元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「桜田門外ノ変」

2010-11-05 06:32:09 | 映画の感想(さ行)

 この、全編を覆う安っぽさに辟易してしまうような映画だ。これは何も、大沢たかおという大根役者が画面の中央にいるからだけではない。どうも作り手の“こころざし”というか、素材を掘り下げる力量レベルが低いようなのだ。

 それは、冒頭と終盤に映される現在の桜田門外の様子に象徴される。ラストなんか国会議事堂のアップで終わってしまう。これはたぶん、本編の図式を現代の日本に当てはめ、高々しく憂国のシュプレヒコールを上げようという魂胆だろう。しかし、事はそう簡単には行かないのだ。当時と今とでは状況が違う。

 確かに桜田門外で大老を手に掛けた者達は“日本を何とかしなければならない!”という切迫した心境にあったのだろう。一方の井伊直弼だって同じことで、日本のために西欧列強とギリギリの妥協点を探っていたのだ。ところが、両者の所業は結果として多くの流血沙汰に繋がってしまう。国を守ろうと言いながら、そのために少なくない犠牲者が出てしまうシチュエーションなど、現代では決してあってはならないのである。

 テロの応酬に終始した幕末の日本を引き合いに出して、現在において憂国の士が払底していることを嘆く作者達の姿勢は底が浅い。今の日本に必要なのは武力行使も辞さないイデオロギーの跳梁跋扈ではなく、国全体の最小不幸を目指した現実的な方策である。わざわざ幕末の志士に御登場願う必要はないのだ。

 さらに愉快になれないのは、こういう“我々は立派な主題を掲げているのだ”という思い上がりによる、いわゆる“上から目線”がそこかしこに感じられることだ。映画が始まってからの説明的シークエンスやナレーションの何と多いことか。歴史的背景など紹介してもらわなくても、カタギの観客ならばそれぐらい分かっている。まるで“分かっていないだろうから、説明してやる”と言わんばかりの不遜な態度が見え見えではないか。

 こういう感心しないスタンスを取っているからなのだろう、内容も映像もまるで深みがない。殺陣は大したことはないし、セットなんかまるで書き割りのようだ。ただ“こうなりました”という筋書きを追っているだけ。良かった点と言えば事件を起こした元水戸藩士達の“その後”が分かったということぐらいだろうか。まあ、そんなことは映画を観なくても文献をチェックすれば済むことなのだが(^_^;)。

 佐藤純彌は出来不出来の幅の大きい監督だが、今回は明らかに失敗作だ。脇には柄本明や北大路欣也、伊武雅刀といった面子を揃えているのに、実にもったいない話である。

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