元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フランケンシュタイン」

2009-08-30 06:52:45 | 映画の感想(は行)
 (原題:Mary Shelley's Frankenstein )94年作品。フランケンシュタインの怪物は狼男やヴァンパイアの同類としてB級ホラー映画に数多く登場しているが、唯一メアリー・シェリーの原作に忠実に描いたのは70年代中盤に作られた「真説フランケンシュタイン」(主演マイケル・サラザン、日本ではTV放映のみ)だった。単純なモンスター映画と一線を画す正攻法の演出が興味深く、特にラストの追いつめられた科学者と怪物が北極の雪原に消えていくシーンでは、原作の持つ深みを垣間見ることができた。

 さて、本作は「ドラキュラ」に続くフランシス・コッポラの“正調モンスター映画シリーズ”(?)の第二弾としての登場。コッポラは製作に専念し、監督および主演は「ヘンリー五世」などのイギリスのケネス・ブラナーである。

 冒頭、北極海で難破する帆船の描写からフランケンシュタイン博士(ブラナー)と怪物の登場、博士の回想シーンと続く10分あまりはハリウッド製スペクタクル映画のケレンとハッタリが鼻につき“こりゃダメかな”と思ったが、19世紀初頭のスイスの落ち着いた雰囲気をカメラが捉え始めると、いつの間にか画面に没入してしまった。

 主人公ヴィクター・フランケンシュタインは幼なじみのエリザベス(ヘレナ・ボナム・カーター)との結婚も決まり、安心して大学の医学部での研究に没頭する毎日であった。しかし、野心的な教授(ジョン・クリース)の影響を受け、“死者を蘇生させる”という実験にかかわるようになっていく。そうして生まれたのが例の怪物(ロバート・デ・ニーロ)であった。醜く誰からも愛されない彼は、創造主であるヴィクターに復讐を誓う。

 原作では母親の理不尽な死が主人公が危険な実験に没入する原因となるのだが、残念ながらその理由付けが映画では弱い。しかし、ヴィクターが教授の悲惨な最期を見て狂ったように蘇生実験に突っ走るシーンは劇中の見せ場の一つ。ブラナーの演出力は凡百の監督を寄せ付けず、まさに鬼気迫るジェットコースター的疾走で観客を圧倒させる。

 ヴィクターの愛する家族・友人を次々と奪っていく怪物だが、恐ろしさより悲しみの方が強く印象づけられる。創造主としてのヴィクターが“神”ならば、意志を持つ怪物は“人間”としての比喩を持つ、という解釈も成り立つが、その前に魂を持たずに生まれた怪物の心の空洞を思って慄然となってしまう。愛のない心は感情をコントロールすることができず、救いを求めるようにヴィクターに自分の“伴侶”を作るよう強要する怪物。それがまた新たな惨劇を生むのだが、まるで蟻地獄に落ちていくような運命の残酷さに、人間が持っているどうしようもない性を目の当たりにするようで、しかし映画はそれをたぐいまれな描写力で納得させていく。

 デ・ニーロ扮する怪物は巧妙なメイクで、しかも本人の“面影”を見事に残し感情表現も絶妙。ボナム・カーターの大熱演、友人ヘンリーを演ずるトム・ハルスの飄々とした味もいい。SFX、衣装、音楽(byパトリック・ドイル)も言うことなし。ハデなスペクタクルに振りすぎたきらいもあるが、まずは観る価値十分の力作だ。それにしてもこの頃のブラナーは才気が残っていた。今では見る影もないのが残念である。

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