元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

負けるべくして負けたサッカー日本代表。

2006-06-25 07:28:00 | 時事ネタ
 日本チーム、予選敗退。残念なことだが、個人的には正直「予想通りだな」といったところ。何せ3連敗だと思っていたからね。クロアチアに引き分けたのが奇跡と言えるかも。私は最初からシラケていて日本戦の生放送は一度も見ていない(まあ、仕事が厳しくて帰宅即就寝の日々が続き、テレビどころではなかったこともあるが)。

 なぜ当初から「ダメだ」と思っていたかというと、ロクにシュートも出来ないフォワードがいたからでもなく、病気がちなミッドフィルダーが先発していたからでもない。それ以前の問題。選手に采配を振るうはずの監督が無能だったから。そして、そんなボンクラを大枚払って監督に据えたサッカー協会のお偉方がいい加減だったから。

 別に私はサッカーに詳しいわけではなく、具体的に采配のどのへんが拙いのかを指摘することは出来ない。だが、ジーコが就任当時に協会やマスコミの間で「トルシエ流、組織重視、結果重視の退屈なサッカーから、中村俊輔に象徴される個人の能力を最大限活用するようなサッカー、いわゆる“魅せるサッカー”へのシフトチェンジを図る」とか何とかいう謳い文句が踊っていた時点で「あ、ダメだこりゃ」と見限っていた。

 監督の経験が全くない人間に一国の代表監督を任せるJFAの姿勢も噴飯ものながら、この「個人の能力を活かした魅せるサッカー」なるスローガンほど馬鹿臭いものはない。個々人に自由に「能力を活かす」ということになれば、監督なんて要らないではないか。てゆーか、各自が勝手に能力を活かすことが主眼なら、勝負なんかどうでもいいだろう。で、結果的に勝負にならない試合を3回こなして帰国することになった。JFAとしてはこれで本望ではないのか。

 本気で勝とうと思うなら、マジに決勝トーナメントへ進みたいと切望していたのなら、そんな「組織重視から個人主義へ」みたいな寝言は慎むべきだったろう。綿密な戦術策定と適材適所の起用、それに向けての合理的な鍛錬、そして期待に応えられる人材の育成、こういう組織だったチーム作りこそが大舞台で結果を出すことの必要条件だと思っていたが、違うのか? 個人任せの野放し体制で大きな大会で結果を残し続けたサッカーチーム---サッカーに限らず、どんなチームスポーツでもいいが---がもしもあるのなら教えて欲しい。

 問題は、この「個人の自由を尊重する楽しいサッカー」なるマヤカシを持て囃した世間だ。特に、ある程度結果を残した組織主義の前任者トルシエを貶め、自由放任無責任無為無策の素人ジーコを最後まで弁護するマスコミの姿勢には脱力感を覚える。さすがにW杯惨敗で週刊誌などではジーコ批判が持ち上がっているが、テレビや新聞ではあからさまな強い非難は巻き起こっていない。

 トルシエは日本語を覚えようとしない生意気な野郎だからいくらケナしてもOKだが、ジーコは「神様」だから神聖にして冒すべからずってか? こういう根拠皆無の「精神論」「印象論」もどきが事を誤らせるのだ。本来は遅くともアジア一次予選の途中(特にシンガポール戦)でジーコを解任して他のもっとマシな人材を充てるべきだったのだ。

 しかしまあ、こういう「現実の結果を考えず、場当たり的な“印象”ですべてを決める、悪しき精神主義・印象至上主義」が受け入れられる素地がファンにも、マスコミにも、そして世間にもあったってことは、小泉みたいなハッタリ野郎が長期に政権を維持している事実を見ても、認めざるを得ない。みんな、現実の損得勘定よりも、結果よりも、その場限りの“印象”が好きなんだろう。

 で、今後の日本チームに明日はあるか。次の大会で活躍できるか。

 今回の「結果」を十分反省して「現実的な」対策を打てば何とかなるかもしれない。JFAがマスコミの「神様ジーコは良くやった。悪いのは○○選手」みたいなピント外れの「雑音」を廃して地道にチーム作りに勤しむ・・・・しかないだろう。ただでさえ、次回からはアジア予選にオーストラリアが入ってきて本大会出場のハードルが高くなることは必至。さらに今回決勝トーナメントにアジア勢がひとつも入らなかったことからも分かるように、アジア全体のレベル低下による出場枠削減の懸念もある。よほどフンドシ締めてかからなければダメだろうね(-_-)。
コメント
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