元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「Shall we ダンス?」

2014-11-30 06:56:41 | 映画の感想(英数)
 96年作品。先日公開された「舞妓はレディ」のレベルの低さを見ると、周防正行という監督には才能のカケラも無いような印象を受けるが、十数年前にはこれほどの快作を撮っていたのだ。月日の流れというのは残酷なものである。

 マジメだけが取り柄の経理課長の杉山(役所広司)は、念願のマイホームも手に入れ(都内ではなく埼玉県だが)、平凡だが不安もない毎日を送っていた。ある日、ビルの窓から物憂げに外を見つめる美女・舞(草刈民代)を通勤電車の窓より目撃してから、彼女のことが気になって仕方がない。そのビルが社交ダンス教室であると知った杉山は、気がついたら入会していた。

 そこにはダンスをやってることを周囲に内緒にしている同僚の青木(竹中直人)や、元気のいい未亡人・豊子(渡辺えり子)、糖尿病対策でダンスを始めた田中(田口正浩)、関西出身で調子のいい服部(徳井優)など、個性的な面々が集まっていた。舞との接点を求めて入門した杉山だが、次第にダンスそのものの魅力にのめり込んでいく。



 作劇は完璧ではない。上映時間2時間16分は長すぎる。説明的なセリフや思わせぶりな場面も多い。あと20分カットすればさらに得点はアップしたはず。しかし、そんな欠点を認めつつも、この映画は光り輝いている。最初はステップも踏めなかった主人公は、目当ての舞にフラれてしまえば目的を失ってダンスをやめるというのが作劇のルーティンだと思われるのだが、ここでは舞に交際を断られてからも、ダンス自体のとりこになっていくところが面白い。

 たとえは悪いけど、この頃までの周防監督の映画は“おたく野郎の逆襲”だったと思う。当時何かの雑誌にも書いてあったが、80年代をリードしていた“バブル時代のミーハー”は役割を終えて、世の中のハヤリすたりに無頓着でも特定の分野に精通している“おたく”こそが真に必要な人材になる・・・・とかなんとか(もちろん、陰にこもるタイプのおたくではなく“情報発信力のあるおたく”である)。

 必要な人材かどうかは別として、何かに熱中してのめりこんでそこにアイデンティティを求めることの有効さを彼は言いたいのではないかと・・・・。女にフラれたぐらいですぐ投げ出すような軟弱なミーハー野郎は、最初から彼の映画ではお呼びでない。

 キャスティングの素晴らしさ。無駄なキャラクターが一人もいない。みんな水を得た魚のように楽しそうにスクリーンを闊歩する。特に竹中の怪演。職場の中をスイングしながら登場するシーンから、カツラを被って情熱のラテンダンサーに変身するまで、まさしく独壇場だ。役所と渡辺えり子がメインになるダンス教室の場面でも、脇で柱と戯れている(笑)竹中の方が気になってしまう。踊ることで初めて生きる自信を持った田中に扮する田口(涙ながらの独白場面にはグッときた)。そして映画初出演の草刈も、この時は十分魅力的だった。

 そして映像もすこぶる出来が良い。慣れない主人公が「王様と私」の登場人物よろしく見よう見まねでステップを踏むと、カメラがさーっと引いてフロアで乱舞する人々をマスで捉えるショットに切り替わるとき、久々に“映像に酔う”瞬間を味わった。クローズ・アップとロング・ショットの巧妙な積み重ねによってダンスの呼吸とリズムをスクリーンに刻むテクニック。踊るということはこんなにも楽しく素晴らしいということを何のてらいもなく観客に差し出す作り手の確信犯ぶりに嬉しくなる。

 この映画を観ると、現在の周防監督の、不調の原因が分かるような気がする。これより後の作品は、明らかに“楽しんで”撮っていないのだ。ヘンな気負い、おかしな思い込み、柄にもない義務感みたいなもの等、そういう余計なファクターが映画製作に臨む姿勢を歪なものにしているのではないか。今一度肩の力を抜いて、本当に好きな題材に真っ直ぐに向き合えば、ひょっとすると復調もあり得ると思う。
コメント
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