元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ツォツィ」

2007-06-09 06:40:57 | 映画の感想(た行)

 (原題:TSOTSI)アカデミー外国語映画賞を受賞したイギリス=南アフリカ合作で、その評価もダテではないと思わせる力のこもったシャシンだ。

 ヨハネスブルグのスラム街に暮らす若者ツォツィ(プレスリー・チュエニヤハエ)は強盗グループのリーダーで、街の暴力団にも顔が利くいっぱしのワル。そんな彼が盗んだ金持ちの車の中に乳児を発見し、世話をするハメになるという筋書きだが、いくら赤ん坊とはいえ他人の子供を面倒見ようとすること自体、彼が更生できる可能性を示しており、予想通り映画はその線に沿って進む。

 いわば構成は単純なのだが、これがかなりの説得力をもって迫ってくるのは、登場人物を取り巻くシビア極まりない情勢ゆえである。

 アパルトヘイト政策は廃止されたものの、同じ黒人の間にも大きな格差が生まれ、差別社会はなくなるどころか、より深刻化している。ツォツィが子供の頃に住んでいた町はずれの土管置き場に赤ん坊を連れて行くシーンは前半のハイライトで、そこには今も身寄りのない子供達が住んでおり、主人公が彼らに向かって“そこの土管がオレの住処だった”とつぶやくシーンには胸が締め付けられた。

 他にもツォツィの悲惨極まりない子供時代の回想場面など、もはやこの世には神も仏もないと思わせるような描写が続く。しかし、だからこそツォツィの中にわずかでも残っているピュアな部分が強調されてくるのだ。

 赤ん坊の世話を引き受ける近所に住む若い未亡人や、彼がいつも駅で会う車椅子のホームレス、勉強熱心なのに境遇が悪くてチンピラに身をやつしているツォツィの相棒などの脇のキャラクターも光っている。特に足の悪いホームレスと主人公の会話は本作のキーポイントで、人はどうやれば過ちから立ち直れるのか、“善く生きる”とはどういうことか、そんな平易かつ重要なテーマが無理なく示される。

 ギャヴィン・フッドの演出は取り立てて才気走ったところはないが、ドラマ運びは堅実そのもので、弛緩した部分や回りくどい描写がほとんどない。クワイト(Kwaito)と呼ばれる、南アフリカで流行しているポピュラーミュージックを中心とした劇中音楽も、素晴らしく効果的だ。
コメント
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