元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

“都会の憂鬱”とミニシアター系作品

2007-05-31 08:42:58 | 映画周辺のネタ
 河瀬直美監督がメガホンを取った「殯(もがり)の森」が第60回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を獲得した。私はイマイチこの作家を信用していないが、受賞自体は快挙であることには変わりなく、公開された際には観る予定だ。

 さて、何年か前、某新聞でとある地方のミニシアターの支配人が“各国の映画祭でいくら日本映画が賞を取ったと言っても、多くはマイナー作品のため、肝心の日本人自身の目に触れる機会が少ない。最近のシネコン攻勢が上映作品の偏向化を促進させている状況もあり、これは愉快になれない”なんてことを言っていた。一応もっともな説のように思われるが、よく考えてみると少しおかしい。マイナー作品ってのは観客の大量動員が見込めないからマイナーなのであって、たとえ賞を取ろうとその基本線が変わるわけじゃないのだ。これは日本に限ったことではないだろう。たとえば「ロゼッタ」や「永遠と一日」や「桜桃の味」がカンヌで大賞を取っても、本国で一斉拡大公開されているとは考えにくい(まあ、多少は興行的に優遇はされるだろうけど)。多くの一般ピープルはそんな小難しい映画はさし置いて、ハリウッド作品や国産の娯楽映画に走るのだろう。それが正常だと思う。

 酷な言い方だけど、映画館の支配人たるもの、外資系シネコンの台頭ばかりを嘆いても仕方ない。もっと地道な努力が必要だと思う。ちなみに、くだんのミニシアターで封切った「M/OTHER」(諏訪敦彦監督、第52回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞作)の観客は一回の上映平均で数人だったそうだ。当然だろう。

 で、たとえば全国チェーンのシネコンでマイナー作品をやったと仮定して、福岡市でいえばキャナルシティのユナイテッドシネマみたいな街の真ん中にあるシネコンは別にして、田舎(失礼)のショッピングセンターにあるシネコンに客が来るかどうかといえば・・・・絶対来ない。

 マイナー作品の持つスノッブさ、難解さ、スタイリッシュさ、アンニュイ度(まあ、すべてがそうだと言うわけじゃないけど ^^;)、それらはすべて“都会”のものだ(都会を舞台にしているという意味ではない。念のため)。農業に従事しているおっちゃんに“都市生活者の微妙な屈託”を見せつけてもピンとこない。生活基盤が違うのだからしょうがない。ミニシアターが都会ばかりにあるのは、何も人口密度のせいばかりではないのだ。“都会の憂鬱”を理解できる客層の有無というのも大きな要素なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする