捨てられてしまう。エリート連中が御大層な空論を弄んでいる間に、国を愛する一般庶民は辛酸を嘗めるばかり。この構図に対しレッドフォードは力を込めて抗議する。

 しかし、かつて自分が主演した「大統領の陰謀」の時代とは違い、“政治家は悪、マスコミを含めた民衆側は善”というような単純なスタイルは絶対取らない。舌鋒鋭く議員に迫った手練れの女性ジャーナリストにしても、脳天気なトム君扮する政治屋に“9.11当時、世論にすり寄ってアフガン派兵を煽ったのはマスコミだ!”と突っ込まれてすごすごと引き下がるしかない。

 また、民主党支持者が多いハリウッドらしい“だから共和党はダメなのだ。民主党ならば何とかしてくれる”といった安易な物言いも、完全に封印している。そもそも過去のいくつかの大戦は民主党政権時に勃発しているし、レッドフォードとしてもオリヴァー・ストーンみたいな単純な“民主党マンセー”のポーズを取れるわけがない。

 有名スターが出ている割には地味な印象を受ける作品だが、作者の真摯な姿勢が見て取れるのは悪い気分ではない。多すぎるかと思われる会話量も、良く練られていて弛緩する部分がない。昨今目立つアメリカ映画のシリアス路線だが、昔の“自己反省スタイル”には特化しておらず、重層的な問題提起をしている点で興味津々だ。某評論サイトでは“やがてそのうち米軍バンザイ映画が目立つようになる”などと書かれているが、すでに“米軍バンザイ”の図式を挿入する余地がなくなってきている現在、この流れが元に戻ることはないと思う。
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「ファイナル・プロジェクト」

2008-05-08 06:31:13 | 映画の感想(は行)
 (原題:警察故事4 簡單任務 First Strike)96年作品。「ポリス・ストーリー」の4作目は、ジャッキー・チェン扮する香港国際警察の刑事がCIAの依頼を受けてウクライナへ飛ぶが、そこで世界中を震撼させるような陰謀に巻き込まれるというもの。単に事件の証人の見張りだけの“簡単任務”(原題)が例によって派手な活劇になってしまう強引さは香港映画のパターンであるが、今回はなぜか世界を股にかける規模の大きさになっており、(当時は)最後の香港製作となるという触れ込みのJ・チェンの意気込みが感じられる・・・・はずであった。

 正直なところ観ていて少しも面白くないのは、舞台を広げすぎたためかもしれない。香港からウクライナ、モスクワからオーストラリアと、007ばりの活躍を見せる主人公だが、話の核が終わり近くにならないと見えてこないし、そこまで引っ張る緻密なプロットなんて香港製アクションに求めても無駄だ。最初からメインの話をドーンと提示し、あとはアクションのこなし方に全力投球すればかなりマシになったろう。

 そして一番の欠点は、印象的なヒロインがいないこと。第一作のブリジット・リンや第三作のミシェール・キング、第二作では準主役で一作目、三作目にも出ているマギー・チャンのような主人公とタメを張るような相手役が不在になると、これほどまでに画面にすきま風が吹こうとは思ってなかった。ボケばかりでツッコミのいない漫才を見ているようだ。

 肝心のアクション場面もどうも気勢が上がらない。雪山での追いかけはスノーボードを使うという新味があるものの、本家007の敵ではない(シャツ一枚で凍った湖に飛び込むシーンにはびっくりしたが)。舞台がオーストラリアに移るとなぜか中華街の話になり、これでは香港で撮るのと変わりゃしない。お祭の途中で敵が襲ってくるシーンは盛り上がってしかるべきだが、段取りが悪くて不発。その前の格闘場面は普通のクンフー映画と同じで今さらやる必然がない。

 呆れたのが終盤の水中での大暴れシーン。動きがスローになるので、ギャグとしては有効かもしれんが、全編のハイライトだと言わんばかりに延々と長時間見せられては完全に飽きてしまう。「007/サンダーボール作戦」の海中シーンを見習ってほしい。

 監督はスタンリー・トンだが、前作「レッド・ブロンクス」といい、どうも二流の感がある。ここはジャッキー自身が演出するか、チン・シュウタンやジョン・ウーといった定評のある人材を登用するべきではなかったか。
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「パラノイドパーク」

2008-05-07 07:43:23 | 映画の感想(は行)

 (原題:PARANOID PARK )以前紹介した「潜水服は蝶の夢を見る」が撮影監督ヤヌス・カミンスキーの映画であったように、この作品もクリストファー・ドイルによるカメラワークが光る。誤って人を殺してしまった男子高校生の、移ろい行く内面を幻想的なタッチで綴る映像処理が饒舌だ。

 一見、短い上映時間(85分)の中にあまりにも心象風景的な画面が多く挿入されているので、肝心のドラマ部分が示されていない傾向があると思うのだが、実は刑事事件としての進展があまり見られないまま、主人公の心理ばかりを追うという設定では、これ以上ドラマ部分を増やしても仕方がないのだ。

 バカなことをやったという悔恨の情、被害者に対する後ろめたさ、そして時が経つに連れ彼の内面を占めてゆく“(バレていないので)無かったことにしよう”という俗物的な身も蓋もない感情、それらが入り混じって主人公を圧迫していく。日常面ではあまり変化がないだけに、この心理面でのプレッシャーはけっこうリアルだ。

 ただし、似たような題材を扱う岩井俊二の「リリイ・シュシュのすべて」と比べれば、かなり薄味でもある。その理由は明らかで、本作はあまりにも“語るに落ちる”シチュエーションが目立つからである。主人公の両親は別居中で、しかも自分のことしか考える余裕がない。放任主義になるのは当然として、そのために彼の中に厭世的な気分が横溢し、事件に繋がった・・・・ということが滔々と綴られるのは、ハッキリ言って図式的だ。

 さしたる具体的な理由がなく、目に見えない思春期の不安と苛立ちをヴィヴィッドに描き出し、終盤の暗転を説得力有るものとした「リリイ~」と比べると、この映画は作者の“覚悟”といったものが足りないように思う。ガス・ヴァン・サントの作劇は同じく少年犯罪を扱った前作「エレファント」よりは平明にはなってきているが、大事なところで及び腰になっているのは一緒である。

 それにしても「エレファント」もそうだったが、オーディションで選ばれたという素人同然の主人公役の俳優は、絵に描いたような美少年である。やっぱり作者には“そういう趣味”があるのだろう(笑)。舞台になるオレゴン州ポートランドの薄ら寒い風情も捨てがたい。
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「愛しのタチアナ」

2008-05-06 06:38:15 | 映画の感想(あ行)
 (英題:Take Care of Your Scarf, Tatiana)94年作品。フィンランドの異才アキ・カウリスマキ監督の手による映画である。上映時間が62分というのも驚きだが、物語のエッセンスだけを抽出した作劇で見事な充実感がある。仕立て屋である母親の手伝いをして暮らすしがない中年男ヴァル(マト・ヴァルトネン)と冴えない中年の修理工レイノ(マッティ・ペロンパー)の二人旅を描くロード・ムービー。

 車を運転するヴァルとウォッカをかぶ飲みするレイノとの間にはほとんどセリフはない。途中で立ち寄ったスナックで、二人はロシア女クラウディアとエストニア人のタチアナ(カティ・オウティネン)と知り合い、4人で旅を続ける。男女2人ずつの旅だから何かあると思ったら見事に何もない(言葉があまり通じないこともあるが)。ホテルに男女ペアに別れて部屋に泊まっても、観客が期待するような展開にはならない。4人とも見事に寡黙。

 しかし、ラスト近くの思いがけない筋書きが、まったく不自然に思われないのは、登場人物の断片的な行動だけを映して、その内面までもすべて描き出してしまう演出力の勝利である。

 特にシークエンスの繋ぎ方が絶妙で、大胆に省略しているにもかかわらず、観ている側には画面に出てこない展開が手に取るようにわかるのだ。見た目はハードボイルド風だが、観終わって何とも言えない情感が漂ってくるのも、心から作者が登場人物を愛している証拠だろう。

 モノクロの画面で舞台は60年代に設定してある。口数少ない男たちに代わって、当時のロックが即物的に鳴り響く。映像的にも申し分はない。あらゆる意味でハリウッドの対極にある映画。でも寡黙さの中にある心理描写のダイナミックさは他の追随を許さない。ストイックで、愛すべき映画だ。
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「紀元前1万年」

2008-05-05 06:50:41 | 映画の感想(か行)

 (原題:10,000 B.C. )さすがローランド・エメリッヒ監督。大味で脳天気な仕事ぶりは健在だ(爆)。もっとも、出来がどうのこうのと言うより、こんな企画が通ってしまうハリウッドのビジネス現場に対して失笑を禁じ得ないが・・・・。

 題名通り、紀元前一万年のアフリカ(?)を舞台にしたアドベンチャー。たぶん製作側は、強権的な専制君主に対抗する民衆といったモチーフで、昨今のアメリカ映画でトレンドになっている国際情勢ネタに通じるテイストにより、多額の製作費を投入する気になったのだろうと思うが、もうちょっと監督と脚本家の人選をしっかりやって欲しかった。

 しかも、時代考証はデタラメ三昧。エジプトのピラミッドが建てられたのは紀元前2500年あたりだと思うのだが、本作ではすで紀元前一万年にして超大規模なピラミッドが沙漠の真ん中で建造中である。当然人力だけでは無理があるから、ここでは何とマンモスを荷役として採用(大笑)。従業員は周囲の村々から強制徴用された奴隷ばかり。

 そもそもピラミッドは独裁者が自分の楽しみだけのために作らせたシロモノではなく、立派な公共事業(マクロ経済政策)であったらしいことが言われているが、もちろん本作ではそのような殊勝なアプローチは皆無だ。まあ、どうせフィクションなので紀元前一万年に大手ゼネコンみたいな建築のノウハウを持つ一派がいてもかまわない。でも、それならそれで上手にホラを吹いてもらいたいものだ。

 かような立派な文明が存在しているのならば、近隣諸国にも少なからず波及していると思うのだが、主人公達の住む村も、彼らと仲良くなる集落の連中も、未開人と同様の生活を送っているあたりは脱力してしまう。悪逆の王を倒して故郷に帰る主人公達は、何も文明の利器をもたらさない。せいぜいが穀物の種ぐらいだが、厳しい自然の元では役に立たない。あの環境ならば遊牧程度のことしかできないだろう。いつもの通り、この監督の作品には突っ込みどころが満載だ。

 主人公役のスティーヴン・ストレイト、ヒロインのカミーラ・ベル、いずれも魅力無し。脇のキャラクターも、ほとんど印象に残らない。対してSFXは上出来だ。特にマンモスやサーベルタイガーの造型は見事。アクション場面も悪くない。いい加減な終盤の展開には閉口するものの、あまり深く考えないでボーッとスクリーンを眺めたい向きにはいいかもしれない。
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「ディスクロージャー」

2008-05-04 19:21:48 | 映画の感想(た行)
 (原題:Disclosure)94年作品。ワシントン州シアトル。大手ハイテク企業の副社長の座は、たたき上げで人望も厚い主人公の製造部長(マイケル・ダグラス)ではなく、運と口先三寸と色仕掛でノシ上がってきた若い女重役(デミ・ムーア)だった。しかも彼女は主人公の昔の恋人。気まずい雰囲気に仕事もうまくいかない主人公を、彼女は副社長室に呼び出す。そしていきなり関係を迫った。いったん“その気”になったが何とか逃げ出した彼を、彼女はセクハラ疑惑で告発しようとする。“逆セクハラ”の罠にはまった主人公の反撃なるか。原作はマイケル・クライトン。監督はバリー・レヴィンソン。

 ハッキリ言ってしまおう。どうでもいい映画である。セクハラ事件を契機に、企業における男女間の断層とか、フェミニズムと保守主義の対立とかいった深い問題に入るのかと思ったら全然違う。フツーのおじさんが淫乱な女とアホな社長(ドナルド・サザーランド)のケチな陰謀に必死に抵抗するというサスペンス・ドラマであった。まーそれでも良く出来ていれば文句はないのだが、映画中盤に底が割れてしまうプロットの甘さ。いつの間にやらセクハラ問題は脇に追いやられ、サエない“活劇”に終始するこの映画のどこが“全米騒然の超話題作”(当時のチラシにそうある)なのか。

