元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

諏訪哲史「アサッテの人」

2010-11-17 06:37:29 | 読書感想文
 第137回芥川賞を獲得した小説だが、最近読んだ本の中では一番つまらない。作者はいったい何が楽しくてこれを書いたのか、誰に読ませるつもりだったのか、まるで分からない。本作はどういうわけか群像新人賞も受賞しているが、現在における純文学の存在価値について思わず考えてしまった。

 普段より奇行が目立っていた叔父がとうとう失踪。主人公はアパートに残された叔父の日記を見つけ、改めて彼の人となりを検証してみる・・・・という筋書きはあって無いようなものだ。最初の1頁から予防線を張りまくったような言い訳がましいフレーズの連続で萎えてくる。

 だいたい、物語の重要モチーフである叔父のキャラクターについて何も述べられていないのだ。単に“ヘンな人だった”という上っ面の(言葉だけの)描写しかない。その変人ぶりを印象付ける箇所は皆無。少なくとも劇中に出てくる“チューリップ男”のような具体的描出がなければ、読者は納得しない。

 その“チューリップ男”というのは、エレベーターの監視係が目撃した人物。一見普通のサラリーマンだが、エレベーターで内で一人きりになると頭上に両手でチューリップの花の形を作ったり、はたまた逆立ちしたりと常軌を逸した行動に出る。そして扉が開くと何もなかったような表情で出て行くのである。

 ストレス過剰か、はたまた周囲とのコミュニケーション不足か、いずれにしろ相当な屈託を抱えた人間であることが窺える。まるでパゾリーニ監督の「サテリコン」の登場人物のような破滅願望を持つキャラクターであり、実に分かりやすい。その“分かりやすさ”が主人公や彼の叔父には見当たらない。まるで読み手に対して“アサッテの方向”を指し示しているようだ。

 文章自体もメリハリがなく無為に流れるのみ。こんなのは読んでいて疲れるだけである。さらには終盤にかけて現れる掟破りのケレン味に至っては、これはもう文学でさえあり得ない。ただの悪ふざけだ。とにかく、楽しもうと思って小説を手にする者(私も含む)にとって、まったく縁のない書物だと断言して良いだろう。
コメント
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