元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

“リサイクル馬鹿”は逝ってよし。

2007-11-17 07:04:23 | 時事ネタ
 先週の日曜日は私が住んでいる町での「分別収集ゴミ」を出す日であった。「捨てればゴミ、分ければ資源」というスローガンのもと、リサイクル可能なゴミを素材別に分けて出せという、まあよくある施策である。ここでちょっとしたトラブルに遭遇した(まあ、そのトラブルの張本人のひとりは私なのだが ^^;)。

 いつものようにスーパーで魚や肉を入れるのに使われる発泡スチロール製のトレイを、定められたボックスの中に入れようとすると、“見張り役”の町内会のおっさんから“ダメだ!”と言われるではないか。以下はそのやりとりである。

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おっさん「トレイはね、汚れ一つ付いていないような状態じゃないと、リサイクルできないの。アナタの出したトレイは一部にシミが付いているじゃない。ちゃんと洗って出し直してね」

私「一応洗いましたよ。その汚れはトレイにこびりついているから、水洗いしても取れないんですよ」

おっさん「ならば洗剤でしっかり洗えばいい。手を抜くのはいけないね。キレイにしてリサイクルに出さないと、資源の利活用はできないよ」

私「あのですね、たかだかトレイの汚れを落とすのに、なんでそんな手間暇かけなきゃならないのですか? 利活用すれば資源かもしれないけど、こっちとしてはただのゴミなんだから」

おっさん「そういう考え方が地球環境を悪化させてるんだよ。リサイクルできる資源は何としてでもリサイクルする。資源は無駄にしない。それが環境問題を解決する糸口になるんだから」

私「では、私がトレイの汚れを落とすために水道水を使い、さらに洗剤まで加えることは資源の無駄ではないのですか? 水道水と洗剤に使われるコストと、トレイ一枚をリサイクルするコストとを比べれば、いったいどっちが高いんですかね。しかも、貴重な休みの日にせっせとトレイの汚れを落とさなきゃならない私の時間と労力自体、無駄以外の何物でもないじゃないですか(笑)」

おっさん「そういう小難しい理屈に付き合っているヒマはない。さっさとトレイを洗浄して持ってきなさい」

私「ほほう。では、今後はトレイは分別収集ゴミの日に出さずに、通常の燃えるゴミとして週二回の収集日に出すことにしよう」

おっさん「それはやめて欲しい。リサイクル出来ないではないか」

私「リサイクル云々を言うならば、各家庭が出す燃えるゴミの中身こそ精査するべきでしょう。燃えるゴミ用の袋に入れて出してしまえば、リサイクル可能物品だろうと何だろうと収集車が持って行って焼却処分されるんだからね。それをさしおいて分別収集ゴミの日に我々が自発的に持ってくるゴミに対してだけあれこれ言うのは、何か違うんじゃないのか?」

おっさん「あーうるさい。とにかく、後ろがつかえているから帰ってくれ」

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 ・・・・断っておくが、私は何も「リサイクル自体がナンセンス」とか「環境問題なんかクソくらえ」とかいう極論を言うつもりはない。リサイクルできるものはリサイクルした方が良いに決まっているし、環境問題の重要性は言うまでもないだろう。ただし、「リサイクル」「環境問題」といった御題目自体が一人歩きして、マクロで見た場合のコスト意識や、それ以前の一般常識を無視するのは実に馬鹿げたことだと思うのだ。

 発泡スチロールのトレイをリサイクルするのに、いったいどれだけのエネルギーとコストがかかるのか、そういうことをこのおっさんを始めとする“リサイクル馬鹿”(と、あえて言ってしまおう)の人たちは考えたことがあるのかな。そもそも「ゴミを減らそう」というスローガンが各方面で叫ばれているのに、ゴミにしかならず、リサイクルするのに多額の費用がかかる発泡スチロールのトレイみたいなのが世の中に大量に出回っていること自体がオカシイのではないか。燃えるゴミと一緒に出すことが可能でリサイクル率が高くない“環境に優しくない”ペットボトルがどうして日々膨大な数生産されるのか。環境に優しくしようとすれば、昔のようにガラス瓶を使えば良いではないか。

 昔は肉屋も魚屋も発泡スチロールのトレイなんか使っていなかった。売るときは新聞紙や油紙に包んでくれたものだ。それが一律にトレイに入れて売られるようになったのは、大型スーパーの台頭と無関係ではあるまい。そして、大手の進出により、新聞紙や油紙を使う昔ながらの肉屋や魚屋が軒を連ねる商店街が消滅したことが大きいのではないか。これも“構造改革”とやらの弊害だろう。

 とにかく、巷にあふれる「ゴミを減らそう」「環境に優しくしよう」というシュプレヒコールとは裏腹に、相変わらず作り手の“企業の論理”によりゴミにしかならないものが多量に作り続けられている現実に気が付かないのは茶番でしかない。そして、くだんの“リサイクル馬鹿”のように、リサイクルのためのエネルギー浪費を容認し、リサイクルそれ自体で満足してしまう手合いが大勢いるのには脱力するしかない。だいたい、発泡スチロールのトレイやペットボトルなどはリサイクルしない方が資源の節約になるのではないか。燃えるゴミは、燃やすに限る。
コメント (2)
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