 収録に一週間かけたという“逆セクハラ”シーンは全然大したことない。日本のピンク映画ならこれ以上のものを1時間もあれば撮れるだろう(それにしても整形ばりばりのD・ムーアのバストは見ていてシラけるぜ)。ヘンに凝った美術も効果なし。

 バリー・レヴィンソンはこの少し前まで「レインマン」や「わが心のボルチモア」のような秀作を手掛けていたのに、本作では個性のかけらも見えない“やっつけ仕事”に終始している。題材について深く突っ込むとか、少しは観客を考えさせてやろうとか、そんなこころざしの高さがどこにもない。

 それにしても、劇中出てくるヴァーチャル・リアリティ・データベースシステムには笑った。大仰な仕掛なんだけど、用途と機能はただの廉価版データベース。もうちょっと考えて作ってほしい。
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最近購入したCD(その14)。

2008-05-03 06:57:22 | 音楽ネタ
 近頃買ったロックのディスクで最もハマったのが、カナダはモントリオールの出身の5人組シンプル・プランの3枚目のアルバム、題名はそのものズバリの「シンプル・プラン」。メロディアスなパンク・サウンドを聴かせる、いわゆる“エモ系”の範疇に入るバンドながら、ひとつのカテゴリーの枠内では捉えられない柔軟な音造りを見せる。ただし、硬軟取り混ぜた曲調の中に感じられるのは、まさにポップ・ミュージックの王道を往くような分かりやすさだ。



 どのナンバーも口ずさめるほどキャッチー。捨て曲は無し。誰が聴いても良さが伝わってくる。ヒネた手練れのロック・ファンなどは“これだけ向こう受けを狙ったサウンドで良いのか!”と文句の一つも垂れるところだろうが、幅広い聴衆にアピールするような路線のどこが悪いのかと、良い意味での開き直りも感じさせる。とにかくポピュラー音楽なんて売れてナンボだ。録音もロック・アルバムの水準を超える出来映え。手放しで奨めたいディスクである。

 ドイツ出身のリコーダー奏者、ドロテー・オーバーリンガーが17~18世紀にイタリアで作曲されたソナタの数々を取り上げた「フラウト・ドルチェのための“イタリア・ソナタ集”」は最近の私のヘヴィ・ローテーションである。女流リコーダー奏者といえば、ミカラ・ペトリという才色兼備のプレーヤーがよく知られているが、オーバーリンガーはペトリほどの華やかさはないものの、確かな技術に裏打ちされた表現力は、作品をじっくりと聴いていこうというリスナーにはぴったりだ。



 コレッリやジェミニアーニ、サンマルティーニ、ヴィヴァルディのナンバーが並んでいるが、コレッリの「ラ・フォリア」を除いて馴染みのない曲が目立つ。しかし、チェロやキタローネ、バロック・ギターなどをバックに自在に作品の旋律美を伝えるオーバーリンガーのプレイは、聴いていてまったく飽きない。録音は音場の奥行きが幾分不足していて、音色も硬いのだが、リコーダーのスクエアな音像はそれを補って余りある。

 テクニックには定評のある中堅のドラマー大澤基弘、松尾明のバンドでも手腕を発揮していたピアニスト寺村容子、エレキもこなす技巧派ベーシスト磯部ヒデキの3人からなるジャズ・ユニット「十五夜」のデビュー・アルバム「うさぎの大冒険」はなかなかチャーミングな一編だ。



 ピアノの柔らかい音色がリスナーを包み込むような雰囲気を醸し出す。しなやかな歌謡性が無理なく耳に響く。大仰なアドリブや鼻につくスタンド・プレイはまったく見当たらず、どこまでも優しい叙情性が印象的だ。ただし決して軟派な演奏ではなく、キレとコクのあるシャープな展開も見せる。曲はオリジナル中心だが、パット・メセニーやオスカー・ピーターソンのナンバーも自家薬籠中のものとして取り上げている。録音も良好で音場が自然だ。なお、タイトル曲の「うさぎの大冒険」は、まさに「うさぎの大冒険」としか思えない曲調で笑ってしまった。このチューンを聴くだけでも手に入れる価値はある。
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